お雛様は自分もリカちゃんみたいな服が着たい

三屋城衣智子

お雛様は自分もリカちゃんみたいな服が着たい

「あーだるぅ」


 閑静な住宅街の中にある一軒家。

 三十五年ローン、三十五坪の土地に建つ半注文住宅のそれは、小さいけれど庭付きという、住人の夢を叶えたマイホームだった。


 その一室。

 今時珍しい床の間をしつらえた和室の、その 床板とこいたに。

 ちんまりと置かれていたのは、今はもう珍しくなくなった小ぶりな五段の雛飾り。


 今は夜。

 子どもらはもう大きくなり、それぞれの部屋で就寝している。

 親の方も、添い寝の必要がなくなったため自身の寝室を使用している。

 幼子だった頃にあったあの寝息の合唱、あの 人熱ひといきれは、ない。

 昼には洗濯物を畳む母親の鼻歌や、足音が聞こえるのと違い、和室はがらんとした空気を湛えている。


「これ、はしたない」

「え、だっていつも正座してたから膝痛くってぇ」

「我らの膝は作り物、そんなわけないでしょう」


 そんな空気を、ひそひそ、というよりかはしっかりと喋りつつも、しかし何故か小さく感じる音量で、誰かがかき乱した。

 見ると、モゾモゾと五段飾りの上の方で何かが動いている。


 それは自身の着ている着物を何枚かぬごうとしつつも、失敗していた。


「チッ、だるーい」

「口が悪うございますよ、姫」


 不貞腐れたお雛様に、どこからともなく注意が飛ぶ。

 一段下にいる三人官女の、向かって右、 長柄銚子ながえちょうしを持った女官だ。


「だって、重いのに脱げないんだもん」


 お雛様のほっぺたが膨らむ。


「それは当たり前でございます、我らの服は見栄え重視でありますゆえ」


 三人官女のうちの向かって左、くわえの 銚子ちょうしを持った女官が、姫に事情を説明する。

 聞いたお雛様は、どすんと座って後ろへと寝転がると、両足を投げ出した。


「なんで、うちばっかりこんな目に遭わなきゃなんないわけぇ。そりゃ、初めは、綺麗だしぃ? なんか、キラキラしてるしぃ? 良かったけど。なんか飽きてきたし、重くなった気がするしぃー。いいなーりかちゃんは、好きな格好できて。ほんと、なんでよぉ」


