第19話 水に消えた想い

 私が大きな声を出したので、カグヤは驚いたように黒い瞳を見開いた。

 その表情をみると、なぜか気持ちがあふれてくる。


「私はもうすぐ自由がなくなるわ。これまでのような生活も送れない。いまですら、いつも金糸雀隊が側にいて……」

「ご、ごめん……」


 自分が悪いわけじゃないのに、謝ってくるカグヤにいらつく。

 そして、そう思ってしまう自分にもいらついてしまう。

 でも止まらなかった。


「生まれた時からこうなることが決められていて……ううん、クラーラ伯母様が亡くならなかったら、私は王太女になることはなかった。伯母様は私に謝ったわ」

「そうなの……?」

「伯母様は王太女であることの重荷を知っていたから、私に謝ったんだわ。私もきっと窮屈な生活をするだろうからって……」

「クラーラ姫がそんなことを」

「あんなに国民に愛されていた伯母様だって、お辛かったんだわ!」


 娘も亡くし、自らも病気で40才を迎える前に亡くなってしまったクラーラ姫。ほんとうはもっとやりたいことや行きたいところがあったのではないだろうか。

 私は立ち上がった。


「私も……死ぬ時後悔するのかしら……」

「姫様、そんなこと言わないで」


 カグヤも立ち上がって、私の手を取った。

 でも、私はそれを払いのけた。

 心の中のもやもやは嵐になり、荒れ狂いだす。こんなこと言いたくないのに、我慢できなかった。


「本当は……」

「姫?」

「女王なんてなりたくない!」


 私の剣幕に驚いたのか、カグヤが一歩後ずさった。

 

「金糸雀隊もいらない!」


 一瞬、あたりがシンとした空気に包まれた。

 はっとカグヤを見ると、カグヤが悲しそうな表情で私を見ていた。

 私とカグヤの視線が一瞬交わる。

 彼女の揺れる瞳を見ていられなくて、私は顔を背けた。

 なんてことを言ってしまったんだろう。


「ごめんなさい……私っ……」


 いたたまれなくなった私は、彼女に急いで背を向けた。

 その時、パンプスの先が踏み石にひっかかってしまった


「あぶない!!」


 カグヤの声とどっちが先だったのだろう。

 あ……倒れる……!

 と思った瞬間、ざぶんっと私は池の中に落ちてしまった。

 頭まで沈んで、目はとっさに閉じてしまった。

 慌てて手と足を動かす。

 私は泳げない。というより、これまで泳ぐ機会がなかった。


「ぐっ……!」


 水面に顔を出した。


「姫!」

  

 上着を脱いだカグヤが飛び込んできた。水しぶきがあがる。


「私につかまって!」

「こわいっ……!」


 私は完全に混乱していた。ドレスの裾が水を吸って重くなっていく。口の中になんとも言えない味が広がっていた。生臭い匂い。

 私がカグヤが広げた両腕をつかんだ。


「落ち着いて、落ち着いて、大丈夫」

「カグヤっ……!」

 

 私が思いきり腕をつかんだせいだろう。カグヤが顔をしかめた。痛かったのか重かったのか。

 カグヤは私を抱き寄せた。

 その時、私の体が少し沈み、口の中に水が入り込んでしまう。


「うっ、ううっ」

「姫、落ち着いて、暴れないで」


 焦った私が足をばたつかせるとドレスのスカートが足にまとわりつく。

 私とカグヤは抱き合ったまま、水中に沈んだ。

 いつも見ていた池は意外と深く、うんと足を伸ばせば着きそうだったが、焦っているせいかつかない。


 その時、激しい水音がして池に何かが飛び込んできた。

 そして、そのままぐいっと体が上昇する。

 水面に顔が出る。

 カグヤと抱き合ったままの私を、引き上げたのはアマーリエだった。


「姫、大丈夫ですか! カグヤ、あんたは後ろから押して」

「うん」


 アマーリエは素早い動きで、池から上がって、池のへりに座る。

 カグヤが私の体を下から押し上げるようにして、アマーリエに渡した。

 アマーリエの長い腕に抱きかかえられて、私は水の中から助け出されて、中庭の芝生の上に寝かせられた。

 私の頬を、ぱちぱちと軽くアマーリエが叩いた。


「姫、大丈夫ですか! 姫! 姫!」

 

