第5話 お野菜母さん
メグミちゃんは、生野菜が食べられない。
レタス、キュウリ、トマトが入ったサラダが食事で出た時は、必ず一口だけ食べて、残してしまう。
食べられなくて、サラダを目の前に一時間泣いたり騒いだりした夜もあった。
学校の給食で出ても、食べられない。
家だとお母さんが食べられるように考えて、少なめに盛ってくれるけど、給食だと量も多いし、時々生の玉ねぎとか、パプリカとか入ってたりするから、余計に食べられない。
二年前の三者面談で、メグミちゃんのサラダ嫌いが原因で、担任の先生にお母さんが注意された。
そのことで、お父さんもお母さんのことを叱った。
お母さんは、悪くない。
メグミちゃんが生野菜を食べられるようになれば良いだけだ。
それが出来ないまま、メグミちゃんは小学三年生になった。
その日は雨が降っていて、とても寒い朝だった。
お母さんは台所で作業をしている。
私服に着替えたメグミちゃんが椅子に座っていて、テーブルの上のお皿には、目玉焼きとウィンナー、焼き色のついたトーストと、湯気がたっているコーンスープ、それに少なめに盛られたサラダがあった。
「お母さん⋯」
メグミちゃんは控えめに声をかける。
お母さんは、メグミちゃんの言いたいことがわかる様子で、作業を止めずに顔だけあげた。
「サラダ、今日は全部食べてね」
「⋯⋯。」
「メグミ、もう三年生だよね?いつまでもそんなんじゃいけないよ。せめて出された分だけは食べられるようにならないとさぁ⋯」
「⋯⋯。」
お母さんに正論を浴びせられる。
メグミちゃんは家を出なくちゃいけない時間になるまで、ゆっくり時間をかけて、サラダ以外の朝食を完食した。
せっかくきちんと量も考えて作ってくれているのに、どうしても食べられない。
メグミちゃんはサラダを残すたびに、心の中で、時には口に出して、お母さんに謝った。
学校に登校して、メグミちゃんは教室の机に突っ伏して考える。
どうしたらサラダを美味しく食べられるようになるのだろう。
サラダを完食して、お母さんに美味しかったよと伝えたい。
「またサラダ食べられなかったの?」
クラスが三年間同じ友人、アカリちゃんの声がして、メグミちゃんは顔をあげる。
机の正面に、腰に手を当てたアカリちゃんが立っていた。
アカリちゃんはメグミちゃんと違ってサラダが大好きで、本当に美味しそうに食べる。
メグミちゃんはそんなアカリちゃんに憧れていた。
アカリちゃんみたいに美味しくサラダを食べる姿を、お母さんにみせてあげかった。
「朝から泣きそうな顔しないの!毎日一口ずつ練習していけば、いつか完食出来るようになるよ!」
「いつかって、いつ?」
「いつかは、いつかだよ!」
「五日後のことかぁ?」
タカシ君が冗談を言いながらやってくる。
タカシ君も、アカリちゃんと同じで三年間クラスが一緒の友人で、サラダは嫌そうな顔をしながらでも完食出来る子だ。
「メグミ、お野菜母さんって知ってるかぁ?」
「お野菜母さん?」
「六年の一人の男子が、やっぱりサラダが嫌いで毎日残してたんだ。そしたらある日の真夜中、サラダが捨てられたゴミ箱の前にお野菜母さんが現れて、
ステナイデェ⋯ゼンブタベテェ⋯って泣いてたんだって!」
「ちょっとタカシ!メグミちゃん怖がらせないでよ!!」
メグミちゃんはその男子のその後が気になったけれど、アカリちゃんとタカシ君が言い合いを始めてしまい、尋ねることが出来なかった。
その日の夕食は、トマトソースのハンバーグとポテト、白米と味噌汁、それに今朝メグミちゃんが残したサラダが、テーブルに並んだ。
サラダはメグミちゃんの目の前にだけ置いてあって、お母さんの分もお父さんの分も用意されていない。
