階段雛

襖山諄也

階段雛

「面倒だなあ、これ」

 手に取った紙に目を落としながらそう呟く。

「まあ、我が校の伝統らしいし」

 屈んだ遼華りょうかがひょいと筒状の荷物を持ち上げた。俺の文句に対する彼女の対応も徐々に感情抜きなものとなっていく。それでも何か一言は返してくれるあたり遼華も不満がないわけではないのだろうと考える。

「でもさ、たかだか創立三十年とかの高校だよ? それが伝統、って」

「分からなくもないけどさあ、卒業式に雛壇あるのって女子目線では結構うれしいよ?」

 メモを段ボールの方へ放り、空気抵抗を受けてあらぬ方向へ行ってしまったことを認めてから遼華の方へ歩み寄る。

 階段を数段上ったところで、遼華は丸められた筒状の物体を横にして前へ差し出した。中の空洞に手を差し込んでいるところらしい。

圭佑けいすけ、そっちの端っこ持って下に下りてって」

「なんか、トイレットペーパーみたい」

「ちょっと思った」

 布は大きく、階段の横幅をまるまると占領する。

 最下段から足が離れたところで、ばさりと大仰な音を立てて階段を覆った。

「それじゃあこっからは並べるかんじだね。さっきのメモは?」

「どこ行ったかな……あ、あった」

 少し探して段ボールの裏から古びたメモを拾い上げる。書かれてあるのは、並べる人形たちと飾り道具の雛壇別の配置。体を起こすついでに足元に置かれた段ボールをちらりと見る。包装紙にくるまった人形たちは互いに中でひしめき合っていて、包み紙半分でもさして問題ないほどに体を寄せ合っている。

「これを並べるんだな……」

「寒い体育館で冷たいパイプ椅子並べるよりかは全然いいと思うけどね」

「それもそっか。ってか、明日卒業式か」

「早いねー、うちらも高校生でいられるのはあと一年だけか」

 卒業式が明日。在校生が駆り出されて卒業式の準備を進めている中、俺たちがその仕事を請け負わずにこうして校舎のはずれでしていること。それは、雛壇の準備だった。雛壇とは言っても、卒業生が並ぶようなものではなく雛人形を飾るためのものでしかない。

「ってかそうじゃん、雛祭りの日は三月三日なのになんで三月一日にやるんだろ?」

「それを含めての伝統なんでしょ」

 そうなのかなあ、と言って手元のメモを見る。色は変色し、手書きの文字は掠れるそのメモは、箱を開けて一番に入っていた。

 見た目だけは年月を感じさせるが、本当に伝統に則るのなら雛祭り当日の三月三日にやるということが筋のところ、なぜ卒業式の日にやるのか。

「じゃあお人形さんたちを取り出していこっか」

「ああ、うん」

 卒業生たちが雛壇の前で写真を撮り終えるのを待ってから片付けに乗り出す。

 遼華が先立って段ボールの前に屈み、どれから、と見上げて問いかけられる。

「えっと……まずは御輿入れ道具だな」

 メモには番号を丸で囲んだ丁寧な手順が書かれてあるから、それに従えば男でもできる。調子のいい担任がそう言っていた。

「あっ、これか」

 包装紙にも対応する名前が書かれていて、あとは取って並べるだけ。金属ではないので冷たくもなければ、状態もよく埃にむせながら作業に取り掛からなければいけないわけでもない。整備委員に所属していてよかったと思えた初めての瞬間だった。

 遼華は手際よくこちらの読み上げた通りに並べていく。彼女の家には小さな雛壇飾りがあるとさっき何とはない話の中で聞いたが、やはり女子にとって雛祭りは心躍るものなのかもしれない。

