一番欲しかった

増田朋美

一番欲しかった

春が近づいてきたと言われているのに、まだまだ冬だなあと感じさせる日々であった。まだまだ、いろんなところで雪が降って、電車が止まったり、道路が通行止めになったりしている。そんなわけだから、いろんなところで弊害が出ると騒がれているが、どうも最近のニュース番組は、大げさに報道されすぎるというか、ちょっと騒ぎ過ぎだと、思われる気がする。

杉ちゃんたちはいつもと同じように製鉄所で、水穂さんにご飯を食べさせる作業をしていた。水穂さんが、何を食べさせても、咳き込んで吐き出してしまうので、なんで水穂さんにご飯をくれる作業は、こんな大変なんだろうと、杉ちゃんたちは呟いていたのであるが、

「こんにちは!あの、ちょっとよろしいですか。この人、自殺しようとするつもりらしいんです。それなら、なんとかしてやらなくちゃいけないんじゃないかって。」

と、ちょっと、中国語の訛がある日本語で、女性の声がした。杉ちゃんがちょっとまってと言って、玄関先に行ってみると、

「ガミさんじゃないか。どうしたんだよこんなときに。」

玄関の引き戸の外に立っていたのは、野上あずささんと、一人の若い女性であった。女性は、この地域では名門校と言われる、藤高校のグレーのブレザーの制服を着ているので、藤高校に在籍しているのがわかる。

「この隣にいる女性は誰だ?」

杉ちゃんが言うと、

「えーと彼女の名前は、富士市に住んでいる、小林美奈子さん。」

と、あずささんは彼女を紹介した。

「はあ、とりあえず、中にはいれ。こんな寒いときに、外にいるのは寒いだろうから。」

杉ちゃんがそう言うと、二人はお邪魔しますと言って製鉄所に入った。水穂さんは、布団の中から出てきて、

「あの、どうして野上さんが来られたのですか?なにか用事でもありましたか?」

と、二人に挨拶した。

「その格好は、藤高校だな。なんか、名門の進学校似通っていたのに、自殺なんてどういうことだろうか?名前は、小林美奈子さんと言うようだが、なんかよくわからないねえ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「そんなこと言わないで彼女の話を聞いてやってください。」

と野上あずささんは言った。

「彼女、本気だったらしくて、歩道橋から飛び降りようとしていたところをあたしが止めたんですから。」

「そうなんですか。なにか重大なわけがあったんでしょうか?近親者がなくなったとか、そういうことですか?」

水穂さんが、優しく彼女にそう言うと、

「それが、第一志望校に合格できなかったことで、えらく悩んでいたらしいんです。」

とあずささんが言った。

「は!そんなことで人生を終わりにしようと思ったのか。はあ、馬鹿だよう。第一志望校なんて、過ぎてしまえば、何とも思わなくなるよ。それに第一志望じゃなくても、いい大学はいっぱいあるし、今から二次募集に応募したっていいんじゃないの?」

杉ちゃんはでかい声で言った。

「そうですが、それから彼女は今立ち直れないのだから、杉ちゃんたちがやっている、なんとかセラピーとか、そういうもので癒やしてあげられないか、相談に来たんです。」

あずささんが杉ちゃんの話を打ち消すように言った。

「そうだけど、実にくだらんよ。そんなことで自殺しようなんて、甘っちょろいのもいいところ。それより、受け皿になってくれた学校に感謝して、そこで楽しく学校生活を送ろうと考え直さなくちゃ。」

杉ちゃんがでかい声でそう言うと、

「でも、美奈子さんはそれができないみたいなの。だから、誰かがなんとかしてあげなくちゃだめだと思ったのよ。」

あずささんがそういった。

「だ、だ、だけどねえ。本当にねえ、大学受験ってのは人生トータルで考えたら大した事ないの。ホントだよ。それで自殺しようなんて、これから思うようにいかないことは山ほどあるのに、それを全部乗り越えられないことになる。それじゃあ、この世の中、いきていけるわけがないじゃないか。本当に、今の学校は、第一志望校に受かることを叩き込んで、のぞみが叶わなかったときの対処法は全く教えないんだね。まあ、学校は、百害あって一利なしだ。」

杉ちゃんがカラカラと笑った。

「でも杉ちゃん。本人にしてみれば、本当に辛いことなんだと思いますし、少し彼女の話を聞いてあげましょう。本当の気持ちは当事者でなければわからないものですから。」

水穂さんが、杉ちゃんを制するように言うと、美奈子さんは、水穂さんの方を向いてそっと微笑んだ。

「じゃあ、美奈子さん。そういうことなら、お話を聞かせてください。きっと、志望校に受からなかっただけではないでしょう。他になにか裏で事情があったのではありませんか?」

