Sweet Night

飴傘

Sweet Night

 シャワーの音が、こんなに怖いと思ったのは初めてだった。


 ベッドに腰かけて、深呼吸。学生寮とは違う、ホテル独特のにおい。

 真っ白なシーツ、真っ白なスリッパ、そして真っ白なバスローブと、その下の、下着。

 全部、何のためのものかって。それは、今シャワーを浴びている奴とのための、ものなのだ。


ーーー


「抱いてくれ」


 そう奴に頼んだのは、二週間前のこと。いつものように剣道場で夜遅くまで自主練して、奴と二人で戸締りして帰るところだった。呑気に「飯でも行かねぇ?」と言う奴に、私は依頼したのである。


「は?」


 奴は固まった。そして、ロボットのようにぎこちなくこちらを向いた。


「聞こえなかったか? 抱いてくれ」

「いや、聞こえなかったんじゃないよ、え? それって、ハグじゃないよね?」


 私は頷く。奴は、顔を手で覆って空を仰いだ。きっと星が綺麗なことだろう。

 そして大きく深呼吸し、奴は再び私に顔を向けた。


「それ、彼女になりたいってことで合ってる?」

「いや、抱いてほしいだけだ」

「は?!」

「だから。彼女ではないが、抱いてほしい。最近の若者は、二十歳までには、その、初体験を済ませるものなのだろう? 同期から聞いてな」


 女子更衣室は恋バナと愚痴の巣窟だ。そして剣道一筋で育った私がカルチャーショックを受ける場でもある。この話も、「ね、初体験、もう済ませた?」と聞かれて初めて知った。ネットで調べたら、確かに大学生の内に初体験を済ませる人が多そうだった。


「あまり遅いといけないらしいから、抱いてくれる人を探していたんだ。そこに、ちょうど適任がいたというわけだ」

「……それは、俺じゃない奴に頼むかもしれなかった、ってこと?」

「いいや、お前は幼稚園の剣道教室からの仲だし。こんなこと頼んで迷惑じゃないのは、お前くらいかと」

「言ったな……? 二週間後、部活休みの日。どうせ空いてんだろ? 夜、迎えに行くからな」


 そう告げた奴の目は、今まで見たことないほどギラついていて。その時点で既に、奴に頼んだことをちょっと後悔してはいた。


ーーー


 シャワーの音が止んで、暫くして、バスルームのドアが開いた。そして、バスローブ姿の奴が出てくる。煩い鼓動。何か縋れるものが欲しくて、ベッドのシーツをぎゅっと握った。


「お待たせ」


 そう言いながら、隣に腰かける奴。高級なシャンプーの香り。隣に感じる奴の感触から全力で思考を背ける。ほんと、無駄に高級なホテル取りやがって。体、ちゃんと洗ったよな? 洗ったし、のぼせかけるぐらいお湯に浸かったよな?


 「なに、緊張してんの?」


 奴はくすりと笑って、私の肩を押す。いつもは奴の面を受けてもブレない私の胴が、あっけなくベッドに倒される。私がそろりと見上げれば、奴と目が合った。


 あの、目だ。ギラついた、捕食者のような目。奴は私の肩のあたりに手をついて、大きく息を吐いた。奴の視線が、私の体の上を滑っていくのを感じる。


 怖い、と思った。まるで兎にでもなった気分だった。幼いころから知っている奴の目が、性的な色を含んでいることが。バスローブの襟から見える、鍛えられた身体が。怖い。手が震える。足先や手先が冷たくなっているのを感じる。


 そして、だんだんと、奴の顔が近づいてくる。あぁ、そうだよな、キスぐらいするよな。これからもっと凄いことするもんな。

 早すぎる鼓動と荒くなる呼吸をどうにか抑えるように、唇を噛む。そして、奴のギラついた目から逃げるように目を瞑って、その時を待った。




 ぶにゅ。


「……ふぇ?」

「はは、ばーか」


 恐る恐る、目を開ける。そこには、いつもと同じ幼馴染がいた。ギラついた視線も、色事の雰囲気もない、ただの部活の同期。私の頬を指で挟んで笑っている。

 奴は、戸惑いの視線を向ける私に、肩をすくめて返した。


「そりゃさ、流石に俺も、準備ができてない奴に手は出さないよ」

「……」

「あんだけ顔色真っ白で、ガタガタ震えてたら誰でも分かるって」


 「どうせ同期にいらんこと吹き込まれたんだろー」と、私の頬を一通りもちもちいじくる奴。そして頬をぱっと放し、「ん」と手を差し伸べた。呆けながら、手を借りて起き上がる私。


「ほら、同じ一夜の過ちでも、今のお前にはこっちの方が幸せだろ?」


 奴はベッドサイドの冷凍庫を開けた。現れたのは、アイスの山。

 「お前が風呂入ってるときに、コンビニで買い占めてきた。二十はあるぞ」と、ぽんぽんアイスをベッドの上に放っていく奴。


「腹、下すぞ……」

「いーじゃん。過ちだろ?」


 気づいたら、「はい、抹茶。お前の好きなやつ」とアイスと木のスプーンを握らされていた。自分はしっかりチョコミントを確保してる。ちゃっかりした奴。


 でも、悪くないかもしれない。


「今度、お互い覚悟が決まったら、『過ち』犯そうな」


 アイスを口に入れながら、笑う奴。

 今すぐ返事は返せないけど。私も笑い返して、抹茶アイスを一匙、口に入れた。

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Sweet Night 飴傘 @amegasa

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