第2話 初日の洗礼

 朝礼が終わると、岩井美智子が腕を組んで睨みつけてきた。


「佐々木、まずは電話対応から。新人は電話番とお茶くみが基本。余計なことは考えずに、とにかく言われた通りやるのよ」


「はい!」


「電話は三コール以内に取る。最初は『お電話ありがとうございます、田村不動産です』。名乗る必要なし。聞かれたら答えればいい。で、相手の名前と用件を聞く。バカみたいに復唱するな。いちいち相手をイラつかせるだけだから」


「は、はい……」


「メモは必ず取ること。電話終わった後に『なんでしたっけ?』なんて聞いたら、その時点でクビよ。理解した?」


「……はい」


「ちょっとでも迷ったらすぐ聞くこと。でも、無駄に何度も聞くなよ? そんなこともわからないの? って思われるから」


「……」


 次々と飛んでくる指示の圧に、彩花はすでに息が詰まりそうだった。


「はい、次。お茶くみ」


「えっ……?」


「何、驚いてるの? 女の仕事でしょ」


「……はい」


「社長には熱めの緑茶、私はコーヒーブラック、高橋さんはミルクだけ入れたコーヒー、斉藤くんはブラック。さっさと用意して」


「はい!」


 給湯室に向かい、急須にお湯を注ぐ。とにかく急がなきゃ、と焦りながら湯呑みにお茶を注いだ。


(これでいいのかな……?)


 湯呑みをトレーに乗せ、社長のデスクへ向かう。


「失礼します、お茶をお持ちしました」


「おう、そこ置いとけ」


 社長は新聞をめくりながら言った。


 その横から、にやけた顔の高橋が口を挟む。


「いやぁ、新人ちゃんが淹れてくれるお茶は格別だねぇ」


「あ、ありがとうございます……」


「いやいや、こっち向いて? せっかく可愛い顔してんだからさ」


「えっ……」


「うん、いいねぇ。その初々しい感じ、最高。社会に染まる前の女って、やっぱいいよなぁ」


「……」


「ねえ、今度、俺の分だけ特別に美味しく淹れてくれたりする?」


「……はぁ」


「いやいや、返事は『はい』でしょ?」


「あ、はい……」


「よしよし、素直でいい子。新人は可愛げが大事だからねぇ」


 高橋は満足そうに笑う。


「佐々木! 何ダラダラしてんの!?」


 突然、鋭い声が飛んできた。


「はっ……すみません!」


「さっさと他の分も持ってきなさい! 何回言わせるの?」


 急いで給湯室に戻り、他の人のコーヒーを用意する。急いだせいで、少しカップのふちからコーヒーがこぼれてしまった。


(やばい、拭かないと……)


 慌ててペーパーで拭いて、トレーに乗せ直す。


「お待たせしました!」


「遅い! そんなノロノロしてたら仕事にならないでしょ!」


「すみません……」


「それに、コーヒーの量、多すぎ。こぼしそうじゃない?」


「えっ……」


「こぼしたらどうするつもり? いちいち机拭いて回る気?」


「す、すみません……」


「あと、お盆の持ち方が汚い。そんなのじゃ、お客様に出せないでしょ」


「……」


「何黙ってんの?」


「気をつけます!」


「口だけなら何とでも言えるわよ。次やったら、本気で怒るからね」


「……はい」


 岩井に怒鳴られ、高橋にはねちねち絡まれ、彩花はもうぐったりだった。


 ようやく一息つけると思ったのも束の間、今度は田村社長が声をかけてきた。


「おう、新人。ちょっとこっち来い」


「あ、はい!」


 社長の席に近づくと、ぐっと腕を掴まれた。


「お前、なかなかいい顔してんな」


「えっ……?」


「営業なんて、愛嬌がすべてだ。特に女はな」


「あ、あの……」


「女はお客様にはニコニコして、可愛い声で対応すれば、それだけでうまくいくんだよ」


「……」


「なぁ、ちょっと俺の肩揉め」


「えっ……?」


「いいから。新人は気を利かせるもんだ」


「あの……」


「仕事だと思ってやれよ?」


 断れる空気ではなかった。仕方なく、社長の肩に手を置き、ぎこちなく揉み始める。


「お、なかなかいいじゃねぇか」


「……」


「こうやってな、男の扱いを覚えるのも社会勉強だぞ?」


「……はい」


「ほら、高橋、お前も後で指導してやれ」


「もちろんっすよ、社長」


 高橋がいやらしく笑う。


「じゃあ、今日はここまで! まあ、最初にしてはマシだったな!」


 田村が大声で笑う。


 彩花は、デスクに戻ると同時に深いため息をついた。


(社会人って、こんなに疲れるものなの……?)


 入社初日。すでに心が擦り減っていたが、彩花はまだ「これが普通」だと思い込んでいた。

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