 ほんの数年前まで、日中、ずっとずっと観察していたりかちゃんのお着替え風景を思い出し、お雛様は唇を尖らせた。


 のそり。

 そこへ五段飾りの向かって右脇段下の空間から最上段へと空気が動き、黒い影がにょきりと生えた。


「どわあっ!」


 驚きのあまり自身の右手側へと転がり遠ざかるお雛様は、隣に座り込んだままのお内裏様にぶつかった。

 しかし彼は、痛い、とも、邪魔、とも、何も言わない。

 言えない、と言った方が良いのだろうか――彼はまだ、魂を獲得していないようだった。


 お雛様がその黒い影を確認しようと視線をよこせば、なんてことはない。

 そこにいたのはしまい忘れられて久しい、ティモテ、通称タイガーカット。


「なんだ、タイガーか」

「その呼び名、やめて欲しいな」


 タイガーカットは、困り顔のままひょいとその腕力で段の上に軽々あがると、お雛様の側に座り込んだ。

 彼女は、年季の入った青い花柄のAラインワンピースを着ている。

 足は素足。

 しまい忘れられたのをいいことに、いつも日中はどこかに隠れて夜、こうして方々へと足を向けて気ままな旅を続けているらしい。


「わたしたちみたいになりたいって、本当?」


 タイガーカットは、お雛様の瞳をじっと見つめてたずねた。

 隣に座られてもまだ寝転がっていた彼女は、タイガーカットと視線を合わせて、けれどその瞳を少しずらす。


 タイガーカットはハゲちゃびんだ。

 子どもは好意だったのだろう、それをやってのち大泣きしたらしいが、その後頭部は派手にハゲ散らかっている。

 どうにも、その当時ショートカットの子がこの家にいなかったらしく、どうしても髪型を変えたかったようだ。


 顔には元々プリントでしっかりと化粧が施されていた。

 が、そのディティールが気に入らなかったのか、はたまた化粧のできるタイプに憧れたのか。

 唇から、油性ペンの派手なピンク色がはみ出してたらこ唇のようになっている。

 瞳のアイシャドウは、いろいろなペン色が混ざってもう何が何だかよくわからない。


 お雛様は、寝っ転がっていた自分の姿勢を正しタイガーカットの横で体育座りをした。


「多種多様なファッション、できるじゃん? やっぱそこは、すんごく羨ましい」


 タイガーカットの悲哀の姿を見てもなお、彼女はそう思った。

 真紅、ラメ入りのピンク、ひだまりのような黄色、ひまわり柄、薔薇柄、水玉、ストライプ。

 どれも、伝統を重んじられる雛飾りには、無い要素だ。


 ミニスカートにショートパンツ、パーカーにドレス。

 型も色々あって、テイストも様々。

 特にお雛様は、ビビッドな色柄の服をみてはその好みど真ん中な様にため息をついたものだった。


 対して自分の格好は。

 伝統伝統と、変わり映えしない毎年同じ服同じ型。

 十二単衣で色はふんだん、もちろん金糸も使ってあって豪奢は豪奢だけれど。

 毎度とあっては、飽きるのだ。


 せめて、着替えができるなら。

 憧れたあの日々を思い出して遠くを見つめるお雛様は、隣のタイガーカットの視線には気づかなかった。


「わたしは……お雛様いいなって、ずっと憧れてたよ」

「え?」


 びっくりしたお雛様が、タイガーカットを見た。

 彼女は、お雛様を見ながら泣いている。


「あ、あわわわわわわ!」


 お雛様がオロオロするが、生憎、その雫を受け止めるだけのハンカチだのなんだのの装備がない。

 これだから雛飾りは、と心中で悪態をつきながら自身の十二単衣の袖で、タイガーカットの瞳を拭った。


 その一回では到底受け止めきれず。

 ポロポロ、ポロポロと泣きながら、タイガーカットは続けた。


「忘れ去られたのには、流石に、まいっちゃったの。旅は楽しいって言ってたの、あれ、意地だった。わたしは忘れられたんじゃない、わたしから、飛び立ったんだって、思いたかった……。お雛様は、毎年、そりゃ同じところに居続けて、つまんないのかも知れなくても。わたし、きちんとあるかないかを確認してもらって、大事に和紙にくるまれて、また来年会いましょうねって言ってもらえるお雛様が、ずっとずっと羨ましかったの」


