チョコレートコスモス(5)

 文化祭まで約一か月、その間に少しでも立山との関係を前に進めなければと思う。文化祭終わりまでに立山の想いに区切りをつけるとは言ったものの、正直難しいと思っている。区切りをつけるということはこの恋が実るかどうかの話になってくる。この実るということがどう考えても難しい。

 そもそも立山は病院の先生のことが好きで、あたしのことなんか眼中にない状態だ。メッセージだってその始まりのほとんどがあたしからだし、学校で会話するときだって大半はあたしから声をかけている。

 好きになってから一年経ってもこうなのに、期限を設けた一か月先の未来で自分が恋人として立山の隣にいるなんて想像する方が難しかった。今までできなかったことが急にできるようになるなんてことはない。いつものあたしならさっさともう一度告白して振られたら次にいっていたはずなのに、この恋を終わらせたくない自分がいる。あたしは曖昧な関係のまま立山の隣にいられる今が楽になっていた。

 でも、楽をすればするほど片想いは前に進まなくなる。

 嫌いなマイナス思考を一旦頭の隅に追いやって、今日はなにを話そうかと考える。今日も今日とて立山は教室に来るのが遅い。自分の席に着くと、前の席の美紗がいつメンと付き合うに至った経緯を詳しく教えてくれた。話を聞きながら、たまに立山のいない空席を眺める。結局立山は朝自習が始まると同時に教室にやって来た。

 休み時間になって真っ先に立山のもとへと向かう。今日も教室に来るのが遅かったねとか、そんな中身のない会話を一方的にしたあとで世間話として何気なく聞いた。

「ねね、立山ってさ、男女の友情って成立する派? それともしない派?」

 あからさまに怠そうな表情を浮かべた立山が口を開く。

「成立するんじゃない。だってここ、友達でしょ」

 立山が自分とあたしを交互に指差して言う。返答のスピードとその内容に驚いてうまく反応ができなかった。嬉しいような嬉しくないような、そんな二つの気持ちが心の中でごちゃ混ぜになる。自分の顔が少しこわばる感じがした。

「なにその顔。違うの?」

「ああ、ごめん。えっと、あたしが立山のこと友達って思えるわけないじゃん! だって好きな人だし」

 なんとかいつものテンションで誤魔化すことができただろうか。

「あたしは成立しない派だな」

「よくクラスの男子と親しげに話しているのに?」

「あれはただの顔見知りってだーけ」

 それに対して立山はただ「そうなんだ」と言っただけで、それ以上この話題が膨らむことはなかった。

 あたしたちの関係を友達と表現した立山に違わないと言いたい気もしたけど、あたしはそんな考えを持ち合わせていなかった。距離を取るような返答だったとしてもこれがどうすることもできない自分の本音だ。

 嫌な予感がする。さっきの回答で立山との関係は前に進んでいると感じたけど、それはどうしてもあたしが進みたくない方向な気がした。

 授業開始のチャイムが鳴る。前の席の美紗は先生が来るギリギリまで新しくできた彼氏と話をしていた。

 パラパラと立山にもらった花言葉の図鑑をめくる。どの花も綺麗だけど、なに一つ頭に残らなかった。


 帰りのホームルームで担任の先生が来週から文化祭の準備を始めていいと言っていた。二年生からは飲食の模擬店を出すことができて、あたしたちのクラスはベビーカステラサイズのたい焼きを販売することになっていた。

 美紗には文化祭が終わるまでに立山との関係をどうにかするとは言ったけど、一つ障害がある。そもそも去年、立山は文化祭に出席していないのだ。一緒に回れると思っていたあたしは当日立山の欠席を知ってすごくショックだった。だからあたしは自分の気持ちをどうするかの前に、立山を文化祭に参加させるというミッションがある。これをクリアしないことには告白にこぎつけることはない。期限が文化祭の終わりというだけでなにもギリギリに告白する必要はないけど、あたしは少しでも長く曖昧な関係のまま立山の隣にいたかった。

 そんなことを考えながら帰る準備をしていたら、とっくに立山が教室からいなくなっている。慌てて教室を飛び出して昇降口へと向かった。学校の門を過ぎたところに立山の小さな姿が見えた。追いかけるように走り出したとき、中途半端に履いたローファーのせいで昇降口の階段のところで派手に転んだ。右膝にできた大きな擦り傷からじんわりと血がにじむ。

