2.ようこそ

 目の前に広がるのは真っ赤な海と真っ黒な両腕。


 聞こえるのは複数の笑い声。


 匂うものは醜悪な悪意。


 沸き立つものは全てに対する怒りと憎しみ。


 死の冷たさすらも感じさせないほどの悲しみと、喪失感。それと、この震えは怒り、恐怖。いや違う、この体の震えは自身を抑えられなくなり、心を持つ者としての自制が壊れた時に現れる震え。


「はぁはぁはぁはぁはぁ」


 感じたことのない難解な感情と感覚達をこの身に受けたことによってどれだけ呼吸をしようが脳に酸素が行き届かず、その呼吸は刻が経つごとに数を増してゆく。


 そして次の瞬間。視界が急激に上昇し、白い靄がかかった人の形をした何かを引き裂き、それを眼前にまで近づけたかと思えばさらに肉を細かく引きちぎり、硬いものを砕くような音を鳴らし、顎が上下に運動をし始める。何をしているのかはいうまでもない、己はこれを食らっているのだ。


 そしてゴクリ、飲み込んだ。


 **********


「はぁはぁはぁ!」


 その瞬間、ケンライは汗だくになりながら目覚める。


「オッ!」


 先程見たものの余韻のせいなのか湧き上がった憎しみと、わけの分らないものを飲み込んでしまったことによって生まれた不快感が胃酸を上へ上へと押し出し、起き上がった状態で嘔吐してしまう。


「う、うぅ」


 断続的に吐き続けてようやく胃酸が全て出きって、吐き気がおさまってきて平常心を取り戻し、食らったはずの白いものが眼の前にないことから先程見せられた光景が夢だったことに気づく。


「え?」


 そして、それと同時に自分が全く知らない部屋のベットにいることにも気づき、これまでの記憶は病院に搬送されてこれまでの出来事は夢か、臨死体験か何かだったと考えた。そのとき。


 薄暗いこの部屋に、恐怖心を誘う音と共に一筋の光が己の顔を差した。眩しい、と思いながら目を細めていると。


「起きたのか?」


 こちらに声をかけてくる影が現れた。


「………」


 ケンライはこの聞きなれない男の声に動揺して、その人物をじっと見つめる。


「お、やっぱり起きていたか」


 するとどうやら扉を開けた男はこちらが目を覚ましたことに気づいたようで、その男はこちらに歩みを進めつつ声をかける。


 その男がケンライに近づき男の姿が見え始めたその瞬間、またもや気づいてしまう。自分は病院に搬送されたわけではなく、あの悪魔によって地獄に連れていかれてしまったということに。 


「あ、悪魔……」


 白いタンクトップに黒いジーパン。ここまでは全くの一般人。しかし、目の前にいるこの人物は断じて一般人などではないことは一目瞭然。


 真っ赤なワイヤーや金属片が装着されているガスマスクから飛び出しており、そのワイヤーが刺さっている隙間から黒い何かが固まっていることに、不穏な何かを感じさせられる。


 そして最も驚かされた所は肌。火傷でもしたのだろうか、その男の腕は焼け爛れて真っ赤で痛々しい。その上、何を思ったのだろうか、この痛々しい腕にはさらに有刺鉄線が巻きつかれており、ケンライはこのような見た目に恐怖を覚えるのとともに、何故か腕がチクチクする感覚に襲われてしまう。


「あぁ、やはり気になってしまうか」


 そのようにケンライが酷いものを見る目で悪魔の腕をじろじろと見ていると、悪魔もその痛いほどの視線に気づいたようで、その苦痛に満ちた両腕を背中に隠した。


「……?」


 その悪魔の配慮に自身が抱いていた残虐非道な悪魔のイメージと、ここにいる悪魔の外見にそぐわぬ人間性とのギャップに混乱の末、口を開けたままボーっとしてしまう。


「付いてきて来てくれ」

「あっはい」


 そうしてケンライの起床を確認した悪魔は先程通ってきた扉を顎で指して、ケンライについてくるように促した。この時は最初に悪魔に会った時よりかは抵抗感もなく、ガスマスクを装着している悪魔が悪魔らしくないこともあってか恐れることもなく。指示通りドアに向かう。その先でケンライが目にしたものとは、


