EX5話 Ordinary World
「おはよーーーー直っち! いい天気だね! 雲ひとつない! すごい! 真っ青!」
「本当だな」
テセラクトも浮いてないし。
「もー直っち朝からテンション低いよ!」
「朝からテンション高いお前が例外だってことを知るべきだ」
俺は委員長の目の前で、人差し指を右左。
周りを歩く物静かな籠鳥高生の男女を指し示す。
翌朝——というのは、俺がこの世界にやってきた翌朝というか。
本屋で買った『集団美少女戦士キューティ・パンツァー』を読んだ翌朝である。
どんな異常な事態だとしても、現状俺の周りを取り巻いているのは、以前と同じ日常なわけで。
俺はその日常を続ける。
続けてしまう。
当たり前のように着替えて、朝食をとって、家を出て、学校へ向かう。
その途中で背後から俺の背中をバシーン! と叩いてきた委員長の言葉が最前のものである。
「むっふっふ、知ってるよ。直っちはいつでもそういう感じだもんね。非常事態とかじゃない限り」
「まあ、そうだな」
「ってことはアレ? アレアレアレ? もしかしてもしかしたらば『この世界』に馴染んできたってことかな?」
「…………」
そう、なのか。
そうかもしれない。
次元怪獣だの秘密基地だのキューティ・パンツァー・ユニットだの、わけのわからないものが出現しない、普通の、通常の、これが高校生活の常態なのだ。
俺が馴染めるとしたら、当然『こっち』だろう。
世界を救うだの、奇跡の体現だの、巨大ロボットだの世界保全機構だのなんだのかんだの、そんなのは本来お呼びじゃない。
けど。
俺は、昨日読んだ『集団美少女戦士キューティ・パンツァー』のラストを思い出す。
俺の問いに、
『今は、寂しくないよ』
満面の笑みを浮かべてそう答えた委員長。
あれは、なかったことになっている。
あの委員長も、
委員長がいた世界も、
そこで彼女が得た悲しみも、喜びも、
全部が消失して、代わりに俺はここにいる。
世界が消えて、
なかったことになって、
たった1冊のフィクションということにされている。
それでいいのか?
「わー! 直っち鐘なってる! 急ご急ご!」
グイッと委員長に腕を引っ張られる。
その柔らかい手の感触も。
ふわりと浮き上がって俺の顔をくすぐるツインテールも。
以前の俺は知らないはずのものだった。
※
「それではみなさん、また明日ですよ~」
と、小学生にするような挨拶とともに、担任の内海打未が教室を去る。
「ねね、今日も寄り道してかない?」
とツインテールの委員長が俺に声をかけてくる。
「べつにいいけど……」
俺は頷いて席を立つ。
彼女の申し出を拒否したところで、俺になにかできるわけでもない。
それに、彼女の楽しそうな顔を見ていたら、なかなか断るのが難しい。
玄関前では、養護教諭の小屋凪ルルカが下校する生徒に手を振っていた。
※
ジャスコ——ではなくイオンに到着。
委員長は俺をゲームコーナに引っ張っていった。
2人で太鼓を叩くゲームに興じ、クレーンゲームでは協力して巨大なサメのぬいぐるみをゲットした。
フードコートに向かうべく歩いていると、左右の店に水着が並んでいるのを発見。
そういや、もうすぐ夏休みか。
「ねえねえ、私、どんな水着が似合うかなっ」
「さてな」
俺は記憶を辿る。
何人かの委員長の水着姿は見たことがあるが、全員同じ体型というわけではなかった。
このツインテールの委員長は、ほかの委員長と比べると、どことなく子供っぽい感じがある。
制服の上からなので推測だが、体型もおそらくは。
だとすれば今彼女が興味津々な様子で手に取っている、やや大人っぽいビキニよりは、その奥にある——
「なんか失礼なこと考えてないっ?」
「さぁてな」
「もー! 直っちはまったくもって直っちなんだから! 罰として夏休みになったら私と一緒に海に行くこと! いい!?」
「まあ、いいけど」
海、か。
以前はテセラクトが出現したせいで無人島に流されたなんてことが起こったが、この世界ではそんなことにはならなさそうだな。
頷く俺に、委員長はくるりと向き直って、言ってくる。
「ほんと!? 約束だよ!」
「ああ、もちろん」
……この笑顔だ。
あの本のラストで『今は、寂しくないよ』と告げた委員長が浮かべていたのは、きっとこういう笑顔だったんだろうと思える、屈託のない、満面の笑み。
