チョコレートコスモス(3)
「そんでさ、ぶっちゃけ立山とはどうなわけ? もう好きになって一年は経ってんじゃん」
口に入れたパンケーキを咀嚼しながら、美紗の質問にどう答えるべきか考える。
「どうって特になんもない。相変わらずあたしが一方的に好きなだけで、一年前となーんも変わんないよ」
そんな事実を自分で並べて悲しくなる。
二年に進級したとき立山から花言葉の図鑑をもらった。そのときは嬉しくて舞い上がって、そのせいで見たくもない悪夢を見た。でもそのうち気づいてしまった。何気なくパラパラと図鑑をめくっているときに、ふと金木犀のページが目に入る。初恋というその花言葉だけにオレンジ色の蛍光ペンで線が引いてあったのだ。
心臓が嫌な音を鳴らす。すぐにメッセージで立山に聞いた。
『あのさ、病院の先生って立山の初恋だったりする?』
『……だとして、なに?』
『いや、別に。ただ気になって聞いただーけ』
その次の日、珍しく立山から声をかけられた。花言葉の図鑑を少し貸してほしいとのことだった。図鑑があたしの手元に戻ってきたとき、金木犀の初恋に引かれていたはずのマーカーが綺麗に消されていた。
──なんだ、そうか。初恋なのか。
消えたマーカーがそんな予感を確信に変えた。あたしにはよくわからないけど、世間ではどうやら初恋というものは特別らしい。舞い上がった気持ちがストンと地面に着地する。
立山はまだ先生のことが好きなのだろうか。好きなのだろうな。そう考えると、あたしの立山に対する気持ちが入り込む隙間なんて一ミリもない気がした。
「変わんないの⁉︎ なのに、まだ好きなわけ?」
ありえないと言いたげに、美紗が目の前で盛大な溜息をついた。
「諦める理由がないし」
「いや、十分すぎるほどあるでしょ。そもそも一回振られてんだから、それがもう諦める理由じゃん」
たしかに美紗の言うことは正しい。あたしだって前までは終わった恋からすぐに切り替えて次に行っていた。告白してオーケーで付き合って、振られたら次の日にはネクスト。立山を好きになるまでのあたしはそんな感じのサイクルの中で生きてきた。
「大体さ、うちら今年十七なわけ。一番キラキラして一番自由なわけじゃん。その貴重な時間をこれから振り向くかどうかもわかんないやつに使うのもったいないって」
そんなことを言われても、簡単に諦められない自分がいる。立山のことがどうしようもなく好きな自分がいる。こっちの顔色を窺わない真っ直ぐな言葉とか、あたしにはない新しい考え方とか、立山のそういう新鮮な部分に触れるたびに、この人がこの先の未来で隣にいてくれたらあたしは自分を大切にしながら成長できそうだなと思う。立山は自分のパニック障害をマイナスに考えているかもしれないけど、あたしが好きになった立山はそれを経ての立山で、それがなかったらきっと辿りつかなかった言葉たちがあたしの胸にはよく響くのだ。
「でも、好きなんだよな……」
小さくそう呟くと、目の前の美紗が仕方なさそうにこちらを見つめていた。
「茜ってさ、今まで好きな人に告白して振られたことってある? 立山以外で」
「ない」
「やっぱりね」
「なに、そのやっぱりって」
「茜は立山に振られるまで恋愛で失敗知らずだったわけじゃん? だからさ、今の茜の立山に対する気持ちってもはや好きを通り越して執着になっちゃってる可能性があんじゃないかって思ったわけ」
「執着?」
「そ、執着。立山に初めて振られたのが悔しくて納得がいかなくて、本当はもう好きとかじゃないけど追いかけてるみたいな」
「絶対にそんなんじゃないし」
「周りからはそう見えるってだけ」
去年の夏祭り、立山に同じことを言われたときはそうかもしれないと思ったけど、今のは絶対に違うと言い切れる。タケルへの気持ちと立山への気持ちは絶対にイコールにしたくない。それにあたしは恋愛で失敗知らずだったわけじゃない。それまで告白こそうまくいかなかったことはないけど、付き合ってからの別れ際は綺麗だったことの方が少ない。いや、むしろそんなときはなかったかもしれない。振り返ってそう思うほど、付き合ってからは失敗ばかりだった。
美紗はなにも知らない。あたしがただ恋愛をして付き合って別れていると思っているのだろう。一つ一つ過去に積み重ねがあって今に至るけど、最初から話すのは気が重くてできそうもない。今さら自分で自分を傷つける勇気も気力もなかった。
「立山とうちらってそもそも住む世界が違うじゃん。あたし入学したての頃、職員室で立山が学年主任と話してるの聞いたことあるけど、あいつあの高校からちゃんと大学目指してるみたいだったよ。学年主任、こーんなに口角上げて、めっちゃ嬉しそうにしてたの覚えてる。もうその時点でうちらと天と地くらいの差があんじゃん」
まあそうだろうなと思っていても、実際にそういう話を聞くと少し驚いてしまう。美紗が言うように立山とは住む世界が違うと思うし、自分とは釣り合わないという考えたくないことも頭の中に浮かんできてしまう。
「なんにしてもさ、いつまでもダラダラ立山のこと好きでいんのも微妙だと思うよ。せめて期限は決めておかないと、好きが溢れてモンスターになっちゃうかも」
「ならないっての」
でも、期限を決めることは大事かもしれないと思った。もちろん諦める気はないし振り向かせられる自信もあるけど、どこかで区切りをつけなけければいけないとは思う。
少し考えて口を開く。
「……二年生の間」
「それは甘くない?」
「じゃあ秋の文化祭が終わるまで! これ以上は無理。絶対にここまででなんとかするから、もう執着とか言わないで」
そう言ってテーブルに伏せると、少し間を空けて美紗が「わかったよ」と言った。
「ねえ美紗、明日も遊ぼうよ。文化祭までどうにかするって言ったけど、具体的にどうしたらいいかさあ、一緒に考えてよ」
そんな提案は「無理」という一言で却下された。いつメンと呼ばれる仲の良い男女二人ずつのグループで遊ぶ予定があるらしい。共通の趣味があって仲良くなったと前に美紗が言っていた。
「そういうのは自分で考えなさい。一緒に考えたらうまくいかなかったときにあたしにも責任あるみたいで嫌だし」
「うまくいかないことなんかないし!」
「ハイハイ。あんたもたまには立山誘ってどっかに行けば?」
「うーん……そのうちね」
「そのそのうちって、いつ来るんだか」
立山についてなに一つ知らない美紗が悪気なくそう言った。
会計のために二人席を立つ。あたしが割と真面目に「男女の友情なんて成立しないよ」と言うと、美紗は「いつメンだよ? ナイナイ」と笑った。
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