「モー、何故お前は出会った天使を次々に殺して回ってるんだ?」


 冷酷な声の中に怒りに似たものが感じ取れる。


「私はモーがやったことには一概に悪いとは思わないけどね。私もあいつらを消してやりたいと思っているし」 

「確かに、確かに天使の奴らも俺らに危害を加えてきてる。だが、私達は”あんなの”と同じ程度になるわけにはいかない」

「同じ程度だと? もうそんなこと言っている場合ではない。奴らに多くのものを奪われているんだ。もはや誇りやらプライドやらレベルなんぞ俺の知ったことではない」


 泣いているピエロのメイク、褐色肌でおっとり顔の長髪な女性、妙な模様のマスクの三人の悪魔が何かで言い争っている様子だった。


 その中には天使の頭を砕いたあの妙なマスクの悪魔がおり、その悪魔とピエロの悪魔が主に言い争っている。という状況だった。 


 当然ケンライはそのような人を殺せそうなほどに鋭い視線を向け合っている悪魔二人のいる部屋に入ることができず、部屋に入る直前で歩みを止めてしまう。


「はぁ……」


 それと同時に、ケンライのとなりにいるガスマスクの悪魔はため息をつきながら部屋に入っていき、


「一体、いつまで喧嘩をしているんだ!? もうあの少年は目を覚ましているぞ」


 三人を叱りつけた。するとその悪魔の声を聞いた三人はケンライとガスマスクの悪魔に振り向き、この部屋は静寂に満ち始めた。


「はぁ、すまない」


 そしてガスマスクの悪魔はケンライに対して謝罪をし、悪魔たちの方へ振り返って厳格な声で始める。


「さて、これで全員揃ったな。では、これからそれぞれの行動について話す」


 この時ケンライは、この”全員”というものに自分が入っているのかもと一瞬考える。しかし、さすがに悪魔と人間の未成年を一括りにすることはないだろう、と考えを改めたケンライは黙ってガスマスクの悪魔の話を聞くことにする。  


 しかしこの後、ケンライは知ることになる。このような考えを持っていた自分があまりにも楽観的過ぎたということに。


「ではまずトレイ、お前は地上での依頼をこなして来い」

「了解」


 最初にガスマスクの悪魔は、先ほどの言い争いの中心の一人の、泣きピエロのメイクの悪魔”トレイ”に対して資料を渡して指示をだした。


「ラフリ、お前は俺と一緒に来い」

「え、ボスと?」


 そして次に、先程の言い争いにあまり関わっていなかったおっとり顔の悪魔”ラフリ”に対して指示を出す。しかしその指示にラフリは明らかに嫌そうな表情をガスマスクの悪魔に全開に出しており、その一連の様子を見ていたケンライはこの悪魔は所謂一匹狼的なものかと考えてみるが、


「まさか俺がお前にゆっくりサボらせることを許可するとでも?」

「くぅー」


 どうやらこのラフリという悪魔。サボり癖があるらしく、このガスマスクの悪魔はそのようなラフリの行動を監視するためにも行動を共にするらしい。本当にサボろうとしていたのか、ガスマスクの悪魔の言葉を聞いたラフリは悔しそうに膝から崩れ落ちていた。


「最後にモウシュと君。まともな服を買え」 


 ガスマスクの悪魔の指示を聞き終えたその瞬間。ケンライは気づいてしまう。己も他の悪魔と同じようにカウントされていたことに、しかし他の悪魔達は天を仰いでいるケンライを気にも留めず、


「了解」


 と、低いあの声で返事をしていた。その結果ケンライは、天使の頭を砕いた悪魔‪”モウシュ"とともに行動をすることになってしまった。当然この時のケンライが、先程までの楽観的な考えを持っていたことを後悔していたのは言うまでもないだろう。


 **********

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