6Fの思い出

水涸 木犀

6Fの思い出

 部活になんか入らなきゃよかった。


 わたしは心の中でつぶやき、傘をつかみ重い足取りで下駄箱を後にした。


 中学生になったら、運動部に入ると決めていた。けれど運動神経に自信はないから、「体力がなくてもできそう」と軽く考えて女子バレー部に入ったのが間違いだった。小さいころから続けている人との埋められない実力差、やる気のある子にしか教える気のない顧問の先生。そして、女子同士のめんどうな力関係とうわさばなし。どれもこれもわたしには合わなくて、早々についていけなくなった。

 でもかといって、今から他の部活に入り直す気にはなれなかった。変な時期に別の部活に入ったら、絶対に浮く。すでに出来上がっている人間関係の中に割って入れるほど、わたしの心は強くない。


 そんなわけで、わたしは今日も部室に体操服を置き去りにしたまま、学校を出る。そのまま帰る気にはなれない。一応、今のわたしは「部活中」だから。でも中学校と家との間で、寄り道できる場所は限られている。中学校の横にあるだだっ広い公園か、駅の近くのスーパーくらいだ。いつもは公園でぼんやりするのだけれど、今日は雨が降っている。仕方なく、スーパーへと足を向けた。

 わたしにとってスーパーは、居心地がよい場所ではない。1Fで野菜とかお菓子とかを売っていて、2Fが服屋さん。そして3Fがゲームセンターとレストランになっているのだけれど、そこから上は知らない。何となく、「子どもが一人で来たらいけない場所」だという気がしていたから。でも、野菜売り場や服屋さんに一人でいたら、それこそ変だと思われる。3Fにいるのもオタクな人だと思われそうで嫌だ。


 だったら、一番上の階からゆっくり降りてくるしかない。


 そう決めたわたしは、エレベーターに乗って6Fのボタンを押した。誰も乗ってこない暗い箱はすぐに最上階まで連れて行ってくれる。


 開いた扉の先に広がる光景にびっくりして、わたしは目をぱちくりさせた。


 真正面に、机と椅子がたくさん並んでいる。使われている机は少なくて、点々とお年寄りが座っておしゃべりをしていたり、大学生っぽい男のひとたちが缶ジュースを飲んだりしていた。まさか一番上の階に、こんなに長居できそうな場所があるなんて知らなかった。わたしは心の中でスキップをしそうになりながら、6Fをすみずみまで探検することにした。


 壁ぎわに、たくさんのカプセルトイが並んでいる。それを一つずつ見ていって、これがかわいいとか、これがほしいとか思いながら歩く。端まで来たら、目の前に長机が現れた。上の方に緑色の文字で、「カルチャーセンター」と書いてある。ひとけがなくて、何をする所なのかはわからない。

 左を向くと、古くさい喫茶店があった。全体的にうす暗くて、中に誰がいるのかも見えない。黒いオーラが出ているそちらに行く気にはなれなくて、机と椅子が並んでいる中の、すみっこに腰かけた。なぜか勉強したくなって、理科の教科書を取り出して読み込む。そうこうしているうちに、帰っても変じゃない時間帯になった。


 それからスーパーの6Fは、公園に次ぐ第二の居場所になった。公園に怪しい人が出る、という話が出てからは、6Fに行くことのほうが多くなって、勉強道具を持ち込んだり、本を読んだりして時間をつぶした。周りの人たちも適度に散らばっていて、こっちを気にする様子が全然ないのがよかった。


・・・


 わたしがそのスーパーの存在を思い出すことになったのは、父親が購読している新聞の地域欄だった。「近隣住民に愛されたスーパー 42年の歴史に幕を閉じる」という見出しと写真から、それがわたしが中学生のころ、ずっとお世話になっていたスーパーだとわかった。


 中学校の最寄りのスーパーだったというだけで、今のわたしの生活圏内ではない。でも、あのころの鬱屈とした日々を思い返すと、気になってしまう。


 当時のわたしみたいに、中学校に居場所がない子たちは、これからどこに行くのだろう。


 中学生の行動範囲は広くない。代わりに自分の「居場所」を限られた選択肢の中から見つけ出すのは大人より上手い。だとしたら、あのスーパーがなくても、何とかなるのかもしれない。

 それでも、わたしにとってスーパーの6Fが大切な場所だったことは間違いない。わたしが中学生の時、存在してくれてよかった。今後の人生で居心地の悪い思いをしたときは、ずらりと並んだ机と椅子を思い出す。だから、「さようなら」じゃなくて「またね」と言ったほうがよさそうだ。


 あの程よく静かな空間、嫌いじゃなかったよ。今までの人生の中で五本の指には入るくらいに。きっと6Fがなかったら、わたしは今の「わたし」とは全然違う人間になっていたと思う。そういう意味では、人生を変えた場所なのかもしれないね。あはは、何だか人生の転換点になった恋人みたい。

 じゃあ、恋人みたいに別れを告げるのがいいのかな。

 「またね、大好き」なんてね。

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