「裏というわけでもないのですが、一緒に受験した人がいたんです。」

と、美奈子さんは話し始めた。

「はあ、それがどうしたの?」

杉ちゃんが言うと、

「はい。でも彼女は、大学に合格しまして、私は不合格でした。彼女は、いきたかった大学へ入学手続きを済ませたのに、私は、そうではありません。だから、もうどうしたらいいかわからなくなってしまって。」

と、美奈子さんは泣き泣き言った。

「まあそういうことなら、きっと新しい友だちができる。それで今まで以上に仲良くなれる友達もできるかもしれない。大丈夫。」

杉ちゃんがそう言うと、

「そうですか。しかし、それは辛かったですね。一緒に、受験した人が受かって、あなたは落ちてしまったというのなら、確かに分かれるのも寂しいでしょう。」

水穂さんが静かに言った。

「そういうことなら、SNSとかそういうので繋がれる可能性もある。それに、大学が変わっても、東京であれば近くに似たような大学はゴロゴロあるんだし。それを目指せば、まだ繋がれる。」

と、杉ちゃんがでかい声で言う。

「杉ちゃんの言う通りなんですけれど、でも、そのとおりにできないのが人間ですよね。機械じゃないんですから、ホイホイと次の手を考えようと、することはできないですよ。まずは、あなたの気持ちが収まるまで、専門的な知識を持っている方に、話をするなり、つらい気持ちを、セラピーで和らげたりするのがいいのではないでしょうか。少し時間がかかってもいいはずです。大学なら、一浪くらいしても入れる所はいっぱいあります。」

水穂さんが優しく言った。

「本当に、水穂さんは優しいなあ。どうしても同じ大学にいきたいと思うんだったら、少しつらいところを和らげて、また受験をし直せばいいさ。まあ暫くさあ、休ませてもらってだな。それで、予備校でも通わせてもらって、人生やり直せばそれでいいだよ。それでいいじゃないか。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「でもとにかく、杉ちゃんの言う通りではありますが、気持ちの面では、人間だから理論的にこうだと言われても、すぐに行動に移せるというわけではありません。それを否定して、すぐに行動しなければいけないっていう偉い人はいっぱいいますが、そのとおりに、動けるかというものでもないんです。だから、できないからと言って、落ち込まないでください。まずは、あなたの悲しみや辛さを癒やすことか始めましょう。」

水穂さんに言われて、美奈子さんは、ハイと小さな声で言った。

「ありがとうございます。でも休むと言ってもあたしはどうしたらいいのでしょうか。何もしないで、ブラブラしているのは、家庭が許さないでしょうし。」

美奈子さんがそう言うと、

「だったらここに来て、ちょっと勉強させて貰えばいいじゃないか。予備校の宿題やってもいいし、試験勉強してもいいよ。ただ、カンニングはだめだぞ。」

杉ちゃんは、にこやかに言った。

「僕が、理事長さんには言っておきますから、今日から、ここで勉強するなりしてください。」

水穂さんが優しく言ってくれたので、小林美奈子さんは、製鉄所を利用することになった。もう高校の卒業式は3月1日で終わってしまっているので、彼女は、毎日のように製鉄所へやってきた。一生懸命勉強しているようだけど、なんだか身が入らない様子だった。

「なんか、みんな一生懸命やってるんですね。みんなどこか学校に通っているんですか?」

美奈子さんは、利用者の一人の尋ねた。

「望月学園に通ってます。」

と利用者は答える。

「ああ、あの有名な通信制高校ですね。小さな学校だけど、噂はよく聞きました。皆さん、熱心に勉強しているけれど、生徒さんはじいちゃんばあちゃんばっかりだと。」

美奈子さんが言うと、

「ええ。あたしもご覧の通り、50歳を超えたおばちゃんだけど、それでも、この学校で楽しくやってるわよ。」

と、利用者は言った。

「あたしは、高校が合わなくて中退してね。それで、しばらく何もできなかったんだけど、これでやっと目的ができた気がするわ。」

「そうなんだ。私も、藤高校中退すればよかったのかな。こんな事態になるんだったら、望月学園に通えばよかった。」

美奈子さんがそう言うと、

「何を言っているの。藤高校なんて、ホントすごいところじゃないの。あたしだって、憧れの学校だったわよ。グレーの制服着て、親御さんといっしょに校門くぐっていく姿は、すごいなと思ってたわ。」