お父さんとお母さんが楽しく会話をしながら、食事を進めていく。
メグミちゃんもちょっとずつ会話に加わりながら、やっぱりサラダ以外の料理を完食した。
お父さんに叱られる前に、メグミちゃんは食器を流し台へ持っていき、サラダをゴミ箱に捨てて、素早く階段を駆け上がり、自分の部屋に避難して扉を閉めた。
お母さんがメグミちゃんを呼ぶ声、お父さんが怒鳴る声が下の階から聞こえて、すぐに怒鳴り合いの夫婦喧嘩になる。
メグミちゃんはベッドの中で布団を被り、何度も何度も心の中で謝り、震えながら声が聞こえなくなるのを待った。
遠くでお母さんがすすり泣く声が聞こえて、メグミちゃんは目を覚ました。
いつの間にか眠っていて、ベッドの脇にある目覚まし時計を確認すると、午前二時を過ぎている。
耳を澄ますと、下の階でお母さんがすすり泣いている。
メグミちゃんは音をたてないように、ゆっくりと部屋を出て、階段を降りて行った。
リビングの扉が少し開いていて、隙間から光が漏れている。
すすり泣く声も、リビングから聞こえた。
「お母さん⋯」
メグミちゃんは呟くように声をかけて、リビングに入っていく。
台所の電気が付いていて、ゴミ箱の前に、俯いている女性が立っていた。
背は高くて、髪は金色で長い。
真っ赤で長いエプロンを身に着けている。
その人はメグミちゃんのお母さんではなくて、全く知らない女性だった。
「⋯ステナイデェ⋯ゼンブタベテェ⋯」
震える声で、女性は呟く。
メグミちゃんはパジャマの裾を握り締めたまま、その場から動けなくなってしまった。
「ステナイデ⋯ゼンブタベテヨォ⋯」
女性の肩が小刻みに震えているように見えた。
メグミちゃんの目から、自然と涙が溢れる。
もしかしたらお母さんも、捨てられたサラダが入ったゴミ箱の前で泣いたことがあったのかもしれない。
そう思うと、メグミちゃんは恐怖よりも申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「ゼンブタベテェ⋯」
「ごめんなさい⋯」
メグミちゃんは謝ると、泣きながら女性の背中に抱きついた。
「生野菜ってね、噛んで飲み込むんだけど、欠片がいつまでも口の中に残ってる感じがするから、嫌いなの」
お母さんに伝えたくても伝えられなかった言葉が、スルスルと出てくる。
女性は俯いたまま、何も言わずにメグミちゃんの話しを聞いてくれた。
「お母さんが、メグミのことを思って、食べやすいように量を減らしてくれてるって、知ってたの。それなのに、少しでも完食出来なくて、美味しいって言えなくて、ごめんなさい⋯」
「いいのよ⋯」
腰に抱きついているメグミちゃんの手を、女性の手が優しく包みこんだ。
「どんなあなただって、愛してるわ⋯ありがとう⋯」
女性はゆっくりと、静かに消えて行った。
翌朝、メグミちゃんは台所で寝ているところをお母さんに起こされた。
深夜に現れた女性のことをお父さんとお母さんに話したが、全く信じてもらえなかった。
その日の朝食に、いつもよりも少なめのサラダが出た。
メグミちゃんは、サラダのレタスを一欠フォークでさして、勢い良く口の中に入れてみる。
やっぱりサラダは嫌いだし、美味しくなかった。
アカリちゃんのように美味しく完食出来るまで、まだまだ時間はかかりそうだ。
それでもメグミちゃんは嫌な顔をせずに、サラダを含めたその日の朝食を完食することが出来た。
「美味しかったよ、ご馳走様でした!」
いつもよりも大きな声でお母さんに伝えると、お母さんが嬉しそうに笑ってくれた。
その笑顔を見て、メグミちゃんはとても嬉しくなった。
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