タンポポ(5)

 翌日、一刻も早く小野田くんに自分のありのままの気持ちを聞いてもらいたかったけど、そんなにまとまったタイミングはなかなかない。

 四時間目の体育の授業終わりのことだった。いつも一緒にいる四、五人で使った道具を片づけていると、誰からともなく恋バナが始まった。いつもならただ楽しくみんなの話を聞いているだけだったけど、今日は自分の話もしてみようかと思った。

 そのうち、ひときわ明るい性格のメイちゃんが恥ずかしそうにはにかんだ。

「最近気になってる人いるんだよね」

「えー、だれだれ。同じクラス?」

 その言葉にメイちゃんが頷くと、わたし以外の友達がキャーと面白そうに声を上げた。メイちゃんがそのままわたし達を手招きする。四、五人が集まって小さな円を作ると、メイちゃんが小さな声で言った。

「小野田誠」

 その名前を聞いて一瞬で頭が真っ白になった。指先がどんどん冷たくなっていく。盛り上がる周りとは対照的に、自分はうまく笑えている気がしなかった。顔こそ赤くはなっていないけど、メイちゃんの表情を見てこれが恋をする人の顔なのかもしれないと思った。

「でも小野田かー。メイよりも背小さくない?」

「身長なんかどうでもいいよ。これからいくらでも伸びるだろうし。小野田って目立たないけど頭良いじゃん。結構周り見えてるとこもあって、なにより優しいんだよね」

 メイちゃんの挙げる小野田くんの良いところは、わたしだってよく知っていた。

「これから頑張りたいから、みんな応援してくれる?」

「──いやだ」

 気づいたらそう口にしていた。下を向いて慌てて両手で口を塞ぐけれど、一度こぼれた言葉は元に戻すことはできない。

 だって本当に嫌だった。誰かが小野田くんのことを好きだとか、それを応援しなければならないとか、そんなことは考えたくなかった。それくらいちゃんとわたしは小野田くんのことが好きになっていたみたいだ。

「ひーなーたー」

 そう言われて恐る恐る顔を上げると、目の前のメイちゃんを含めて全員がニヤニヤと笑っている。

「なーんだ、ちゃんと小野田のこと好きなんじゃん」

「ひなた、私達になんも言ってこないから、小野田のこと断るのかと思ってたよ」

「え、え、みんなどうしてそんな全部知ってるみたいな感じなの」

 みんなのその口ぶりが理解できなくて混乱する。だってわたしは小野田くんに告白されたことを誰にも話していなかった。

「小野田がね、ひなたに告白した日クラスの男子全員にひなたのことが本気で好きだからからかわないで見守ってほしいって言ったらしいよ。それが巡り巡って女子の一部にも伝わってきたの。だから私達だけじゃなく、おそらくクラスのほとんどの人が知ってるよ。小野田とひなたになにがあったか」

「えー!」

 驚きと恥ずかしさが頭の中をぐるぐると回る。なるほど、あの生温かい視線はそういうことだったのかと合点がいく。

 でもそれほど小野田くんはわたしに対して本気だったのかと思うと、それはそれで嬉しかった。

「さっきの私が小野田のこと気になってるって話は全部冗談。私たちはなにも知らないから本当はどうなんだろーってカマかけちゃった」

 ごめん、とメイちゃんが舌を出して笑う。

「いや、それは全然問題ないんだけど……むしろ、わたしの方こそごめんね。こんなことをさせるまでなにも言わなくて。自分でも本当に好きとかそういう気持ちがわからなかったの。いつもみんなの恋愛話を聞いていても、どこか自分には遠い話だなって思っていたんだよね。でも今は、うん。ちゃんと小野田くんのことが好きだって自覚したよ。みんなのおかげでより強く実感できた」

 みんなの目を見てそう言うと、友達が一斉に「キャー」と抱きついてきた。

「もう、ひなた可愛いっ! 頑張ってよね、応援してる」

「それでその気持ちはいつ小野田に伝えるの?」

「今日……かな。もし小野田くんが忙しくなかったらだけど、放課後とかに伝えられたらなって」

「わー、もう本当に頑張ってね!」

 そう言って友達が抱きしめる力をさらに強めてくる。みんなわたしよりも少しずつ背が大きいから半分覆いかぶさるような形だ。

「ちょっと、みんな苦しいよ」

 そんなふうにじゃれあっていたら女子の体育を担当している教師がやって来て、「片づけにいつまでかかってるの! もう給食の時間になるでしょ。さっさと戻りなさい」と怒られた。

 小走りで体育館と校舎とを繋ぐコンクリートの通路を渡る。爽やかな春の風が頬をかすめてそのまま心まで通り抜けていく気がした。

 今日の放課後、小野田くんにどうやってわたしの想いを伝えようか。あのときの小野田くんもこんなに緊張したのかな。そう考えたらこんなに待たせてしまったのが申し訳なくなった。

