第2話 僕は無能な男らしい。

 僕には、憧れの人がいた。

 中学の頃に発売された「フリートム」。

 YAMAGAMIというビール会社が開発した炭酸飲料水だ。

 その開発の中心人物であった美浜みはま部長。

 僕は、ずっとその人の背中を追いかけて来た。


 美浜部長のようになりたい。

 いつか自分も商品を開発して、かつてないほどの売り上げを叩き出したい。

 そのためにもまずは、美浜部長を支えられるような力をつけたい。

 そう願っていたのに。


 新商品の営業担当だった、一ノ瀬いちのせさん。

 第一印象は、最悪だった。

 美浜部長に対して敵愾心てきがいしんに燃えていて、ミーティングの度にぶつかり合っていた。営業が始まってから、ずっと険悪そうに見えたのに。ある時を境に二人は急接近した。


──『これだけ売れる商品になったのは、仲本なかもとがチームにいたからだ。美浜さんだってそのことをわかっているさ』


 まるで美浜部長の一番の理解者のように僕を励ましてきた。

 何もわかっていなかったくせに。

 どうして僕が、一ノ瀬さんから美浜部長のことを聞かされるのか。

 悔しくて、腹立たしくて。


 僕はそれから、憂さ晴らしに外でお酒を飲むようになった。

 先輩や同期と飲み歩き、最後は毎回カラオケで熱唱した。

 歌っている間は、何もかも忘れられたから。

 みんなが先に帰った後も、ずっと歌い続けた。


 今日も、みんなが先に帰ってしまってから、いつもの店でヒトカラした。

 そして、薄いサワーに飽きて、とぼとぼと一人、夜道を歩いていた。


 その時だ。

 空に閃光が走った。


 最初は雷かと思ったけれど、その光は虹色に輝いていた。

 しかも一筋ではなく、何本も地上に向かって流れてくる。

 彗星にしては数が多いし色が違う。

 隕石だろうかと、僕はスマートフォンを取り出して動画を撮ろうとした。

 すると、光は方向を変えて、僕の方へと伸びてくる。


「え、どうして……?」


 遥か彼方にあった光は、僕の頭上で花火のように広がり、流れてこようとする。


「うわあっ」


 眩しさに目をギュッと閉じて、僕は地べたに座り込んだ。

 頭と顔を庇おうと腕で覆い、光が過ぎ去るのを待つ。


 辺りが静まり、次に目を開けた時には、さっきの光景が広がっていた。

 見知らぬ人に囲まれて、嘲笑われて、邪険に扱われて。


 こんなの、酷過ぎる。

 僕が何をしたって言うんだ。


「いくらなんでも、あんまりです」


 空を見上げて嘆いていると、先を歩いていた人が振り返る。


「フリートム様、どうぞこちらへ」

「あ、はい」


 フリートム。

 そういえば、咄嗟にそう名乗ったんだっけ。


 僕は、詰襟の黒衣を身にまとった人について歩き、闘技場のような広場を後にした。


 出口の向こうには、馬車が止まっている。

 二頭立ての至って普通の馬車に見えるが、引いている馬には角がある。

 美しい白のたてがみに見惚れて、僕は立ち止まった。


「わたくしが、どうかいたしましたでしょうか」


 一角獣が落ち着いた深みのある声で喋り出し、僕は度肝を抜かれた。


「……っいえ、何でもありません」


 思っていることを、何とか声に出さずに口を引き結ぶ。

 この世界では、動物は喋るものなのかもしれないからだ。

 

 馭者に促されて、馬車のステップに足をかけて乗り込むと、中にはさっきのリディアン王子が待っていた。


「ごめんなさい。お待たせしてしまって」

「気にするな。そこに座るといい」


 人好きのする微笑みを浮かべて、王子は目の前の席を指し示す。


「失礼いたします」


 僕は、一礼してからシートに座る。

 王子のはす向かい、僕の隣にさっきの詰襟の老人が座ったところで戸が閉まる。

 

「出発いたします」


 一角獣の声が聞こえ、馬車はすぐに走り出した。

 どこに向かうのだろうか。

 落ち着かない気持ちで外に目を向けると、街並みが見えた。


 薄暗闇にぽつぽつと灯るのは、不思議な形をしたランプだ。

 筒状のそれの中には、青白い炎が見える。

 ガス灯だろうか。それにしては奇妙な揺れ方をしている。

 

