【短編小説】過去との邂逅

夜凪 叶

第1話

七月三十一日、恋人の有馬陽菜から電子メールが送られてきた。内容を読む。

『失敗した失敗した』

俺はただごとではない雰囲気を感じ取り、陽菜の家を訪れた。玄関のドアは開いていた。僕はドアノブを回し、扉を小さく開く。おどろおどろしい雰囲気を感じ取りながら、玄関に入る。

「陽菜、いるのか! いたら返事してくれ!」

声は反響するばかりで、返事の一つもない。確か陽菜は一人暮らしのはずだ。俺は玄関から一番近い部屋の前に佇立する。俺は恐る恐るドアノブを回して、扉を開いた。するとそこには。無惨にも天井から吊るされた陽菜の姿があった。

「おい! 陽菜!」

俺は迷わず警察に連絡を入れる。まもなくして、警察が到着し、家一帯は立ち入り禁止となった。


俺は陽菜との思い出を懐古する。一緒にスキーに行った日、近所の公園にお花見に行った日、沖縄に旅行に行った日。俺たちは甘美な過去を積み重ねてきたはずだった。でもそれは、砂上の楼閣のごとく刹那にして崩れ去ってしまった。


警察の事情聴取も終わり、自宅への帰路に着くその道程。

「君は過去に戻りたいか?」

突然、黒髪で長髪の女が声をかけてきた。唐突すぎる質問に少し面食らったが、俺は冷静沈着に答えた。

「過去……そうだな、戻れるもんなら戻りたいさ」

傷心の俺は、過去をイレースしてしまいたいとさえ考えていた。

「じゃあ、その願い、叶えてあげよう」

「何だって」

女は手を胸の前に合わせ、ぶつぶつと唱え始めた。すると、視界が歪み、軽い立ちくらみが起こり始めた。

「くっ、一体どうなって」

「君はやり直せる。次は正しい選択を」


俺は布団で目を覚ました。スマホで時刻を確認する。すると驚くべき事実に俺は動揺した。今日は七月三十日。俺は何と過去に戻っていた。

「はっ、そういえば」

次の日には陽菜が自殺してしまう。俺は陽菜の家に訪れた。呼び鈴を押し、陽菜を呼びつける。

「陽菜、少し話があるんだ」

「……わかった。入って」

俺は再び陽菜の家に足を踏み入れた。陽菜の部屋に入る。事故現場を見た時は気づかなかったが、部屋は荒れに荒れていた。混沌を極めし空間で、俺は陽菜と面と向かって話をする。