 心配そうに覗き混んでいる濡れたアマーリエの顔と空がみえる。

 私は言葉を発したかったけど、言えなかったので、軽く頷いた。


「よかったぁ……」


 アマーリエの呟きが聞こえた後、私は目を閉じた。

 なんだかとても疲れを感じた。


「何があったの!?」

「だれか! ブランケット持ってきて!」

「カグヤ! これはどういうこと!?」


 駆け寄ってくる足音と声を聞きながら、私の意識はそこで途切れた。


 

 

 翌朝、私は自分のベッドで目を覚ました。

 体は特にどこか痛むということはなかったし、気分も問題なかった。

 ただ食欲はなかったので、侍女にお茶だけを運ばせて、午前中は自室で過ごした。


 意識を失った後のことはあまり覚えていないが、侍女たちに着替えさせられていったん眠った。

 陽が暮れた頃に一度目を覚まし、用意されたお風呂にはいった。

 出てきたら、またベッドはきれいに整えられていて、私はまた眠ってしまった。


(あの後……カグヤはどうしただろう。助けてくれたアマーリエにもお礼を言わなくては)


 カグヤもアマーリエも池にはいったから体調が気になるし、カグヤにはひどい態度を取ってしまった。謝りたかった。


(昨日の私、おかしかった……でもカグヤにはつい本音を言ってしまう……)


 どうしてのなのかは、判らなかった。

 



 金糸雀隊に来てもらうよう、侍女に言づてを頼み、昼食後に客間に現れたのは、マリアナ、ディアナ、そしてユディタだった。

 三人とも私の姿をみて、ほっとした表情になったのが判った。


「心配させてごめんなさい。もう全然平気なの。座って」


 三人が落ち着いたところで、私は切り出した。


「助けてくれたカグヤとアマーリエにお礼を言いたかったのだけど」

「アマーリエは、仕事でマルタと共に出ているわ。カグヤは」

 

 ディアナが言いよどんだ後を、マリアナが引き取った。


「カグヤは家に帰らせたよ」

「え?」


 私が驚いた。なぜ? 

 その表情を読み取ったのだろう。ユディタが説明する。


「カグヤは金糸雀隊としての規律を犯しました」

「それは……なに?」

「姫様を危険な目に合わせたことです」

「ちょっと待って。あれは私が勝手に落ちて、カグヤは助けてくれようとしたのだけど!?」

「でも、その時、姫の一番近くにいたのはカグヤだからね」


 マリアナが言った。ディアナも続く。


「姫を守ることが使命の金糸雀隊が、姫様を危険な目に合わせたことは決して許されることではないわ」

「そんな……」

「ともかく、カグヤはしばらくは自宅で謹慎ということになるよ」

「私が戻せと言ってもダメなの? 私の親衛隊でしょう?」


 ディアナが少し苦しそうな表情になる。


「確かに金糸雀隊は姫様のための部隊。だけど、金糸雀隊の規律はお互いがお互いを律する……部隊内で秩序を守ることを義務づけられているの。カグヤのしたことを、私たちは見過ごせない」


 そして金糸雀隊の人事は「撰定会」が関わってくる。「撰定会」は金糸雀隊のメンバーを選ぶために特別に作られた組織で、今回の九人を選んだのもその会だ。メンバーが選ばれた後も数年は金糸雀隊に対して影響力を持つ。

 特に私は現在未成年なので特にだ。


「撰定会にもすでに報告はあげてあるわ。ルミドラ姫に怪我はなかったことも報告にいれたけども、どう判断されるかは……」


 ディアナは少し首をふった。

 

「……私が言うのも差し出がましいことかもしれませんが」


 ゆっくりと、言葉を選んでいるような様子でユディタが話しはじめた。

 

「カグヤは金糸雀隊には向いてなのでは? そもそもなぜ彼女が選ばれたのか、不思議に思っていました」


 確かにそれは私も少し思っていたけど。


「金糸雀隊の選抜をする撰定会のメンバーは完全に伏せられています。また選抜理由や基準もそうです。それは姫様もご存じかと思います。予想としては、王族、軍、大臣や長官、司祭などがメンバーだろうというのが大方の見方ですが」


 金糸雀隊や私が撰定会に連絡をするには、伝令に手紙を預ける方式になっている。現在の伝令は、王族の一員で、私にははとこに当たる男性だった。伝令に撰定会の内部のことを聞くのはタブーとされていた。


「……ストレガ大臣が関わっている可能性もあるのではないかと私は思っています」





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