第9話 御身、大切に

 姫は姫の御身だけを考えていればいい。

 マリアナにも「姫は姫のことだけを考えていればいい」と言われたことを思い出す。

 でも、私はどこかそれを受け入れたくない気持ちがあった。

 みんなの言うことなのだから、そのまま受け止めてしまえばいいのに。

 なぜか、自分の中でしっくりこない。


「さ、では早速侍従に準備させましょう」


 お母様が立ち上がる。そこで私たちの話は終わり、私の考えもちゅうぶらりんのまま終わってしまった。


 私の客間から、ソファとティーテーブルのセットが運び出され、大きな長椅子が運びこまれている最中に、ノエミとサシャが帰ってきた。

 ローベルト王太子のマグヴィツア宮には怪文書が投げ込まれていた。王太子は、まだ城から戻っていない時間で、警備のものが庭に落ちていたそれを見つけたそうだ。


「その紙には、『死の鴉』の一節が書かれていたそうです」


 サシャからの報告を、私は模様替えが終わった自室の客間できいた。

 私はテーブルに着き、サシャ、マリアナ、ディアナは立っていた。


「どの部分でしたの?」


 ディアナが聞くと。


「内容までは教えてもらえませんでした。筆跡などを軍のほうで調査するそうです」

「『死の鴉』なら、誰でも知ってる話だし……なんとも言えないね」


 サシャとマリアナが話している。

 『死の鴉』は、古くから伝わる伝承で、子供の時に必ず触れる物語だ。子供たちへの教訓などが込められていると言われている。


「はい、怪文書や妙な手紙などは年に数回あるそうですし……ただ、今回は先ほどの野犬の件とタイミングが同じだったことと」


 サシャは、聡明そうな瞳を私に向けた。


「現在の王太子、そして将来の王太女の宮での出来事という事実を軍は重くみているようです。金糸雀隊も心して業務に挑むようとの仰せでした」


 サシャの言葉にみなが頷いた。


「ルミドラ姫、多少窮屈かもしれないけど、今夜から宿直をするからね。今日の担当は私!」


 重い空気を変えるためか、マリアナが明るくいった。

 なので、私も頷く。


「判ったわ。夜食も準備させるから、無理はしないでお願いね」


 ★


 そして夜ーー。

 城にいるお父様からは、安全のためしばらく宮には戻らないと連絡があった。

 行き帰りが一番危険だからだ。

 私たちからしても、そのほうが安心だった。

 ミランはさみしがっていたけど。

 お父様からの手紙は家族宛の他、私だけに宛てたものもあった。

 それにはこう書かれていた。


『今、一番その身を大事にしなければいけないのは、私よりルミドラ、そなたである。王位継承権の下位である私より、来年には王太女になるそなたが、王家に敵意を持つものがいれば標的にすることは明らか。どうか御身を大事に。かわいい娘であり、国民の希望であるルミドラへ』


 ええと……と私は少し考え込む。

 そういえば、お父様って王位継承権でいえば何位になるのかしら、と。


 ハーデ国の王位継承権はこのような規則で成り立っている。


(1)王(女王)の実子の女子(以降年齢順に優先権がある)

(2)王(女王)のきょうだいの実子の女子

(3)王(女王)の実子の男子

(4)王(女王)のきょうだいの実子の男子

(5)王(女王)の女子の孫

(6)王(女王)の男子の孫

(7)先代王・女王の実子の女子で王位に就かなかったもの

(8)先代王・女王の実子の男子で王位に就かなかったもの


 王に娘がいて、成人になれば王太女になる。年齢順なので姉妹であれば長女が王太女になり、姉妹が成人すれば順番に、継承権2位、3位となる。

 現在の王、ダヴィト王には二人の子がいるが共に男子。今日会ったばかりのローベルト王子とリヒャルト王子という、私の従兄。

 ローベルトが王太子で、リヒャルトが第二位。


「お父様は……三位になるのね」


 ダヴィト王の生存する兄弟は弟だけ。お父様は、「先代王・女王の実子の男子で王位に就かなかったもの」に当たるため、三位である。

 ダヴィト王はまだ若い。孫もローベルト王太子の長女のウルシュラ姫しかおらず、三歳なので成人までにはまだまだ時間がある。


「確かにお父様が王になることは……ありえなさそうよね」


 そうなるには「ダヴィト王が在位中に、ローベルトとリヒャルトの二人の王子が王位を継げなくなること」が起こらなければいけない。

 しかも、来年にはこのままいけば私が王太女になる。「王(女王)のきょうだいの実子の女子」に当たるからだ。

 その時点で、お父様はまた順位が下がり、四位になる。


 王太女だったクラーラ姫が生きていれば、ダヴィト王だって王になることはなかった。だから、何があるか判らないと言えばそうなのだけど、さすがに、ローベルト、リヒャルトのお兄様と、私の三人全てに不幸があるとは考えにくかった。