 その灯りの下には、行き交う人の姿があった。

 人型の方が多いけれども、やはり獣の姿の人も見受けられる。

 道沿いの建物は高床式で、流れる川の上には船もある。

 ゴンドラのように、一人の漕ぎ手がオールを差して川を流れていく。


 幻想的な光景に目を奪われていたところ、くすりと笑う声がした。

 僕が窓の外を見ている姿を、王子がずっと観察していたらしい。

 人が悪い。僕は恥ずかしく思った。


「王都は初めてなのか?」

「はい。すみません。珍しくて」


 王都どころか、この世界自体が初めてだ。

 見るものすべてが珍しいし、理解の範疇を越えている。

 でも、物見遊山をしている場合じゃない。

 気を引き締めないと、ぼろが出てしまう。


 僕は一つ咳払いをして、王子に向き直る。


「どちらに向かっているか、お聞きしても?」

「ああ、俺の居城だ。王城から少し離れた場所にある」


 王都、王城。

 やはり、ここは王が君主として統治する国なのだろう。

 そして、この人は第二王子だ。

 失礼に当たらないよう、気を付けなくてはいけない。


「城に着いたら、ゆっくり湯浴みをして休んでくれ」


 湯浴みということは、お風呂に入れるということか。

 それはありがたいことだけれど、今はもっと重要なことがある。


「その前に少しお聞きしたいことがあります」

「なら、今聞けばいい。答えられることなら俺の口から説明するよ」


 王子はそう言って、窓枠に肘を突く。


「サガンについて、お聞かせ願えますか?」


 まずはそれを聞かないと話にならない。

 すると、隣の白髪頭の人物が、ずいと身を乗り出した。


「それは、私めからお伝えいたしましょう」


 そして、鼻までずり落ちていた丸眼鏡を、皺の寄った指先で押し上げて口を開く。


「サガンとは、王家に連なる方の、いわば守護者のことを指す。エイノック王国では、王族が18歳を迎える時、サガンを召喚するのだ」

「……18?」


 ということは。

 僕はちらりと横目で王子を窺った。


 金髪青眼のこの人は、これで18歳ということか。

 飄々とした表情も、こんな状況に動じない様子も、18歳とは思えない。

 日本で言えば、高校を卒業し、大学に入るくらいの年齢だ。

 18の頃なんて、僕は受験勉強に必死だったというのに。

 なんだろう、この落ち着きは。これが、王子というものなんだろうか。


「どうした? 何か問題が?」

「いえ。ちょっと、びっくりしただけです」


 つい驚きのあまり、挙動不審になってしまった。


「続けてもよろしいか?」

「はい、お願いします」


 眼鏡の奥の落ちくぼんだ目が、僕をじろりと睨んでくる。


「歴代のサガンは、他国の姫君や国内の巫女、あるいは貴族といった方々だ。そして、これまですべて女性であった。故に、聖女とも呼ばれておる」

「……なるほど」


 それで、僕みたいな平凡な男が現れて、みんな落胆したわけだ。


「今、そなたの頭にあるサークレットは、サガンの証である。召喚されたサガンは、皆サークレットを頭に冠しておるのだ」


 そういえば、頭にひも状のものがある。手を伸ばして触ってみると、鎖のような感触だ。額のあたりには、石みたいな重みのある硬いものが押し当てられている。


「その額の石は、サガンの能力に応じて光を放つ。輝きが強く、明るいほど魔力値が高い。──だが、そなたの石はまったく光ることはなかった」


 石の判定によれば、僕には魔力がないということか。

 それはそうだろう。普通人間には、魔力なんてない。

 異世界に来たからといって、凡人の僕にいきなり魔力が与えられるなんて、そんな都合良くはいかないんだろう。

 

 少しずつ理解していたその時に、やれやれと言いたげに白髪頭を振った。


「要するに、そなたは無能力者である。このようなことは、まさに前代未聞」


 無能という響きに、僕は打ちのめされた。

 これまで必死に勉強して、日本屈指の企業であるYAMAGAMIに入社したというのに。

 異世界で僕は、無能の烙印を押されてしまった。


「よくよく立場をわきまえ、サガンとしての使命を果たすように」


 サガンとしての使命と言われても、能力がないのなら守護なんてできないんじゃないか。


 もう一度王子に目を向けると、眉を上げて僕を窺っている。

 年下でも、この人は一国の王子だ。身長が高くて体格も良く、きっと世界についても熟知している。どう考えても僕よりよっぽど有能な人を、これといった特色も魔力もない無能力な自分が、どうやったら守れるっていうんだろう。


 ここまで聞いて、僕は思った。

 サガンの召喚に失敗したってことなんじゃないか、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る