クリスチャン、ひなまつりに……
田島絵里子
第1話
リビングには、家族の温もりが息づいていた。部屋の中央にはこたつが置かれ、その周りを囲むように大きなテーブルが鎮座している。天井からこぼれる柔らかな照明が、木目の床に温かな陰影を落としていた。テレビの隣には、艶やかなひな人形が静かに飾られ、その繊細な表情がまるで家族の団らんを見守っているかのようだった。
廊下の片隅には段ボールが無造作に置かれ、その中には鮮やかな橙色のみかんが山積みになっている。ほんのり甘く、爽やかな香りが空気に溶け込み、通りかかるたびに鼻先をくすぐった。
この家は、キリスト教を信仰しながらも、日本の風習を大切にする家庭だった。ひなまつりも例外ではない。毎年、家族全員で準備をし、祝いの席を囲むのが恒例になっていた。
その日も、家の中は活気に満ちていた。
母・美智子はエプロン姿で台所に立ち、ちらし寿司の具を丁寧に盛り付けていた。錦糸卵の黄色、いくらの赤、絹さやの緑――鮮やかな彩りが食卓を華やかに彩る。父・健一は、ひな人形の飾り付けを手伝いながら、細かな配置にこだわっていた。
「この位置でいいか?」と、健一が雛壇を少し後ろにずらしながら、美智子に尋ねる。
「ええ、いい感じね。」美智子は笑顔で答えながら、手際よくハマグリのお吸い物を仕上げていく。
その傍らでは、子供たち――綾夢と憲吾が、手伝いながらもどこか楽しげに動き回っていた。綾夢はひなあられの袋を開け、手のひらに載せながら「この色、かわいい!」と無邪気に喜んでいる。憲吾は、みかんの皮を器用に剥きながら、「ねえ、これもひなまつりのごちそうに入れていい?」と茶目っ気たっぷりに尋ねた。
「クリスチャンであっても、ひなまつりのような日本の伝統を大切にすることは意味があると思うよ。」
健一がふと呟く。彼の視線はひな人形に向いていた。
「そうね。」美智子が頷く。「信仰と文化が調和することで、家族の絆がより深まる気がするわ。」
夜が更け、家族はこたつに集まり、ひなまつりのごちそうを楽しんだ。ちらし寿司の香り、お吸い物の湯気、ひなあられの優しい甘さ――食卓は幸福の色に満ちていた。
綾夢がふとひな人形を見つめ、首を傾げる。
「お父さん、お母さん、ひな人形ってどうしてこんなにきれいなの?」
健一は微笑みながら答えた。「それはね、女の子の健やかな成長と幸せを願って飾られているからだよ。」
その時、玄関のチャイムが鳴った。
家族が顔を見合わせる。こんな時間に誰だろう?
ドアを開けると、そこには近所に住むジョンが立っていた。日本の文化に興味がある彼は、ひなまつりの様子を見学したいと言った。
「よかったら一緒にどう?」と健一が声をかけると、ジョンの顔がぱっと明るくなった。「本当にいいの?ありがとう!」
こうして、ジョンも交えて賑やかなひなまつりの宴が続いた。彼は興味津々でひな人形を眺めたり、初めて食べるちらし寿司に感動したりしていた。家族も、そんな彼の反応が嬉しくて、自然と笑顔がこぼれた。
宴が終わり、ジョンが帰った後、健一がふと呟いた。
「ジョンさん、みかんを持って行かなかったね。」
美智子がくすっと笑う。「でも、彼のおかげで今年のひなまつりは特別なものになったわ。」
こたつの中の足が、家族みんなの温もりを伝えてくれる。
意外な訪問者のおかげで、今年のひなまつりは、より一層心に残るものとなった。
クリスチャン、ひなまつりに…… 田島絵里子 @hatoule
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