「あれっ」

 遼華が小さく声を上げたのは、最上段の雛人形の配置を読んだときだった。

「どした?」

 踊り場から精一杯腕を伸ばしていた彼女だったので、届かなくなったとばかり思っていた。

「上。上が足りないや」

「うわ、ほんとだ」

 上から二段目となる官女という雛飾りで、屋上の踊り場に達してしまったのだ。下から上にかけて並べていったことで上が詰まってしまった。

「どうしよう、並べ直す?」

「それも思ったけど、これ」

 そう言って足元を指差す。

「この赤い絨毯がここで終わっちゃってる。上の方も」

 緋毛氈の長さが人形飾りに必要な段数と合わないのだ。敷物を無視して無理に置くことができなくもないが、地べたにそのまま置くのは気が引ける。

 さらに、最下段の御輿入れ道具は二階の床ではなく、そこから一段上ったところから始めた。それは明日卒業生が多く校舎を行き来する中で地面に置いてあると何かの拍子に踏みつけてしまうことがあるかもしれないという遼華たっての提案だった。

 ただ、並べ方を丸一番から読み返してみても、不手際はなかった。

 責任逃れに聞こえるかもしれないが、そもそも足りないように設計されていたのだとしか思えない。

「変なの」

 遼華は誰に向けるでもない捨て台詞を口にした。

「どうしようなあ、これ。お内裏様とお雛様がいないと形になんないよな」

「どっちもお内裏様だけどね」

 そうなの、と聞き返すと小さく頷きが返ってきた。男兄弟の家庭で育ってきたことで雛人形とは無縁であることがここにも表れる。

「でも、そうだよね、形にはしないとだよね……」

 遼華が考え込むが最適解を導き出す前に、おお、と後ろから感嘆の声が聞こえた。

「おお、二人ともありがとう、だいぶいいじゃん」

 ふらっとやってきた担任の先生に労いの言葉を受けた。先生も卒業式の手伝いをしていたのだろう、いつも着ている黒ジャージに白い埃が斑点のように浮かんでいる。

「はい、ただ一番上の段がなくて並べられなくて……」

 遼華がおずおずと聞く。

「うーん……それなら二段目の人形たちを左右に分けて、その間に置くとか……」

「三人ですし、二一か一二で分けたら見た目微妙になっちゃう気がして」

「あー、確かに。じゃあ後で先生たちが何とかして並べとくよ。体育館の方の設営も終わったから生徒たちは下校になったんだ」

「終わりですか。疲れたー」

 思わず声に出してしまう。

「お疲れ様。ありがとね」

 包装紙たちを畳んで段ボールにしまい、内裏雛を箱の上側に持ってくる。そうして俺と遼華は帰路に着いた。

 次の日。招集がかかったのは学内に響いたアナウンスと、遼華からのメッセージだった。

「遅い」

「ごめん。ちょっと先輩たちと盛り上がっちゃって」

「渡り廊下から玄関の上に飛び乗るって。小学生じゃないんだから」

「え、知ってんの」

「そりゃあ血相変えた学年主任の怒号が聞こえたら人も集まるよ」

 はは、と乾いた笑い声を喉から出す。

 確かにあの時は浮かれ過ぎていた。だが、先輩たちとのお別れなんだから最後くらい盛り上がってもいいだろうという思いは叱られた後の今となっても拭いきれない。

「ほら、片付け始めるよ。人形たち渡すから紙に包んでしまってって」

「ういー」

 片付けは比較的楽だった。いちいち紙を確認して配置を合わせる準備とは違い、紙を取って包んで箱にしまうだけ。単純作業だった。

 雛壇の上から二番目。五人囃子が連なる段に手を伸ばした時、本来なら三番目だよな、と思ったときにふと思い出した。

「そういえば、お内裏様たちはどうなったんだろ」

「あれ、確かに」

 遼華が壇上にないことを確認すると箱の中を探し始めた。包装紙の擦れ合う音が次第に卒業生で溢れる校舎内の環境音を超える。

「ない」

「ない?」

 即座に聞き返して自身の手で箱を引っ掻き回すが、見つからない。

「先生たちがどっか持ってったのかな」

「そもそもどこに置いたんだ?」

 少なくとも壇上にはない。それに、箱にもないとなるといよいよ在処が分からない。