利用者が、そう言うと、美奈子さんは寂しそうな顔をした。

「そんなこと言われるんですよね。」

美奈子さんはがっかりして言う。

「いつもそうなんです。藤高校に行ったのだから、良かったではないかとか、卒業できたから良かったのではないかとか言うんですけど、それが今は本当に辛い。どうしてあたしはそうなってしまったんだろう。」

「まあまあ、泣かないでよ。こんなおばちゃんじゃ、相談にならないかあ。今なんとかするから、ちょっとまってて。」

利用者は、そう言って、水穂さんの部屋へ行き、

「ちょっと水穂さん、彼女の話を聞いてあげてよ。あたしじゃ、ちょっと彼女の気持ちを聞いてあげられるような、存在になれないみたいなのよ。」

と言ったのであるが、

「いや、今は無理だ。まあ、彼女の言うことに対処するんだったらな。事実は事実としてあるだけでそれに善悪も甲乙もつけることはできないってことを、教えておけや。今は、水穂さん動かせられない。」

と、杉ちゃんの声が聞こえてきた。

「そうなんだ。じゃあごめんね。きっと水穂さんが、なんとかしてくれると思うから、それまでお辛いでしょうけど、少し待ってて。」

と、利用者は、美奈子さんの元へ戻ってきて、そういったのであるが、

「そうなんですか。あたし、やっぱり駄目ですよね。なんで、藤高校に行ったことが、今になっては、こんな辛いことになってしまったんでしょうね。家族には、大学は諦めろとか言われるし、親友だった女性とも分かれちゃうし。なんであたしの人生って、思い通りにならないんでしょうか?」

と、美奈子さんはとても悲しそうに言った。

「そうかも知れないけどねえ。人生なんてそんなもんよ。あたしなんて、進学どころか、就職さえできなかったんだからあ。藤高校に行けたっていうだけでも十分すごいわよ。それだけでも良かったと思わなくちゃ。」

利用者がそう言うが、美奈子さんは悲しい顔をしていたままだった。

「あたしは、藤高校に入っただけなのに、誰にも私の辛さをわかってもらえないんだ。」

と、美奈子さんは、悲しそうに言った。その日から、美奈子さんは、他の利用者と話をしなくなってしまった。もう、何を話しても、無駄だという態度だ。そのような状態が何日か続いて、杉ちゃんたちが、なにか勉強でもしろと言っても、ぼんやりと外を眺めているくらいしかしないようになってしまった。

「美奈子さん、なにかしたらどうや。何もしないで、ここでぼんやりしていても意味ないぜ。」

と、杉ちゃんが言っても、

「どうせ私なんて、藤高校に行ってるんだから、勉強なんかしなくていいのよ。」

というようになってしまった。

「いやあだって、第一志望校に受かりたかったんでしょ?それなら、また受かるように、勉強するべきではないのかい?」

杉ちゃんがそう言うと、

「いいのよ。私は、藤高校に行ったのよ。だから勉強なんかしなくてもいいのよ。」

と、そればかり繰り返すようになる。

「美奈子さん。それは、病気の症状なのかもしれません。病院で相談をしてみたらいかがでしょう?」

水穂さんがそう彼女に話しかけると、

「なんで病院に相談しなければならないんですか。あたしの話なんて誰が信じてくれるんですか。みんな藤高校に行ったからと言って、すごいじゃないしか言わないでしょう。あたしのことなんて信じてくれないわ。そういうわけだからあたしは、病気ではありません。だって事実そうだったんですから!」

これまでの話とは少し違った様子で、水穂さんに美奈子さんは当たるようになった。

「それではいかん。水穂さんには可哀想だ。やっぱり、病院を受診したほうがいいよ。何なら僕らが連れて行ってあげる。近くにいいところがあるから、そこへ行ってみるかい?」

杉ちゃんが、そう彼女に言ったのであるが、

「いいえ私はいきません。だってどうせあたしの話なんて信じてはくれないのに、そんなところへわざわざ話に行く必要もありません!あたしは、悪いことしたわけじゃない。それなのになんで、病院で見てもらわなければならないんです。それって不公平でしょう!そんなことをどうして、医者に話すんですか!」

と、彼女はそう言い返した。これは、おかしくなってしまったんだなと、杉ちゃんも水穂さんも思った。

「そんなことないよ。病院の先生は、ちゃんとお前さんの話を聞いてくれるさ。そうすることによって、治療もしてくれる。それをしてもらうことが大事なの。」

杉ちゃんがそういうのであるが、

「でも、医者なんて、どうせたいしたことないって、偉い人は、自分のことしか見ないって言うじゃありませんか!」

と、彼女は言い返した。

「あたしはちゃんと見る目があるから、すぐに分かりますよ。杉ちゃんたちが、言ってたのを聞いてしまったんです。医者なんて、どうせ自分のことしか見ないって、言ってたの。だから、どうでもいいじゃありませんか。あたしのことだって、誰も信じてはくれないじゃないですか!」