 教室に戻る途中、廊下の手洗い場で手を洗っていると「遅かったね」と小野田くんに声をかけられた。うん、と答えたあとで「話があるんだけど、今日の放課後大丈夫かな」と言うと、小野田くんはいつかみたいに怯えたように顔を歪めて頷いた。

 小野田くんに告白の返事をすると決意したら、緊張でなにも手につかなくなった。給食は大好きなハンバーグだったのに味がよくわからなかったし、気がついたら目の前の皿が空になっていた。その後の授業では、板書もメモも完璧だったけど、そこには文字が並んでいるだけで、いつもみたいにちゃんと理解しているわけではなかった。

 恋って少し怖い。まだ付き合ってもいないのに、それしか考えられなくなっている自分がいる。これが両想いになってしまったら、わたしはどうなってしまうのだろう。そんな知らない世界を怖いながらも楽しみにしつつ、しっかり自分を見失わないようにしたいと思う。

 一つ一つの授業と短い休み時間を交互に重ねて、ついに放課後がやって来た。部活に向かう友達が「じゃあ、ひなた頑張って」と小さく声をかけてくれた。

 だいぶ人が少なくなった教室で、わたしの席に小野田くんが近づいてくる。

「将棋部、今日も活動ないから、そこで待ってるね」

 そう言って教室を出て行った。小野田くんから少し時間をおいて、わたしも席を立つ。緊張で震える両手を合わせてフーッと息を吹きかけた。

 将棋部の使っている教室の扉を開けると、告白されたときと同じように小野田くんは窓を背にして立っていた。相変わらず教室の半分は机と椅子で埋まっていて、緊張も相まって前よりも圧迫感がある気がする。沈みかけの太陽を背中に受ける小野田くんが眩しかった。

「大丈夫だよ。僕の気持ちとか、そんなのは気にしないではっきり言ってもらって」

 振られると勘違いしているのか、目の前の小野田くんの笑顔に寂しさが滲んでいる。そうではないということを早く伝えたくて、その言葉に何度も頷いてから口を開いた。

「ちゃんと小野田くんに告白されてから自分の気持ちと向き合って、恋についてたくさん考えて、それでわかったの。小野田くんのことがすごく好きだって」

 あのときの小野田くんみたいに、そう言ったわたしの語尾も震えた。

「昨日の放課後、小野田くんがいなくなってしまったから言えなかったんだけど、かけてくれた言葉がすごく嬉しかった。こんなに温かくて優しい言葉を選べる小野田くんが素敵だなって思ったし、小野田くんの言葉にわたしは二度も救われたの。ううん、教室に飾られたお花の世話をしていることに気づいてくれたことも含めたら、わたしは随分前から小野田くんに救われていたのかもしれないね。そう考えると、もうずっと前から小野田くんのことが特別だったんだと思う。ちゃんと時間をかけてわたしに考える時間や向き合う時間をくれて本当にありがとう」

 心臓がうるさいくらい耳に響いてくる。自分の言っていることが変じゃないかと考えるけど、口にした言葉が頭に残らないほど緊張で頭が真っ白だ。

「長谷川さん、ちゃんと向き合ってくれてありがとう。僕、今この瞬間まで正直毎日不安だったんだ。平気なふりして長谷川さんを振り向かせたくて、頑張って笑ってた。だから同じ気持ちになれて、嬉しいを通り越して安心してる」

 深く息を吐きながら、小野田くんがしゃがみ込む。合わせるようにわたしも向かい合ってしゃがんだ。小野田くんが顔を上げる。

「好きだよ、長谷川さん。すごく」

 噛み締めるようなその言葉が全身に流れた。ビリビリする頭で何度も頷く。

「わたしも好き」

 そう答えたら、なんだか涙が出そうになった。

「わたしね、昨日も今日も忘れたくないし、小野田くんにも忘れないでいてほしいって思ってる。これって重いかな」

「全然重くないよ! 大丈夫、忘れないよ。忘れろって言われても忘れてあげないし、誰かに無理やり忘れさせられそうになったら、死んでも抵抗する」

「死んだら駄目だよ…………へへ」

「二人で覚えていようよ。できるだけ」

「うん、できるだけ」

 頷きながら、やっぱり小野田くん言葉の選び方が好きだと思った。しゃがんだまま、目の前の小野田くんが少しだけこちらに近づいてくる。

「これって、両想いってことでいいんだよね」

 その言葉に頷く。

「僕ら付き合うってこと、だよね?」

 再び頷くと、小野田くんが「よし!」とガッツポーズして喜びを爆発させた。

「じゃあ、えっと、今日からよろしく。長谷川さん」

 差し伸べられた右手に同じく右手を重ねる。

「こちらこそよろしくね、小野田くん」

 重ねた右手がギュッと握られる。保健室のときはなんとも思わなかったけど、小野田くんの手はわたしよりも大きかった。陽だまりみたいに温かく優しい手をしていた。

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