 とりあえず雛壇を全て片付け終え、残すところ緋毛氈というところで手で隙間を広げてそこへ足をかけて屋上まで大股で上る。

 そして、何の気はなしにドアノブを捻った。

「え? 開いてる」

「え──なんで?」

 下で未だ段ボール箱を探す遼華が、真に疑問といったように声を上げる。

 遼華も赤絨毯に折り目が付かないように持ち上げるだけに留めながら屋上とドアの狭い床にやってきた。

 屋上へは生徒立ち入り禁止と張り紙がされてあることは知っている。前に友達が入ろうとしたようだが、施錠されていて入れないとぼやいていたことを思い出す。

 それにも関わらず空いているのはなぜか。

 扉を開き、一歩を踏み出す。

 屋上は一面壁面とはまた違う灰色に塗装されていた。夏場は熱そうだが、春先ということもあって太陽光を集めてほのかに暖かいことが足裏から靴を介して伝わる。

 ただ周囲一面を全て見渡せるわけではない。フェンスに囲まれた太陽光パネルが大きく中央を陣取っており、その周囲しか歩けない。

「おお、すっごー」

 それでも遼華は屋上の縁を囲む柵に手を置いて広く景色を見渡している。遠くには青空に溶け込みそうな白む山が見え、もっと手前には市街地の方の高い建物が広がる。色彩を細かに判別できる住宅地は水平から首を若干下に向けた近場に位置している。

「あ、卒業生の人たちだ」

 そう言って彼女の隣に並び見下ろすと、見たことのない先輩たちが卒業証書を収めた筒を手に手に、大きな笑い声を上げたり写真撮影を行ったりしていた。名残惜しいのだろう、校門付近にぱらぱらと人だかりができている。

「あっ」

 遼華が声を上げた。体は柵に預けたまま、首だけ動かして彼女の方を見やる。

「お内裏様」

 そこには二人並んですまし顔という歌詞が自然と頭の中に浮かぶような、男雛と女雛がフェンスの角、柱が伸びる立方体の上に静かに座っていた。

 驚いて駆け寄り状態を見るが、特に異常はないようだった。

「先生、ここに置いたのかな」

「まあ確かに最上段ではあるか」

「まさかあ」

 その時、屋上の空間にカシャッ、っという音が響いた。音の方向からして下で集合写真を撮っている卒業生のようではなく、ここ屋上の平面のどこかという水平方向からのようだった。

 息を飲み、顔を見合わせて足音立てずに太陽光パネルから顔だけを出す。

 そこに立っていたのはカメラマンだった。

「おっと、卒業生の方?」

 わざと足音を響かせあちらからの反応を促すと、初老と思わしき男性は振り返ってにこやかに応じた。

「いえ、まだ二年生なんです」

 遼華が笑顔を浮かべてにこやかに応じる。

「そうでしたか。いやあ、ここから写真を撮ってまして。屋上にお邪魔させていただいてます」

「卒業アルバム用の写真ですか?」

「ええ、ここからの景色は校歌のページの背景によくて。とは言っても、生徒さんたちはここへは入れないのであまり馴染みある景色ではないかもしれませんが」

 目の端に皺を寄せてカメラマンが笑う。すると、彼の方から話を振った。

「実は私、ここの卒業生でしてね。当時は入れなかった屋上に入れて少し優越感なんかも感じてるんです」

 遼華が応じるように笑い声を上げる。隣に立つ自分も何かリアクションをすべきと感じるが、一つ気になることがあってその場で聞かずにはいられなかった。

「すみません、ここの卒業生なんですか?」

「ええ、はい。そうですよ」

 男性は話の腰を折られたにも関わらず、表情を崩さずに話の延長とばかりに微笑みをたたえたままだ。

「それなら聞きたいことが一つあって。ここの屋上までの階段に雛人形があったと思うんですけど。あれって学生の頃からあったものなんですか?」

「ああ、あれ」

 思い出すことに力も労さず、カメラマンの男性は頭の中に赤絨毯と人形たちを覆い浮かべたようだった。

「あれはね。私らの時にはありませんでしたよ」

「ほら!」

 遼華に思わず同意を促す。

 やっぱりおかしいと思っていた。まずそもそも学校に雛人形があるのがおかしいし、三月三日でもないのに雛壇を用意して人形を並べる。おかしいことだらけのこの伝統とされるものは、近年出来上がったばかりのものだった。