「ああ、もう認識が歪んじゃってるな。心が病んだとはそういうことなんだよ。見たり聞いたりして、感じ取るところが、病むことだ。」

杉ちゃんは、でかい声でそういった。

「もし、杉ちゃんの言う通り、事実に甲乙も善悪もつけられないというのなら、他の人の事実は放って置けるのに、なんで私の言うことは病んでいて、それを医者に見せろだなんて。本当に不公平です!」

「頭のいいやつだなあ。それを、話すんだったら、高名な医者のほうがいいなあ。これは困った事になったぞ。何よりも患者が医者に話をしようとしないというのは一番困るなあ。」

杉ちゃんは腕組みをしていった。

「杉ちゃん。」

利用者の一人が、杉ちゃんに言ってきた。

「何だよ!」

杉ちゃんが言うと、

「水穂さんが大変で。」

と利用者はいう。杉ちゃんはとりあえず、車椅子で水穂さんの部屋に行った。部屋のふすまを開けると、聞こえてきたのは激しく咳き込む声だった。そして、布団に寝たままの水穂さんの姿が見えた。布団に寝たまま咳き込んでいるが、畳は真っ赤に汚れていた。

「あらあ。またやったねえ。畳の張替え代がたまんないよ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「今薬は飲ませたんだけど、咳が止まんないみたいなの。」

と、利用者は杉ちゃんに言った。確かに、枕元にある、水のみの中身はからになっている。

「そうか、いつも飲んでる薬も効かなくなったか。」

杉ちゃんはでかい声で言った。

「そうなったら、別の漢方薬を持ってきてもらうしかないなあ。まあ、お前さんも知ってのとおりだが、水穂さん、病院で見てもらうことはできないからさ。」

美奈子さんは疑問に思うような顔をした。

「とりあえずあたし、電話かけてくる。」

利用者は、スマートフォンを取りに部屋を出ていってしまった。数十分ほどして、ガラガラガラと、玄関の引き戸が開く音がして、こんにちはという老人の声がした。美奈子さんが見てみると、かっぱみたいな顔をした、変な顔の老人であった。

「ああ柳沢先生。よろしくお願いします。」

杉ちゃんがそう言うと、その人は、水穂さんの部屋に入って来て、すぐに、テーブルの上に、小さなすり鉢を出して、それに、持っていた重箱の中から何種類か粉を取り出して、すりこ木で擦って調合し始めた。そして調合した薬を、水穂さんの水のみに入れて、水筒を取り出し、水を入れて粉を溶かして、

「はいどうぞ。」

とだけ言って、水穂さんに渡した。水穂さんは、それを受け取って中身を飲み干した。それを飲んで数分後、やっと咳が止まってくれた。

「ああ良かったあ。こうして来てくれなかったら、どうなるかわかんないよ。ほんとに、すみません。ありがとうございます。」

杉ちゃんが柳沢先生に頭を下げると、

「いえ大丈夫です。こういう事情があって医療を受けられない人は、世界的に見たらたくさんいますよ。僕が、ミャンマーで遭遇したロヒンギャもそうでしたから。だから、誰かがなんとかしてあげないとね。」

と柳沢先生が言った。美奈子さんは、水穂さんが、そういうわけで医療を受けることができない事情があるんだと言うことを知った。

「ほら、こういうやつもいるんだよ。だから、ちゃんと医者へ行ける境遇だったら見てもらわなくちゃ。それで、なんとかしてもらうようにしろ。実はですね。今、こちらの方が、ちょっと精神疾患の疑いがありまして。それで揉めてたところだったんだ。」

杉ちゃんはそう柳沢先生に言った。

「そうですか。僕が見た限りでは、貧しさのあまり医療を受けられないでおかしくなってしまった人のほうが多かったですね。医者に見せることに抵抗がある民族も未だいるんですよね。例えば、ロヒンギャであるゆえに症状を言っても信じてもらえないと話す人は、大勢いましたよ。」

柳沢先生は、そう言って、急に美奈子さんの方へ向きを変えた。

「少なくともあなたは、そういう貧しい民族であるわけではないんですよね?きっと言うことを信じてくれますから安心していってきてくださいね。」

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一番欲しかった 増田朋美 @masubuchi4996

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