ワニを食べた俺

E吉23

第1話

「いただきます。」

都内の一戸建て住宅。その一室で、一人の青年は巨大な獣の頭に向かって手を合わせている。

「いやぁ、臭いな。ワニの肉ってさ。まさに獣っていう生臭さが、鼻の奥までツンときやがるよ。」

彼の目の前にあるのは、白目をむき生気を失ったワニの頭部。それが白い皿の上にドンと乗っているのだ。料理店でなければ見かける機会のないワニ料理を、彼は今から堪能する。

「ああ、切りづらいな、この頭。」

手慣れて居るはずの包丁が、今日はやけに重たく感じる。それもそうだ。市販の生肉を切るのとはわけが違うのだ。ノコギリでもなければ、ワニの頭を切るなど困難だろう。

何とか一部を切り取り、いざ実食。

「・・・口の中までも生臭いな。まさに生き物って感じ。でも、これはこれでやみつきになりそうだ。いつも嗅いでいる匂いとは違うからな。」

普段、我々が食している動物の肉。それらは動物特有の臭みが薄い。強いていえば、焼く前の牛肉は独特な臭みがあるが、ワニと比べれば大したことはない。

「・・・時間がかかってしょうがねえよぉ。食べきるまでに日が暮れちまうよ。」

懸命に頭を切り、細かくしてから口に運ぶ。やがて、素手で千切って食べだし、まるで何百万年も時代を遡ったかのように、原始的な食べ方をしている。

「あーくっそ、もっと長い時間あぶればよかったか?って言っても、ガス止められているからなあ。チャッカマンで何とかするしかなかったからなあ。ったくあの野郎、ちょっと危ない目に遭ったぐらいで言い過ぎなんだよ。」

うだうだ文句を言いながらも、野生児のごとく豪快に食べ進めていく。と、その時、コンコン、と誰かが戸を叩く音が鳴る。

「あーい、今空けるぞー。」

「おーい、今戻ったぞ。食べ終わったか?」

眼鏡をかけた若い男が、クーラーボックスを片手に部屋に入ってくる。後ろを見ると、発泡スチロールが3つほど置かれており、まだ荷物があるようだ。

「まだ。というか、少ししか食えてない!こいつ、すげえ硬くてよぉ。とてもじゃねえが包丁じゃ切れないんだ。なぁ、ノコギリ持ってる?」

「外に出るのに持ち歩けるかよ。今部屋から持ってくるから待ってろ。」

「あいよ。」


ピチャピチャと、若者が歩く度に水の音が鳴る。昨日、大雨でも降ったのだろうか。

「まったく、こう床が濡れていると歩きにくいな。靴下履きっぱなしはだめだな。」

「長靴があったんじゃなかったか?捨てちまったんだっけ?」

「かかとがぐしょぐしょになって気持ち悪かったからな。もう少ししたら買い替える予定だ。それと、ほれ、ノコギリ。しっかり洗った後だから切れ味は悪くないはずだ。」

「ありがとさん。」

ギコギコと頭部を引き切り、厚切りの状態でさらに並べ直し、今度は二人で食べ進めていく。そのままの時と比べ食べやすさは段違いであるが、良く焼けていない個所があるせいか、やはり生臭さが鼻と口を貫いている。


頭部を何とか食べきったあと、若者が唐突に食事の場に相応しくない話題を出す。

「知っているか?ワニってさ、人を襲って食うんだと。湖とか下水道に落ちた馬鹿な人間を、バクリと喰らうんだってさ。」

「本当かよ。映画の見すぎじゃないか?お前って、変な映画が大好きだからな。」

「変な映画はないだろう。巨大鮫とか巨大タコとか、いろんな生物が出てくる映画のどこが変なんだよ?」

「変だろ。現実で出て来やしない奴を楽しんでいるんだから。」

おもむろに先程持ってきたクーラーボックスを開けると、そこにはワニの死体があった。

「つうか、何でお前、ワニを連れて来られるんだ?何たら条約に引っかかるんじゃなかったのかよ。」

「知り合いが密猟をやっていてさ。それで、要らなくなった分を俺にくれるんだよ。あの人、人間性は好かないけれど、こういうところだけは好きだよ。まあ、そんなことは置いといて・・・・。」

