6 料理の利点
さて、下拵えから始めよう。
私は【
ネムリキノコはまず先に茹でておこう。
名前の通り睡眠効果のあるこのキノコは、ちょっと火を通したくらいでは成分が強過ぎる。食べた人はすぐにこてんと眠りについてしまうだろう。
だからこうしてエキスを程々に抜いておくのだ。
不眠に悩まされているティルフィアさんには効果が強いくらいで丁度良いのでは?、なんて意見もあるかもしれない。
けどそうした即効性のある強い効果というのは、往々にして体に負担がかかる。そのときはそれで解決したかに思えても、いずれ必ずどこかにしわ寄せが来る。
私が目指しているのはじんわりゆっくり、けれど確実に体を強くする、人に優しい薬膳料理だ。だから単純に眠らせるだけでは足りないと思っている。
ティルフィアさんの体のバランスを崩すほどの緊張、ストレス、そして
そのために必要なのは、徹底的な計算、緻密で繊細な調理という手仕事からもたらされる“活発な幻素活動”である。
考慮に入れなければならない情報は、素材や調理法だけではない。ティルフィアさんその人の幻素状態を知ることも非常に大切だ。
ゆえに以前同じ症状の人がいて効果のあった調合法を知っていたとしても、以前と全く同じ素材で同じ工程を踏めば良いわけではない。幻素状態は人によって異なる。
ティルフィアさんにはティルフィアさん用の、オーダーメイドの調合が求められるのだ。
そういったありとあらゆる知識、情報を頭に詰め込み、総動員した上で、あとは感覚に従って手を動かすのが私の流儀だ。まあそんな難しく表現せずとも、これはすべての仕事に言えることだとは思うけど。
誰しも料理するとき、味見して「美味しい」って思えたらそれが正解だろう。「美味しい」っていうその感覚が何を根拠にしているのか、どんな基準から来ているルールなのかなんて、考えもしない。
絵描きだってそう。この青ちょっと濃過ぎたな、だから水を足そう――――――どういう理屈で「濃過ぎた」と感じたのかなんて、いちいち疑問にも思わない。
究極的に言えば、そういうこと。人は自然に、「美味しい」、「美しい」、「心地よい」、「正しい」という感覚を持っている。
そう、つまり、私は正解を知っている。あとはその正解を目指して計算を組み立て、忠実に方程式を辿れば良いだけ。
茹でたネムリキノコは玉ねぎ、ベーコンと共に炒め、ホワイトシチューを作る。
リラックス効果のあるトマタンは潰して、赤ワインやスープ出汁、牛肉などと一緒に煮込む。
体内時計を整える役割を果たすナババは、普通のバナナと違って形が楕円形である。不審に思われないよう、バナナと遜色ない形に実を削っておこう。
キラキラと虹色の光を反射するビジュモットの鱗粉は、トッピングにあしらう程度で十分。魅了状態を誘うこの素材は、ごく少量であればストレス緩和の効果を期待できる。
そしてこれらすべての成分がティルフィアさんの体内に吸収され、彼女の幻素と調和よく結び付いたその時、この薬は真の意味で完成したと言える。
メインメニューが出来上がった頃合いで、食堂の入口が騒がしくなってきた。
「お疲れ様ーっ。もう、何この食欲そそる良い匂い~。超楽しみなんだけど~」
「今日はヴァニラちゃんのスペシャルメニューなんだって? しっかり腹空かしてきたよ」
「ペコハラペコハラ。俺これから夜番なんで、量多めで頼むわ」
ティルフィアさん、そして数人の自警団員の皆さんだ。
ティルフィアさんには彼女の都合を聞いた上で、「今夜はティルフィアさんのためのスペシャルメニューなので是非来てください」って伝えてある。とはいえ勿論、他の団員の方々がこうしてやって来ることも想定済みだ。
だから実はティルフィアさん用のメニューとは別に、一般用の食事も同時進行で作っている。
こちらにはダンジョン素材は使っていない。でも見た目も香りも味もそっくりなものだ。
トマタンやナババがあるのに、普通のトマトやバナナも用意したのはこのためである。
唯一デザートの飾りに使うビジュモットの鱗粉だけは、違いが分かりやすいかもしれない。けど些末な点の域を出ないだろう。
「ティルフィアさん用に考えたスペシャルメニューなので、ティルフィアさんにだけ特別感を出してみました」とでも言えば、きっと誤魔化せる。
つくづく、“料理”の利点はこういうところだよね、と思う。私が迷宮学士の
多くの人は、“薬”というものに一定の抵抗感を覚えている。私が「体に良く効く薬です」って言っても、受け入れてもらえない場合が少なくない。
でも「体に良い料理です」って言うと一転、人々は振る舞われたものを躊躇なく口に運び胃に収める。
空腹であれば尚更、美味であればなお尚更、周りの人も同じ物を食べているともなればなおなお尚更。相乗効果は何倍にもふくれ上がる。
すなわち料理とは、被検体の警戒心を除き去るという点で実に都合の良い媒介なのである。
「いらっしゃいませ、お疲れ様です。今日は沢山召し上がってくださいね」
団員の皆様を出迎える私は、にやりと……じゃなくて、にっこりと微笑みを浮かべた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます