第16話

2162年 8月3日


機械に頼って文字を書いている時代に、手書きというのは心地よいものだと思う。


手書きは残された文化のひとつだ。古い時代の手法は私にいくつもの輝きを見せてくれる。


私は私の考えをここに書き記すことにしよう。


あれは私が10才になる年9才の時だ。まだ地上に住んでいた。母は私が物心ついた時から病気で入退院を繰り返していた。


腕にはローカルな点滴のあとが常にあった。この時代に点滴をするということは、もうなすべきことがなく、医者が便宜上そうしているのだということは、子供心にもなんとなくわかっていた。


私が学校から帰ってお見舞いに行くと母はベッドに横たわったまま、苦しそうに笑う。なぜ苦しいのに無理に笑うのか。


疑問に思った。周りを見ればみんなそうだ。


お店の人も、学校の教師も、道端ですれ違う会社員も、誰の目も笑っていないのに無理に笑って生活をしている。


不可解だ。母は母自身の病からくる苦しみを私に悟られまいと、私を安心させようと笑っている。それは理解できるけれど、その姿は痛々しい。 


だからある日気づいた。


苦しみの根源を断てばいい。母を助けようと思った。点滴パックの中身を塩化カリウムに変えた。


不思議なことに誰も気づかなかった。静脈の中に点々と雫が落ちていくそのさまは美しく思えた。


私は母をじっと観察していた。母はショックを起こすこともなく、深い眠りに落ちていった。もう目を覚ますことのない安寧とした暗闇が母に訪れる。これで母は無理に笑うこともなくなる。安心できた。


2162年 8月8日



母の死は病院側のミスだと発覚した。


誰も私を疑わない。医療関係者がうちに来て丁重に謝罪をしていた。母はどのみち長くなかったので、父も波風を立てようとはせず、対応を穏便にすませていた。


それから5年が経った今、私は幸せの在処というものを考えている。核攻撃から身を守るとはいえ、人工で作り上げた太陽のもとで暮らすことは、幸せなのだろうか。


どうして人は生死にこだわるのか。どうして脳をデータ化してまで生きながらえようとするのか。デジタルが今の人間をおかしくしている気がする。


父は母が死んだ日、私に言った。「もう一度お母さんに蘇って欲しいと思うかい」。


私は否定的な意見を言った。しかし父はロボット工学者で、私は実験に協力することもあった。父にとってはそれが幸せなようだったから。

 

2162年 8月15日


一昨日一人で地上に出かけたら、一匹の白い犬に出会った。


犬はリードをつけていたが、飼い主の姿はどこにもなかった。


微笑みを向けると犬は私になついてきた。迷子になったのか、脱走したのか不明だった。


犬は私に話しかけてきた。「いつも鎖で繋がれているんだ。息苦しいよ」。


私は人のいないところへ犬を誘導して殺した。


自由にさせてあげたかったのだ。目的は上手く達成された。


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