第6話 標識様





 最初に標識様と出会ったのは、ユキちゃんだった。

 小学二年生の夏休み、お母さんとお父さんと、五歳離れたお姉ちゃんのレイちゃんと一緒に、親戚のオバサンの家に二日間だけ遊びに来た。

 一泊だけして、オバサンの家から出発する日、ユキちゃんが朝起きると、お母さんはオバサンと二人で出かけていて、お父さんはパソコンのキーボードを必死に叩いて仕事をしていた。

 お姉ちゃんはスマホに夢中で、ユキちゃんと朝の挨拶を交わしただけで、遊び相手にはなってくれそうにない。

 ユキちゃんはオバサンが用意してくれたトーストを食べて、素早く私服に着替え、こっそり知らない町の散歩に出た。

 オバサンの家の敷地を出て、目の前の道を右へ曲がる。

 暫く歩くと十字路に出たので、ユキちゃんは左の道へ顔を向けた。

 少し離れた場所に、黒いスーツ姿の男性が体育座りをしている。

 男性の顔は通行止めの標識で、座っているはずなのに、縦にとても大きい。

 ユキちゃんはビックリして、目と口を大きく開いたまま動けなくなってしまった。


「ユキ!!」


 いきなりレイちゃんの怒鳴り声がして、ユキちゃんは振り返った。

 オバサンの家から出てきたレイちゃんが、スマホを片手に歩いてくる。

 声と表情からして、レイちゃんはかなり怒っていた。


「勝手に出歩かないでよ!迷子になったらどうするの!」


「ごめんなさい!」


 ユキちゃんにとって、顔が標識の異常に大きな男よりも、目の前で怒っているレイちゃんの方が恐かった。

 ユキちゃんは素直にレイちゃんの後についてオバサンの家に戻り、お母さんとオバサンが帰って来るまで、居間でテレビを観て過ごすことにした。


 ユキちゃんの隣で、レイちゃんはスマホを真剣に見つめている。

 レイちゃんは心霊や都市伝説が大好きで、その日も朝から都市伝説のサイトをいくつも閲覧して暇を潰していた。

 都市伝説の実体験を投稿するサイトの中に、「標識様」という題名の投稿を見つけて、気になったレイちゃんは投稿話を読み進めていく。

 それは投稿者の友人が体験した出来事で、深夜にドライブをしていると、顔が標識の、信号機よりも大きな男に出会うという話だった。


「ユキ、標識様って知ってる?」


「標識⋯」


 レイちゃんは怖がりなユキちゃんに、この話を教えてあげることにした。

 親切心からではなく、イジワルで。


「夜中に車に乗ってると、真っ黒なスーツを着た、顔が標識のすっごい大きな男に、道を塞がれるんだって。標識様に出会ってしまうと、事故にあって死んじゃうんだってさ!」


「会ったよ⋯」


「えぇ?」


「私、標識様に会っちゃった⋯」


 レイちゃんの顔を見たユキちゃんは、顔面蒼白で今にも泣き出しそうな表情をしている。

 レイちゃんは信じられなくて少し笑った瞬間、オバサンとお母さんが元気よく帰って来る声が聞こえた。


 夕方、オバサンの家を出発する時間になった。

 ユキちゃんは道で見た標識様のことを必死に話すのだが、誰も信じてくれない。

 オバサンは笑いながら、この辺りにそんな噂はないと言う。

 お父さんは休日まで仕事をしていたから疲れていて、ユキちゃんの話なんて相槌を打つだけでまともに聞いていない。

 お母さんは荷造りをして、車に荷物を積むお父さんの手伝いで忙しい。

 ユキちゃんはレイちゃんに、「ユキうるさい!」と叱られてしまった。

 最初に標識様の話を始めたのは、レイちゃんなのに。


「お母さんがいい!」


 オバサンに別れの挨拶をして、レイちゃんとユキちゃんが車の後部座席に座り、お父さんが運転席に乗り込もうとすると、二人は同時に声をあげた。

 お父さんが疲れていて、運転している時に居眠りしてしまわないか心配だった。


「大丈夫大丈夫、ガム食べながら運転するから」


「標識様に会っちゃったんだから注意しないと!」


「お母さん運転変わってよ!」


「大丈夫よー、お父さんしっかりしてるもの」


「そうそう、大丈夫大丈夫」


