第15話 久しぶりの喧嘩


 日はとっくに暮れ始め、町は街灯と所々ついたビルの明かりでのみ照らされていた。

 夕食に向かう楽しそうなグループ、買い物帰りの親子などを追い越しながら、早矢は陽菜の背中を追いかけた。

 そう遠くない距離のはずなのに、人が多いせいで、いつ見れなくなるか不安になる。陽菜の背中は早矢を拒絶するかのようにどんどん遠ざかっていく気がした。


「ちょっと、陽菜、待ってよ」


 早矢は小走りで陽菜を追いかける。もう松本のことなど頭の中から消えていた。

 どうして陽菜が?

 沙羅ちゃんは?

 外に出て大丈夫なの?

 頭の中に次々と出てくる疑問に答えは出ない。


「やっと、追いついた」


 横断歩道の信号が赤になって、陽菜が止まる。

 早矢はそのチャンスを逃さず、隣に並び陽菜の腕を掴んだ。

 顔を見ようとしても反対側に逸らされる。寂しさと戸惑いが半々に分かれて頭の中で争っていた。


「わざわざ迎えに来てくれたの?」


 出た声は自分でもびっくりするほど甘かった。いわゆる猫撫で声だ。

 拗ねた陽菜に対してご機嫌を取ろうとしているのが丸わかりで、頭より先に身体の方が陽菜への対応をわかっているように早矢には思えた。

 ちょっとだけ陽菜の服を引っ張る。やっとこっちを見た。その目はどこか不満げで、口元も少しだけ尖っている。


「うん、今日は沙羅をお母さんがみてくれたから」

「え、陽菜ママ、こっちに来てるの?」


 意外な言葉に早矢は驚いて足を止め、陽菜の横顔を窺った。

 今日は意外な人によく会う日になりそうだ。スマホを買ったから、連絡をとることが出来たのだろうか。

 聞きたいことはたくさんあるのに、陽菜の様子を見ると聞けそうにない。


「そう。だから、迎えに来たのに……」

「そっか、ごめん。ありがとう」


 陽菜はどこか寂しげに視線を下に落とす。対する早矢も何と言っていいのか、分からなかった。

 赤信号が色を変え、軽快な音楽を奏で始める。動き始める人の波に合わせて早矢と陽菜も足を動かした。


(もっと気の利いたこと言えるでしょ!)


 早矢の中の冷静な自分がそう突っ込んでくる。

 わかっている。拗ねた女の子にすべき態度なんて、そうバリエーションはない。

 だけど、早矢が困ったのは、幼馴染の陽菜が相手ということだった。今までの相手は全て一応、恋人。

 ーー恋人と同じ振る舞いを陽菜にしていいのか?

 そんなよく分からない疑問が自分の中に渦巻き、うまく行動させなくした。


「陽菜ママがいるなら安心だけど……松本は、本当にたまたま会っただけて約束してたわけでも、仕事なわけでもないから」


 まとまらない思考がそのまま言葉として垂れ流される。そして、それがそのまま地雷となったらしい。

 早矢の呟きに陽菜はぴたりと足を止め、鋭い視線でこちらを振り返った。


「早矢ちゃんは〝たまたま〟が多すぎるよ。昔から懐かれるんだから。たまたまで抱きつかれるって何?」


 低く静かな声。明らかな不満が込められていた。

 たまたまは、たまたまだ。

 早矢が望んだ訳でも願った訳でもない。

 早矢は一瞬視線を落としてから、再び陽菜を見つめ返した。


「松本は距離感が近い上に、ミーハーな子だから……陽菜のこと知ってテンションが高かったんだよ」

「へえ」

「それに、あれはただの後輩だし」


 冷え冷えとした返答だった。返答する早矢の方が戸惑って声が小さくなっていく。

 子供の頃はここまで拗ねると泣き始めていたのに、今は凍てつくような視線を早矢に送ってくる。

 成長が嬉しいのと、怖いので、どうすれば良いのか早矢は視線を彷徨わせる。


「早矢ちゃんは昔から後輩タラシだから」

「いやいや……年下には怖がられてたと思うよ」


 後輩に慕われた覚えはない。陽菜優先で圧をかけていたから、それも当然だろう。

 高校になっても陽菜中心の生活をしていたので、学校の後輩と行動できたことはない。

 陽菜の勘違いを笑い飛ばそうとしたが、陽菜の視線はそれを許さなかった。


「えっと、人気、あったの?」

「少なくとも、あたしの周りじゃいつも大人気だよ」

「ありゃ〜」


 まったく知らなかった。

 早矢の反応に陽菜は頬を少し膨らませる。


「久しぶりに早矢ちゃんと二人で帰れると思ったのに」

「いや、帰れるよ。帰ってるじゃん?」


 陽菜の歩くスピードが徐々に遅くなる。早矢はその横顔を覗き込みながら、歩幅を合わせた。

 歩道の脇によってら陽菜の顔を覗き込む。


「松本さんとどこか行けば良かったのに」


 拗ねた言葉だった。久しぶりに聞いた子供丸出しの声。

 言ってしまっただけ。本心からの言葉じゃない。

 そう分かっていても、今の早矢には優しく受け止める余裕がなくなっていた。

 武田にからかわれ、沼崎さんに蔑まれ、松本の相手をして、さらに勘違いで拗ねた陽菜。

 プチンと早矢の中のどこかが破裂した。


「そんなことしないよ……でも、そんなこと言うなら私は陽菜と別々に帰る」


 いっそのこと松本を呼び出して飲みに行ってやろうか。

 馬鹿な反発心が早矢の身体の中に広がっていく。

 早矢がそう言うと思わなかったのか、陽菜がたじろいだ。


「……そういうんじゃ」

「じゃ、どうして欲しいの? このまま喧嘩して帰っても、陽菜ママにも迷惑だし、沙羅ちゃんにも良くないよ」

「沙羅は大切だけど」

「だけど?」


 早矢の間髪入れない問い返しに陽菜は口を閉ざした。言葉を飲み込んだように唇を、ぎゅっと結び視線を逸らした。

 早矢と陽菜の前を多くの人達が通り過ぎていく。

 少しずつ酔った人たちも見え始めていた。


「今の早矢ちゃんとは帰りたくない」


 陽菜の結論はそれだった。

 早矢は嘆息すると、くるりと背中を向ける。


「あっそ。じゃ、先に行くから」


 早矢は陽菜を置いて歩き出す。もう振り返るもんかと思った。

 陽菜の足音はついてこなかった。


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