少し息を止め、再度深く吸う。意味深な行為をした後、静かに低い声で、その男は問いかける。

「・・・ワニが人を食う、もしその話が本当だとしたら?」

ワニの死体の口をがばっと開くと、喉の奥に人間の腕がはっきりと見えた。

「あらら、何てこった。ということは、俺は今まで、ワニと一緒に人の肉も食べてしまっていたのか。」

「まあ、俺たちって、今まで似たようなことはしているがな。人命を喰らうって行為をな。」

「まぁね。・・・おっと、電気つけるの忘れてたよ。」

窓の光だけが差し込んでいた部屋の明かりをつける。すると、室内のおぞましい光景が彼らの眼前に広がる。

 部屋の中には、人間の臓物があちこちに散らばり、眼球や鼻、歯など顔のパーツの一部も散乱している。

「とは言ってもさ、こういう人間の腸とか目玉とかは食わねえだろ?さすがに。」

「食わねえよ。ワニとか豚とか牛のような従順さのかけらもねえ、きったねえ思惑ばかりの人間の肉なんて食ったら、俺達も汚れちまうよ。」

「って事は、俺達、とうとう汚れちまったのか!」

「あーあ、最悪。俺の親兄弟みたいになっちまうのかよ。」

頭を抱え、眼鏡の男は思い出したことを唐突に話し始める。


「この間なんてさ、痴漢に間違われてよ。ひでえもんだったよ。何もしていねえのに、いきなり叫ばれて。慌てて、手を掴んできた女ごと線路に飛び込んじまったよ。俺は何とか逃げ出せたけれど、あの女、きっとバラバラの肉片になっているだろうな。」

「なあ、その話聞いていたら、ひき肉食べたくなったんだけど。今から買い出し行かねえか?ワニの硬い肉のせいで顎が疲れちまったよ。」

「馬鹿言ってるんじゃないよ。そんな血だらけの服で外に出たら、すぐさまばれるだろうが。ちゃんと洗い落としてから行けよ。」

 眼鏡の若者が一歩踏み出したとき、つま先に固いものが当たる。腰を落として拾い上げたそれは、人間の右手だった。

「まったく、お前は何でこうも雑なんだよ。これに躓いたら危ねえじゃねえか。きっちりミキサーで粉々にしておけって、いつも言っているだろうが。」

苛立ちながらそれを落とすと、木造の床にべちゃ、という生々しく汚らしい音が鳴る。

「悪いね。なんかめんどくさくて。」

「この床もさ、あーもう、血液でびっしょびしょ。こんなところ歩いたら、足の裏に血液が残って、一歩外に出ただけで足が付いちまうよ。本当さ、人間の処理はワニ以上に丁寧にしないと、国家権力ににらまれるんだぞ。分かっているのかよ?」

「分かってますとも。」

先程部屋に静かに響いていた水の音は、濁った水槽の水でも、雨漏りし、室内に侵入した雨の音でもなく、人間の鮮血であったのだ。また、発泡スチロールから、わずかに血がにじんでいる。どうやらその中にも、人だった者の残骸が詰め込まれているようだ。

「仕方ないなぁ。この辺のやつは、いつも通り風呂場で処理しておくよ。」

先程までワニにかじりついていた男は、誰のものかよくわからない片足を片手に、念入りに処理するために風呂場へと向かっていく。血液を処理するのは、食事の準備をする台所よりも、自分の身もきれいにする風呂場の方が衛生上良いようだ。

 と、その男が突然悲鳴を上げる。慌ててその方向を向くと、彼が鏡に向かって指をさしている。

「おい、風呂の鏡に、髪の長い女が映っていたぞ。死体じゃねえよな。」

「忘れてた。ここってよ、なんか訳あり物件だったんだと。三年ぐらい前に住んでいた女性が、借金を苦に自殺したんだってさ。」

「おいおい、なんで今まで言わなかったんだよ?」

「いまさら言うのもあれだなって。ここで何人も人が死んでいて、別に変わらないからいいかなって思ってさ。」

「何で、そこもテキトーなんだよ。」

「本当に今更だろ、こんな話をしたところで、人が死んだ物件という事実は変わらないんだから。」

「だとしても、早く言ってくれよ。お陰で恐ろしい目に遭いかけたんだぞ。」

ファンファンと、パトカーのサイレンが部屋の外で鳴り響く。

「なんだ?何か事件でもあったのかね。」

「もしかしたら、俺たちのことがバレたのか?」

「まさかぁ。そんなわけないよ。血液とか臓器とか、処理はバッチリしてあるはずだし。」


彼らの家の前に、パトカーが停車した。その後すぐ、家を取り囲むようにゾロゾロと警官が集まっていく。

「ありゃあ、お前の言った通り、とうとうバレちまったみたいだね。」

「お前のせいだぞ?お前がきっちり片付けなかったせいで、近所の人が感づいたんだ。」

「もう、しょうがないよ。いずれバレる予定だったんだよ。」

二人は完全に諦めたように、他人の血に染まった床に横たわる。

「もう二度と、臭いメシは食えなくなるんだな。寂しくなるな。」

「何言ってるんだよ?ムショに入りゃ、いくらでも臭いメシを食えるだろ。」

二人はくだらない会話を交わし、警察が突入してくるのをただ待っていた。


彼らの食欲が完全に尽きるまで、あと五百日。


鏡の女は、汚れきった笑みを浮かべていた。


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