これを見てしまうと、彼女の言うことを否定しようなんて、そんな考えは綺麗さっぱり消え去ってしまうのだ。
けっきょく委員長は水着を買わなかった。
「海で見せて、直っちをびっくりさせるの!」
とそんなことを言いながらショッピングモールを出る。
いったいどんな水着を着るつもりなんだ……。
※
俺は急速に、この異常に、否——日常に馴染んでいく。
しかし、これがどんなに当たり前に思えても。
どんなに普通に感じても。
やはりそれは嘘なのだと。
欺瞞なのだと、告げる声が、永遠に沈黙していることはなかった。
——異変は空から現れた。
「なに、あれ!」
「ば、化け物!」
「逃げろ逃げろ!」
ショッピングモールの建物から出た俺たちの耳に飛び込んできたのは、そんな恐怖に怯えた人々の声だった。
空を見る。
夕陽に染まる赤い空。
そこに、いっそ懐かしささえ覚えるものが浮かんでいた。
ゾンビ鯨。
ところどころが崩れて、肉片が垂れ下がり。
ところどころは腐って、骨まで露出している。
それが当然のように、必然のように。
籠鳥市の空を埋め尽くしていた。
そう、現れたゾンビ鯨は1体ではなかった。
数え切れないほどの数、無数のそれが、赤い空を隠そうとするかのように。
「なん、で……」
俺の隣で、絶望的なつぶやきが漏れる。
見れば、委員長はその場に膝をついて、呆然と空を見上げている。
その顔が、みるみるうちに血の気が引いて蒼白になっていく。
「どうして? この世界に、テセラクトは入ってこられないはず……」
「おい、委員長。なんだ、これはどういうことなんだ?」
俺の問いに答えず、委員長はふらりと立ち上がった。
まるで幽鬼のような頼りない動き。
彼女は、不意に通学カバンからなにかを取り出した。
「何度もごめんね、直っち」
「なにを……ぐっ!?」
ああ、俺はまったく油断していた。
俺と、このツインテールの委員長が、どうやってこの世界にやってきたのか。
すっかり失念していた。
XLS——eXtra Loop System。
その小さなナイフの凶刃を、委員長はふたたび俺に対して振るったのだった。
× × ×
不意に『世界がぐるりと一周したような感覚』が俺を襲う。
俺の視界はすぐに安定して、見慣れた光景がよみがえる。
夕方の教室。
差し込む西陽に照らされて、並んだ机と椅子が長い影を落としている。
眩しいほどにオレンジ色の空間だ。
「えっと……」
「おはよう、直っち! 授業が終わったあとずっと寝ちゃってたけど、大丈夫? 寝不足?」
「うーん、そうかも——」
って、いやいやいやいや!
さすがにごまかされないわ!
かんっぜんに記憶残ってるし。
なんなら、目の前の委員長は、手にXLSを持ったままだった。
「ちぇ、ざーんねん」
言いながら委員長はXLSを通学カバンにしまった。
よく持ち物検査で没収されないな。
教師の皆さんしっかりしてください。
「……一応確認しておくが、これは、あれか? そのナイフで俺を刺すと、世界がループするとか、そういうことか?」
「正解、ふふふ」
あっさりとそう答えて委員長は笑う。
隠す気もないらしい。
「記憶が残るから隠しても仕方ないもんね。正確には、べつの世界の起点——つまりこの日の放課後に飛ぶことになる。ループっていう設定と並行世界っていう設定が無矛盾で同居している状態でXLSを使うとそうなるってわけだねっ」
「……待て、ループしてべつの世界にやってきたってことは、さっきまでいた世界はどうなった?」
「観測者である直っちがいなくなったわけだから、消失したと思うよ」
そう、なんでもないことのように告げる委員長。
「……まさかとは思うが、これを繰り返すつもりなのか?」
テセラクトが出現するたびに。
その世界が綻ぶたびに。
世界を破壊して。
べつの世界へ移る。
「もちろん。だって私は、直っちと過ごすこの日常が大事だから。その日常を守るためなら、なんだってするよ」
委員長は屈託のない笑みを浮かべ、自信たっぷりにそう告げた。
日常が大事。
その想いだけは、たしかに俺と同じものだった。
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