第2話 傘女
「傘女に会ったぞ」
部活終わり、体育館でバスケットボールを拾い集める俺に、同じ部活で活動している友人、ユウキが話しかけてきた。
見ると、真面目に片付けをしている俺と違い、ユウキの両手にはボールが一つも持たれていない。
ユウキには片付けをするつもりは一切なく、片付けが終わるまで人の後ろにくっついて口を動かし、終わったら帰るつもりだろう。
「聞いてんのかカオル!傘女に会ったんだって!」
無言でボールを拾い続ける俺に、ユウキはしつこくついてきて、肩を掴んで揺さぶってくる。
「おいユウキ!カオルの邪魔してねぇで片付けしろよ!」
「はぁい⋯」
遠くにいたタクミ先輩に怒鳴られて、ユウキはカオルの肩から手を離した。
さすがタクミ先輩だ。
片付けだって手伝いながら、後輩達の事をよく見ている。
「傘女って?」
怒鳴られて大人しくなってしまったユウキが可哀想になり、倉庫の中にある籠にボールを入れながら、話しを聞いてやることにした。
「傘女ってさ、雨の日に傘を持ってない男子の前に現れる妖怪なんだよ。細くて長身で、真っ黒な長い髪で、真っ赤なロングのワンピース着てるんだよ」
「へぇ⋯」
「沈んだ高い声で、傘持ってきたよぉって言って、貸してくれるんだ。断ると怒って、傘で刺し殺される。素直に受け取ると、微笑んで消えていくらしい」
「おい!!!」
体育館中に響き渡るくらいの大声で呼ばれて、俺とユウキは驚いて振り返る。
大きな体で倉庫の出入り口を塞ぐようにして、タクミ先輩が立っていた。
「ユウキ、その話し⋯」
一度だって見たこともないような、泣きそうな表情をしたタクミ先輩が、静かな声でそこまで言うと、体育館の出入り口から先生がタクミ先輩を呼ぶ声が聞こえた。
タクミ先輩は振り向いて大声で返事をすると、もう一度俺とユウキの方に向き直る。
「⋯早く帰れよ」
静かな声に戻して呟くと、タクミ先輩は走って体育館の出入り口まで行ってしまった。
俺とユウキは言われた通りに倉庫を出て、さっさと帰り支度を始める。
傘女の話などすっかり忘れて、俺達は家に帰った。
数日後の放課後の部活終わり、傘を持っていないのに、外は土砂降りだ。
「朝は晴れてたじゃんかぁ」
生徒が一人もいない静かな昇降口で、一人呟いた。
忘れられた傘を借りようかと、傘入れを確認するが、皆考えることは同じらしく、一本も残っていない。
仕方なく、俺は鞄を傘代わりに掲げながら、昇降口を出て走り出すが、部活動の後の疲れた体で家まで走るのは厳しく、正門を出るとすぐに歩き始めた。
冷たい雨に濡れながら、俯いてひたすら歩く。
寒い。冷たい。早く帰りたい。
そんな事を考えながら歩いていると、すぐ目の前に、黒いヒールと白い足、真っ赤なロングワンピースの裾が現れた。
「あ。すいません」
咄嗟に謝って左に避けると、黒いヒールも左に避けてくる。
あれ?と思って顔を上げると、背が高く、長い髪で顔まで隠れた、大きな赤い傘をさした女が立っていた。
瞬間的に、見上げていた顔を下げる。
その女が傘女なのだと、すぐにわかった。
「⋯傘」
「ひぇっ!!?」
暗く沈んだ声で話しかけられて、俺は体が固まって動けなくなってしまう。
俯いて動けない俺の視界の隅に、白い手に握られた黒い傘が、ゆっくりと現れる。
「傘、持ってきたよ⋯」
「⋯あ。」
急に、ユウキが話していた傘女の話しが思い出された。
消えてもらうには、どうしたら良いんだっけ⋯?
恐怖と寒さで体が震える。
傘を受け取らないといけない。
わかってはいるが、震えた体が思い通りに動かない。
ガタガタ震えて立っていると、俺を見下ろしていた傘女が、ゆっくりと顔を下げてきて、俺の頭の上で停止する。
「傘、持ってきたよ⋯」
傘女の声が、さっきよりも低くなった気がする。
怖い。
素直に受け取らないと、どうなるんだっけ⋯?
このまま走ったら、逃げられるんだっけ⋯?
「姉ちゃん?」
「!?」
聞き覚えのある声がして、驚いて振り返る。
雨でビショビショに濡れたタクミ先輩が、悲しそうな表情でそこに立っていた。
タクミ先輩はゆっくり近づいて来て俺の横に立ち、静かに傘女を見つめている。
傘女はいつの間にか姿勢を戻し、真正面を向いて立っていた。
「ごめんな、姉ちゃん⋯。俺、素直じゃなくて⋯。傘持ってきてくれた時、嬉しかったよ、ありがとう」
タクミ先輩は傘女を優しい表情で見つめながら語りかける。
傘女から、怖い雰囲気はさっぱり消え去っていた。
俺の恐怖心も消えていて、正面を向いてタクミ先輩の話しに耳を傾ける。
「風邪ひかないように帰るから。姉ちゃんも、一緒に帰ろう」
そこまで言うと、タクミ先輩は優しい表情のまま、隣に立っている俺を見下ろした。
「カオルも悪かったな、怖い思いさせちゃって。詳しいことは、明日ちゃんと話すから。傘、受け取ってやって」
「え、でも先輩が⋯」
「良いんだよ。お前に傘を貸すために現れたんだから」
傘女がもう一度、黒い傘を差し出してくれた。
見えた口元は微笑みを浮かべている。
「ありがとうございます」
傘を受け取って、お礼を言う。
傘女は微笑みながら、静かに消えていく。
本降りだった雨は、いつの間にか止んでいた。
その日、タクミ先輩は俺を家まで送ってくれてから、自分の家に帰って行った。
翌日、タクミ先輩は姉ちゃんが怖がらせたお詫びだと言って、俺とユウキにコーラを奢ってくれた。
体育館の外にあるベンチに俺とユウキを座らせて、タクミ先輩は傘女について教えてくれた。
タクミ先輩には歳の離れたお姉さんがいたこと。
お姉さんは五年前の雨の日、タクミ先輩を迎えに行く最中、交通事故にあって亡くなってしまったこと。
事故の数日前、機嫌が良くなかったタクミ先輩は、迎えに来てくれたお姉さんを突き放すような言い方をしたこと。
傘女の噂は何度か聞いたことがあり、お姉さんが亡くなった日に身に着けていた服の色と、傘女の服の色が一致していて、会って確かめたいと思っていたこと。
「姉ちゃん、きっとまた雨の日になると、現れるんじゃないかな。傘を忘れた男の子に、傘を貸してあげるために」
タクミ先輩はそう言って微笑んだ。
俺も、傘女はまた現れると思う。
傘を忘れて、雨に降られてしまった可哀想な男の子の前に。
冷たくて、寒い思いをしないように。
風邪をひいて、辛い思いをしないように。
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