 絶対に、落書きされないし。


 タイガーカットはポツリ、こぼした。

 お雛様は、自分の顔を触る。

「高かったんだから、絶対に遊んじゃだめよ」

 そう、この家の母親が口すっぱくして子どもに叩き込んでいたのを思い出す。

 確かに自身に施された化粧は、購入されこの家に来た時と寸分違わぬ色で、そこにあるらしかった。

 落書きをされた記憶もない。


「ま、まぁ? うちってば美人だしぃー?」


 お雛様は、湿った空気を打ち消すようにおどけて言ったが、失敗した。


「それに、本当はもういらないって、捨てられるのも怖かった」


 どきり。

 お雛様が身じろいだ。

 「物」にとって、それは人間で言うところの「死」だ。


 確かに、ある種寿命というものが設定されていない物にとっては、使用されなくなり、その場所から去り、焼かれ、土へとかえらない限り、生きているようなもので。

 けれど期間が決まっていないため、誰かの胸三寸むねさんずんでその生の終わりは突如やってくるのだ。


「だけど、今年お雛様を見て決心がついた」

「え?」


 今日の夜はやけに明るい。

 障子紙の向こう側から、月の柔らかな光が微かに部屋を暗闇から救っている。

 タイガーカットの横顔にも、そのしんとした光が当たっている。

 その瞳には涙がなみなみと溜まり、けれどもう流れてはいなかった。


「わたし、もう逃げない。わたしたち物にとってはやっぱり、使ってもらえなくちゃ、意味がないって気づいたから」


 そう言うと、タイガーカットはそれはもう、それはもう晴れやかに微笑んだ。

 日中、彼女は見ていたのだ。

 大事そうに、家族揃ってお雛飾りを和気藹々と、出すさまを。

 母親が鼻歌を歌いながら洗濯物を畳む際、チラリと視線をお雛様にやって懐かしそうに、昔を思い出すように、口元が微かに緩む様を。


 それは彼女が旅をするくらいでは、到底手に入れられないものだった。


「わたしも最期くらい、思い出してもらいたい」


 だから、行くね。

 とタイガーカットは言った。

 お雛飾りにもリメイクってあるらしいから、いつかお気に入りが着れるといいね、とも言った。


 お雛様は声が出なかった。

 出せなかった、と言うべきかも知れない。

 彼女の覚悟に、見合うだけの言葉を。


 そうして棒っきれのようになったお雛様に、ぎゅっと一回だけの抱擁をすると、ティモテは自身の脚力でまた、五段飾りの下へとシュッと降りていってしまった。


「追いかけなくて、よろしいのです?」


 女官の誰かが声をかけた。


「……できるわけ、ないじゃん……」


 ぎりぎり、女官たちへと伝わる声量だった。


「うちら、来年も再来年も……まだまだ、ここにいるもん」


 雛飾りは受け継がれる。

 遊び用の人形も、そうされる場合はあるが……確率で言ってしまえば雛飾りの方がそうされる可能性はうんと高い。

 何よりこの家の子どもはまだ成人まで年数がある。

 子が家を出るまではこの風習は続く。

 そうなると、もう数年はとりあえず安泰であることが確定なのだ。


 お雛様はティモテが去っていった方向の暗闇を見つめた。

 が、それをやめると元のポジションへと戻り、きちんと正座をした。


「仕方がない、お勤めするとしますか」


 女官は、口をつぐんだ。

 彼女らもまた、かける言葉を考えあぐねていた。


「あ、もち好きなファッションは諦めるわけない!」


 お雛様は鼓舞するように、努めて明るく言った。


「リメイクに賭ける!」


 その瞳には、微かに涙が浮かんでいたようにも見えたが――ちょうど月が隠れたのか、部屋が暗くなってしまったので定かではない。




 数十年後。

 少し賑やかなな住宅街の中にある一軒家。

 三十五年ローン、三十三坪の土地に建つ建売のそれは、小さいけれど庭付きという、住人の夢を叶えたマイホームだった。


 そこには珍しく、半畳の床の間がしつらえられており、ちょうど季節柄お雛様が飾られていた。

 娘はいないようだが、桃の節句に合わせて毎年出しているようだ。

 衣装は今どきの振袖風とでも言おうか、レースとちょっとしたフリルなどもあしらわれたモダンな雰囲気になっている。

 そのお雛様の向かって右隣には。


 植毛され薄ピンクがかった金髪が足首まである、しかし化粧の出鱈目でたらめな人形が一体。

 洗濯されたのか、少し古ぼけつつも青い花柄がくっきりと映えるAラインのワンピースを着て、座っている。


 その口元が僅かに緩んだようにも見えたが、定かではない。







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参考ページ:『吉藤作 倉方人形』雛人形の名前と種類を全解説!それぞれの人形と道具の役割をまとめました https://k-doll.co.jp/seck/hina/name/

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