それって普通ですか? ~ブラック不動産会社の新人日記~
やまびこ
第1話 卒業。そして就職。
春の風が、制服のスカートを揺らした。
福岡県のとある地方都市。佐々木彩花は、高校の卒業式を終え、校門の前でスマホを手にしたまま立ち尽くしていた。
「就職組は、今日から自由の身って感じだよねー」
隣で伸びをしながらそう言ったのは、幼馴染の村瀬真由だった。彼女は進学組で、県内の短大へ進む予定だ。
「彩花、ほんとに地元で就職するの?」
「うん。就職先、ようやく決まったし」
彩花は少し誇らしげに答えた。就職活動は大変だった。先生には「今どき高卒の就職は厳しいよ」と言われたし、合同企業説明会では大卒や専門卒が優遇される現実を目の当たりにした。何社も応募し、ようやく内定をもらえたのが地元の不動産会社「田村不動産」だった。
「そっか。でも、不動産ってなんか難しそうじゃない?」
「営業だから、頑張ればなんとかなると思うよ!」
実際のところ、不動産の知識なんてゼロだった。それでも「やる気があれば大丈夫!」という社長の言葉を信じて入社を決めたのだ。
「まあ、頑張りなよ。社会人なんて大変そうだけど、彩花なら大丈夫でしょ」
「ありがとう、真由も勉強頑張ってね!」
お互いの未来にエールを送り、二人は別れた。
その数日後――。
彩花は、スーツに身を包み、田村不動産の小さなオフィスの前に立っていた。
「今日から社会人かぁ……」
改めて実感すると、背筋が伸びる。
意を決してドアを開けると、すぐに奥から野太い声が響いた。
「おう、新人か! 入れ!」
社長の田村俊三が腕組みしながらデスクに座っている。60歳前後の大柄な男で、髪はベタついたオールバック。いかにも「昭和の社長」といった雰囲気だ。
「今日からお世話になります、佐々木彩花です!」
「おうおう、元気があってよろしい! うちはアットホームな会社だから、すぐに慣れるぞ!」
アットホーム。どこかの企業説明会でも聞いた言葉だ。悪い意味でないことを祈りつつ、彩花はデスクに案内された。
「佐々木さんね。新人はまず電話番とお茶くみが基本よ」
そう言ったのは岩井美智子、50代半ばで、きつい表情と派手なネイルが印象的な女性だ。
「はい! 頑張ります!」
「頑張るのは当たり前よ。で、電話取るの初めて?」
「はい……」
「じゃあ、今日から覚えてもらうわね。最初は失敗するかもしれないけど、迷惑かけないようにね」
完全に突き放した口調だった。
「あと、佐々木ちゃん、君はお客さんの前に立つんだから、もっと笑顔を意識しなさい」
社長が横から口を挟む。
「は、はい!」
「鏡見て、自分の顔チェックしろ。営業は笑顔が大事だぞ!」
そう言って、デスクの小さな鏡を手渡された。仕方なく、彩花は鏡を覗き込み、ぎこちなく微笑んだ。
「硬いなー!顔はまあまあかわいいんだから、もっと自然に!」
「す、すみません!」
「まったく、最近の若い子は愛嬌が足りないんだよ。岩井さん、しっかり教育してやれ」
「はいはい。新人教育は私の役目ですから」
岩井はわざとらしくため息をつく。
「……新人なんて、すぐ辞めるのにねぇ」
その言葉に、彩花は少しだけ不安を覚えた。
その後、他の社員とも顔合わせをした。
「俺は高橋宏。まあ、わかんないことあったら聞いてよ」
だらしないスーツ姿の中年男性が、ニヤニヤしながら手を差し出す。
「あ、よろしくお願いします!」
「おうおう、いい返事だ。若い子が入ってくると、職場も華やぐなぁ」
その視線が妙に嫌だったが、気のせいだろうか。
「俺は斉藤修です……よろしく……」
別の男性社員は、ぼそぼそと挨拶する。28歳というが、疲れ切った顔をしており、覇気がない。
「斉藤くん、暗いよ! 新人に不安与えるなよ!」
社長の一言に、彼は肩をすくめるだけだった。
「で、あんたが新人ね」
そう言って近づいてきたのは、望月玲奈。派手な髪色にピアス、長いネイル。明らかに社内の雰囲気とは違う。
「佐々木彩花です! よろしくお願いします!」
「ふーん、まあ頑張んな」
玲奈は興味なさげに言いながら、それ以上は何も言わなかった。
こうして、彩花の社会人生活が始まった。
期待と不安が入り混じるなか、彼女はまだ知らなかった。
これが「普通」ではないということを――。
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