 すると、喜んでいたところを遼華の小突きが脇を刺した。

「でも、これには訳がありまして」

 そう前置くと、男性は話しだした。

「私たちがまだ学生だった頃も屋上っていうのは基本的に立ち入り禁止だったんですよ。チェーンなんかをかけて対応していて。それもあって普段の学生生活ではそうそうここに入る人はいなかったんです。ですが、それこそ卒業式だったり、体育祭のときなんかは学生たちも気分が高まって禁止事項もやってしまいがちになるんです。それで、事故になってしまう危険性に先生たちが気付いて、とある先生が始めたのがお雛様というわけなんです」

「というと?」

 遼華が一層の詳細を求める。自分も聞こうと思っていた。

「こうして人形を並べておくと、ただ立ち入り禁止と掲示するよりも効果的なんだそうです。立ち入り禁止だと今日くらい、という思いが働いてつい入ってしまうというのが人間の心理のようです。そこで、ダメと押し付けるのではなくて人形を並べておくことで、自分からやめておこうという意志を促すんだそうです。よくできてますよね」

 話を聞いているうちに、顔に熱が集まってくるのを自覚する。隣に立つ遼華が若干俯いていることに気が付き、小突いてやりたくなった。

「それで、お二人は?」

「私たちは雛人形の片付けを任されていて」

「それならここの裏にありましたよ」

「あっ、ありがとうございます」

「では私はもう少しここで撮っていくので。来年あなたたちを撮るのも楽しみにしてますよ」

 会釈して別れ、遼華が両手にお内裏様を持ったまま薬指と小指でノブを捻って戻ってくる。

「渡り廊下にもお雛様を並べないとかな?」

「うるさいな」

 彼女は快活な笑い声を上げる。

 緋毛氈を最上段から巻き上げ、筒にして持ち上げる。

 丸めた布は俺が、段ボール箱は遼華に持ってもらい職員室まで向かう。見た目は遼華の方が重そうだが、屋上までの階段を全て覆うほどではないにしろ長さはあるので重い。

「おおー、おつかれさん」

 先生は職員室で何やら書類仕事をしていた。

「先生、なんでお内裏様たち屋上に置いたんですか。分からなかったですよ」

 遼華がしゃがみ込みながら段ボール箱をそっと下に置きながら文句を言う。

 先生は話し始めを妙に上げて話した。

「え? 先生たちとも話したんだけど、赤絨毯の長さが足りないからお内裏様たちは三人官女の一人を五人囃子の段に移して、二人を左右にはけて真ん中に並べたはずなんだけど」

「え、いや、屋上にありましたよ。最上段だから屋上、ってことじゃないんですか?」

「屋上? できたら面白いだろうけど、人形たちが並んでる中で屋上までは踏み場所ないし行けないよ」

 遼華と顔を合わせる。すると、先生はもしかして、と話を続けた。

「この人形たち、いつかのPTAの会長さんから譲り受けたもので、相当昔からあるものって聞いてたから何かあったりしてね」

 職員室を後にする。

「今思えば、あのカメラマンさんはどうやって入ったのかな?」

「ちょっと、怖いからやめてくれよ。遼華、あの話聞いても平気なの?」

「うーん、まあ。だって私たち悪いことしてないし、悪いこともされてないしね」

 屋上に行ってみるかをふざけ半分で聞かれ、両手を振って拒否する。遼華は元気に笑う。

「でも、お雛様ももっと外にいたいんじゃないかな。出られるのは年に一度きりで、婚期が遅れるなんて言ってすぐに片付けられちゃうし。青空を見たい気分だったのかも」

「そんなんだったらほのぼのとした理由でいいけどね」

 先輩たちとの別れ際にあった元気はどこへやら。そんなことは自分でも気が付いている。

「多分、伝統って走り始めが重要なんだろうね。勢いがついた後は流れに身を任せるだけなんだろうけど」

 遼華がぽつりと呟いた。

「圭佑、この伝統は残しておくべきだと思う? 卒業式のお雛様。表向きは雛祭りのためだけど、本当は屋上の立ち入り禁止。打算的で嫌?」

「嫌も何も、お雛様が外出たいんなら出してあげないと何かされそうじゃん」

 遼華がけらけらと笑う。

「何?」

「いや、こうしてやむなく作られた伝統もあるのかなあ、って」

 卒業生が未だにぎわう校舎を並んで歩く。

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