 大丈夫と言いながら、お父さんは大きなあくびをした。

 レイちゃんとユキちゃんは非常に不安だったが、お母さんは運転を変わるつもりは全くなさそうだ。

 二人の心配を気にせず、車はお父さんの運転で出発してしまった。


 出発して暫く走って、高速道路に入るとすぐに渋滞が始まっていた。


「みんな疲れてるだろ、寝てて良いよ」


 お父さんの声かけに、お母さんもレイちゃんも早々に目を瞑ったが、ユキちゃんは目を開けて、ずっと前を見つめていた。

 助手席に座ったお母さんが眠る姿を見るのは初めてだったし、レイちゃんが車の中でスマホを見つめていない姿も初めて見た。

 後部座席に座ったユキちゃんが眠くならないのも初めてで、ユキちゃんは、お父さんが居眠りしませんように、お母さんとレイちゃんが早く起きて会話に加わってくれますように、標識様が現れませんように、そんな様々なことを願いながら、必死にお父さんに話しかけていた。


 渋滞も終わり、高速道路から出た時、時刻は22時を過ぎていた。

 お母さんもレイちゃんも爆睡していて、起きる気配はない。

 ユキちゃんの話題も尽きてしまって、車内は静まり返っていた。

 お父さんも限界が近いのか、いつもよりも前屈みになり、慎重に運転している。

 自宅まで、まだまだ先は長い。


「お父さん、ラジオつけて」


「あ、そっか、そうだな」


 ユキちゃんの提案に、お父さんも思い出したようにラジオのスイッチを入れた。

 小さめの音量で、ラジオが流れ始める。

 お父さんも姿勢を正して、ハンドルを握る指でリズムをとったりしている。

 ユキちゃんも少し気が緩み、背もたれに寄りかかった。


 ウオオオオォォォ⋯⋯


 突然、どこからか低い声で泣き叫ぶような声が聞こえてきて、ユキちゃんは前に身を乗り出し、お父さんは驚いた様子でキョロキョロと辺りを見回した。


 ウオオオオォォォォォン⋯⋯


「なんだろうね、狼⋯かな?」


「お父さん、動物じゃなくて、男の人だよ」


 お父さんの問いに、ユキちゃんが答える。


 オォォキィィロオオオ⋯⋯


 そう声がした瞬間、ユキちゃんの前に座るお母さんの体がビクっと揺れて、レイちゃんも目を覚ました。


「なぁに?起きろって言った?」


「いや。俺じゃないよ」


 オオオォォォォン⋯⋯


 お母さんとお父さんが話してる最中も、叫び声は聞こえている。


「標識様だ⋯」


 レイちゃんが小さく呟いた。


「あなた!前!!」


 それと同時にお母さんが叫んで、車が急ブレーキをかけて前後に揺れ、止まった。

 車のライトに、黒くて大きな柱が一本照らされている。

 その柱は、車道のど真ん中で道を塞ぐように立っていた。


「みんな外に出て!」


 レイちゃんが叫んで、車の外に出る。

 ユキちゃんもその指示に素早く従った。

 幸い、他に車は一台もいなくて、お母さんとお父さんも後ろを確認しながらゆっくり外に出てきた。

 大きな柱だと思っていたものは、大きな人の脛の部分だった。

 顔は車両通行止めの標識、黒いスーツ姿、信号機よりもはるかに大きい標識様が、体育座りをして道路を塞いでいた。


「なんだあ、これ⋯」


 お父さんが標識様を見上げながら呟く。


「標識様、ありがとうございました。」


「ありがとうございました」


 レイちゃんがお礼を言って、頭を下げる。

 ユキちゃんも同じようにお礼を言った。


 ウオオオォォォン⋯⋯


 標識様から声が聞こえて、ユキちゃん達と車を残して、標識様は静かに消えてしまった。

 出発した車の中で、レイちゃんは標識様について家族に説明した。

 標識様は、昔居眠り運転で事故を起こして亡くなって人で、運転手に注意を促すために現れる、ありがたい幽霊。

 しっかり外に出てお礼を言えば、事故なく無事に家に帰してくれるらしい。

 そしてユキちゃん達は、無事に家まで帰ることが出来たのだった。










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