「茜、大丈夫ー? それ保健室行かないとじゃん」

 部活に向かおうとしていた友達に声をかけられる。

「平気平気! 急いでるから」

 不思議とそれほど痛みは感じなくて、そのまま立山を追いかける。校門を左に曲がってすぐのところに立山がいた。

「おーい、立山!」

 名前を呼ぶと、さすがの立山も足を止めて振り向いてくれた。

「相変わらず帰んの早いね」

「別にいつもどおりだよ。てか、どうしたの膝。すごい血が出ているけど」

「さっき昇降口の階段で派手にこけちゃって。でも平気──じゃない! え、めっちゃ痛いんだけど!」

「それはそうでしょ。このままなにもしないで帰れる傷じゃないよ」

 そう言って立山が来た道を戻るように歩き出す。

「どこ行くの」

「学校。保健室に行くよ」

「立山も一緒に来てくれんの?」

「だってこのまま俺が帰ろうとしたら、小野田ついてくるでしょ。実際今そんなに大きな傷を放っておいて来てるんだし」

 渋々みたいな顔はされているけど、それでもあたしはこの冷たい優しさが嬉しい。

「脚、大変でしょ。掴めば」

 そう言って仕方なさそうに差し出された右腕に遠慮なく掴まった。嬉しいけど、これが立山の友達に対する優しさかと思うと少し複雑な気もする。

 そのまま保健室に足を踏み入れたら、保健室の先生に「傷口を洗ってきなさい!」と怒られた。外にある水道で膝を洗い流す。想像以上にピリピリと沁みて叫びそうになった。保健室の中で待っていてもいいのに、立山は水道にもたれ掛かってあたしのそばにいてくれた。そのあと保健室で膝に大層な絆創膏を貼ってもらった。傷口を覆ったらいくらか痛みが和らいだ気がした。

 あたしが勝手に怪我をして、帰路に着く立山の後ろを勝手について行く。立山は優しいけど、そこにはそれ以上の特別な感情は一切見えない。あたしが怪我をしていたからではなくて、他の誰が怪我をしていても立山はこういう行動をするのだと思う。こんなふうにひねくれたネガティブに飲み込まれそうになるのが本当に嫌だ。今朝感じた嫌な予感のせいで、立山に対しての感情がマイナスに引っ張られている気がする。

「わっ」

 そんな考え事をしながら歩いていたら、少し前を歩いていた立山の背中にぶつかった。

「ごめん──」

「傷、痛いの?」

「え」

「ずっと下を向いてぼーっと歩いているから。膝、随分痛むのかと思って」

「ああ、いや。全然」

 そう言って再び怪しまれないように立山の隣を歩くようにする。気持ちを切り替えていつもどおりを演じようと思った。

「今年はさ、立山も文化祭に参加しよーよ。あたし、色々協力するし」

「例えば?」

「クラスの模擬店は関わらなくていいように友達に話しておくよ。あたしの友達、文化祭実行委員だから。当番にもならないようにしてもらうし、あとは一般公開の日は空き教室を貸してもらえるように先生に相談しよっかな。一か所でも誰も来ない静かな場所があったら立山も安心するでしょ」

「…………考えてみる、一応」

「イェーイ!」

 明らかに嫌そうな顔をしていたけど、考えてみるって言ってくれたから一度はそうしてくれるのだろう。

 立山はあまり嘘をつかない人だ。他人に期待を持たせるくらいならはっきりと言った方が良いというタイプだから、こう言ってくれたってことはかなり期待ができる。

 立山の家に着いた。綺麗に手入れされた生垣の前で立ち止まる。送ってくれてどうもありがとうと立山が振り向いた。

「あのさ、立山がもし文化祭に参加するなら病院の先生も呼んだら? ほら、一般公開もあるし、その方が立山のモチベも上がるんじゃない」

 思ってもないことを口走って、膝の傷がズキズキと痛むのを感じる。自分の恋が叶う可能性は低くなるかもしれないけど、こうすれば立山が文化祭に参加してくれる可能性が高くなると思った。

 でも、「そうしようかな」なんて笑顔で言われたら、あたしはどんな顔をしたらいいのだろう。

 そんなことを考えているうちに立山が首を横に振る。

「俺が文化祭に参加するとしても先生を誘うことはないよ。先生は三月で他の病院に異動になったから。今は俺の担当医も変わっている」

「そうだったんだ」

「そんなことを言われなくても文化祭のことはちゃんと真面目に考えるよ。じゃあね」

 どうやら立山にはあたしの考えがお見通しだったみたいだ。玄関に消えていこうとする立山を呼び止める。

「立山ってさ、まだ先生のことが好きなの」

「……気持ちはとっくに手放したつもりだよ」

 そう言って、立山が古い玄関の向こう側に消えていった。生垣を過ぎたところでしばらく立ち尽くす。気づいたら胸の前でガッツポーズをしていた。立山には申し訳ないけど、あたしはすごく嬉しかった。自分にも一ミリくらいの可能性が生まれたのかもしれないと思った。

 駅のホームに着いてから、美紗にダイレクトメッセージを送る。

『立山のこと、ワンチャンあるかも!』

 そう送ってはひとり口角が上がるのを抑えられなかった。

 電車に乗り込んで花言葉の図鑑をパラパラとめくる。偶然開いたページには色とりどりの綺麗なバラが載っている。愛に溢れる花言葉を見つめ、本当にチャンスがありそうと嬉しさが込み上げた。

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