「なあ、陽菜。もしかして、何か悩み事があるんじゃないか」

「悩み事……」

陽菜は首を捻って勘案する。一瞬、表情が曇ったのを俺は見逃さなかった。

「俺でよければ相談に乗るから」

「ごめん……太一には話せない」

「そこを何とか、な?」

「この事を話したら、太一を傷つけるから」

「陽菜……」

「今日のところは帰って。お願いだから」

結局、陽菜にとっての有効打を見つけることができず、ぬけぬけと俺は自宅に帰るしかなかった。


そして迎えた七月三十一日。再び電子メールが送られてきた。

『失敗した失敗した』

俺は陽菜の家に向かったが、結果は変わらなかった。残虐に吊し上げられた死体。俺の精神はもう限界だった。


警察の事情聴取を受けた帰り、再び長髪の女に出会った。

「君はまた失敗したようだね」

「あなた、何か知っているんですか?」

「私は全能の神、知らぬ事など欠片もない」

何を言っているんだこの女は。ただ、俺は藁にもすがる思いで、一縷の望みを託す他なかった。

「じゃあ教えてください。なぜ陽菜は自殺したんですか」

「それは、君にとって知らない方が良いことだろう。それでも知りたいのと望むのか?」

「……はい」

女は呆れたといった表情で、きっぱりと言い切った。

「端的に言って、彼女は結婚詐欺に引っかかったのだ」

「まさか……」

「彼女は全財産を騙し取られ、挙げ句の果てに多額の借金まで背負わされた。自殺するのも無理はない」

絶句する俺をよそに、女は話を続ける

「愚かなことよのう。お前という恋人がいながら、結婚詐欺に引っ掛かるなんて。まさに、自業自得といえよう」

俺は陽菜の知られざる部分を知ってしまった。もう二度と、甘美な過去を回想することはできない。

「その上で、君に権利をやろう」

「権利だと?」

「彼女を助けるか否か、選ぶが良い」

「俺は……」

正直、彼女のことをどう思っているのか、今となっては自分でもわからなくなっていた。陽菜を助けたいのか、助けたくないのか。俺は二者択一の狭間で揺れていた。だが、陽菜を忘れようとすればするほど、喜悦に満ちた思い出が蘇る。俺は後悔をしたくない。俺はついに決心した。

「俺は陽菜を助けたい」

「その心意気。認めよう」

女は胸の前で手を合わせて、呪文のような何かを唱え始めた。まただ。視界は歪み、意識が朦朧とする。そして俺は完全に意識を失った。


次目覚めたのはやはりベッドの上だった。スマホで日にちを確認する。よし、七月三十日だ。俺は決死の覚悟で陽菜の家へ歩を進めた。


陽菜の家に辿り着く。呼び鈴を鳴らし、ドアを開けてもらう。陽菜の部屋に入り、正面から対峙した。

「お前、俺に隠し事があるだろ」

「……え? なんのことよ」

「誤魔化しても無駄だ。お前、結婚詐欺に引っかかたんだろ」

陽菜は愕然としたようすで、目を泳がせている。

「何言ってるの、そんなわけないじゃない」

「裏は取れてるんだ。お前が浮気してるってな」

これはハッタリだ。たが、精神的に動揺してる陽菜には見破れまい。

「どうして、そのことを」

「さあな、そんなことより」

俺はいっそう声を荒げ、憤怒をぶちまけた。

「どうして自殺しようとするんだ!」

「ひっ……」

陽菜は怯えたように、両手の甲で顔を覆う。

「すべてお見通しなんだ。俺にはな」

「そっか、そうなんだね」

陽菜は諦観を示したかと思えば、形相を変えて怒り出した。

「だって、仕方ないじゃない!」

陽菜は床をバシンと叩いてすっくと立ち上がった。

「私、一文なしでこれからどうやって生きていけばいいっていうのよ!」

「あのな」

俺は陽菜の首根っこを掴み、最大限の声量でぶちまける。

「人間はな、生きなきゃなんねえんだよ!!」

陽菜は依然、鉄皮面を貫いている。

「人間なら、生きてりゃ死にたいと思う時の一つや二つぐらいある。でも生まれたからには生きなきゃならなえ。それが俺たち人間の尊厳ってもんだろ!」

陽菜の表情が緩み、目尻には涙さえ浮かんでいた。

「わかったか、このおたんこなす!」

俺は掴んだ手を離し、陽菜を地面に下ろす。

「そうだね。やっぱり生きないとだめだよね」

陽菜の双眸からは滂沱のごとく涙が溢れている。俺は優しく抱き留めた。

「好きなだけ泣け。そして立ち上がるんだ」

「うっ、わああああ!!!!」

そうして、俺は一人の命を救うことに成功した。


陽菜の家から帰る道中。

「やあ、また会ったね」

「あなたは」

例の黒髪の女が電柱にもたれかかって佇んでいた。

「ようやく、成功したみたいだね」

「ああ、あなたには感謝してもしきれない」

「感謝など不要。我は神としての責務を果たしたまでだ」

すると女の体が透け、背景と一体化していった。

「さらば、親愛なる人類よ」

完全に背景に溶け込むようにして、女の姿は跡形もなく消え去った。


後日、陽菜は元気を取り戻したようで、借金返済のためにあくせくバイトをしている。ただ、陽菜が浮気をしたことから、俺たちの恋人関係は破局を迎えた。でも、それでよかったと俺は思っている。思い出だけが、俺の乾いた心を潤してくれるから。過去の記憶だけで、俺にとっては十分すぎるほど幸せだったのだ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【短編小説】過去との邂逅 夜凪 叶 @yanagi_kanae070222

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