 お父様からの手紙を読んで、私は改めて自分の身の重さを感じてしまった。

 頭では判っていたはずなんだけど。


 ★


「では、姫様、失礼します。ゆっくり休みなさいませ」

「ええ、おやすみなさい」


 寝る前の支度を整えた侍女が下がっていく。

 客間に繋がるドアがぱたんとしまった。

 あとはもう寝るだけ。

 ベッドの枕元のテーブルに用意された、お茶からほんのりといい香りと湯気を立ち上がらせている。

 山で取れた薬草を煎じたお茶で、正直最初は美味しくないと思って飲んでいたけど、慣れると気にならなくなっていた。何より香りはとてもいい。


 鏡台についていた私は、ベッドに移ろうと思い立ち上がった。

 ふと、客間にマリアナがいるのか気になる。

 自室からは客間の気配は感じられない。少し距離があるし、自室のドアがあいてもすぐにベッドがみえないように、ついたてが置かれている。

 ベッドは窓の側にあった。朝起きたらすぐに陽の光がみえるように。今はカーテンがかかっていて、窓からの冷気を遮っていた。

 ベッドの枕元に並ぶように鏡台があり、ここで侍女に髪の毛を整えてもらう。

 鏡台は大きく、物書きの机もかねていた。

 ついたてからドアの間には、本棚やクローゼットが置かれている。ドレス類は別の衣装部屋においてあるので、ここにかかっているのは普段着だ。

 私は宮にいる時間は、ごく普通のドレスを着ている。それはお母様もミランもそうだ。街の人たちは、王族はいつも豪華な服装をしていると誤解しているようだけど、それは外出する時や行事の時だけ、その場にふさわしい服装をしているのだ。

 特にミランは成長期だし、庭で汚したりもする。そんなにいい服ばかり着ていられない。

 

 私はついたてを越えて、客間に繋がるドアに近寄った。

 少し耳をそばだてるが、特に物音はしない。誰もいないのだろうか。


「あの……マリアナ、いるの?」

 

 私が思い切って声をかけると。


「姫様? 何かあった?」

 

 すぐにマリアナの声で返事があった。あ、いるのねと思いつつ。


「いえ、何もないの。ただ、静かだったからいるのかしらと思って。ここ、開けてもいい?」


 私はドアを開けようと手をかけたが。


「えっ?! お支度も終わってるんでしょ? だめだよ」

「あ。そ、そう……?」


 確かに夜着姿だけど、幼なじみのマリアナなら見られても平気だけども。


「ゆっくりお休みなさい。私はここにいるから」

「マリアナ……大丈夫?」

「ありがとう。妃殿下から、ブランケットもいただいてね。妃殿下はすごく姫のこと心配してたけど、金糸雀隊がいるから安心だってお言葉もいただいたよ」

「お母様が……」

「さ、姫もお休み。明日はユディタの授業だよね。あの子、厳しいと思うよ」

「そうね。おやすみなさい」

「おやすみなさい、姫。ルビナ女王のご加護を」


 私はドアから戻り、スリッパを脱いで寝台に上がった。

 お茶のカップに手を伸ばす。

 一口飲むと、いつものちょっと苦い独特の味、でもよい香りが鼻から抜けていく。

 このお茶は心を落ち着かせて深い眠りに誘うものと聞いている。

 そのせいだろうか、夕方からの事件のこともどこか遠い。いつものように静かな夜だった。

 夜通し、側にいてくれるマリアナのことも心配だったし、お父様、お母様が私のた身をたいそう案じていることに心が痛んだ。

 特にお母様は。

 ミルオゼロ湖事件がお母様の心の中に、大きな影を落としている。

 そして、私も忘れられない。

 あの紫の髪の騎士の姿が。


 





 

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