ひなまつりのジンクス
藤浪保
前編
結衣はサバサバとした優等生、沙奈は面倒見のいいお姉さん、美咲は可愛がられる末っ子タイプ……とそれぞれ性格が異なり、部署もバラバラだが、不思議とウマが合った。新入社員研修でたまたま同じグループになった時から、三年目が終わろうとしている今までずっと仲がいい。
そんな三人は、それぞれ社内の別の男性に恋をしていた。会えばすぐ恋バナが始まるくらいには、三人とも相手に夢中だ。
だというのに、今年のバレンタインは、三人とも何もできなかった。
結衣は同じ部署の同期の
バレンタイン後の週末はプライベートで集まって、自分たちのふがいなさを嘆くと共に、渡せなかったチョコを友チョコとして三人で分けて食べた。
それから二週間後の昼休み。会社近くのカフェでランチをとっていた三人は、ひなまつりシーズンに関連してSNS上で話題になっている情報を目にする。
「え!? ねぇねぇ、ひなまつりの日にスイーツを好きな人に贈ると恋が叶うんだって!」
美咲がスマホを片手に大きく目を丸くすると、沙奈が問い返した。
「なぁに、それ?」
「SNSで流行ってるんだって。去年やった人が両想いになったって」
「企業の戦略でしょ」
スパっと結衣がぶった切る。
「バレンタインのチョコしかり、節分の恵方巻しかり。行事にかこつけて商品を売ろうって魂胆が見え見え」
「でも、バレンタインで渡せなかった人がリベンジできるということでもあるわよね」
「う……確かに」
沙奈の言葉に、眉唾だと
「うんうん! 元々ひなまつりは女の子の幸せを祈る行事だし、それにかこつけて渡すのはアリ!」
美咲はスマホ画面をスクロールしながら感心したように言う。
「SNSでは、ひなスイーツ告白、なんて言葉がトレンドになってるみたい。写真が可愛いっていうのもポイントだって」
三人は思わず顔を見合わせた。バレンタインを逃したことへの後悔が胸に残っている。ここでリベンジできるなら、少し頑張ってみたい気持ちが湧いてくる。
「この際やってみない? 三人で、ひなまつりのイベントに便乗して、相手にスイーツを渡すの。きちんと告白という形にできなくても、渡せば叶うっていうジンクスなのだから、渡しやすそうだわ」
沙奈が冗談めかしてそう言うと、結衣と美咲も悪くないという表情を見せる。
「私はちゃんと航に告白するつもりだけど」
「私は、うーん、やっぱり課長に告白は無理かも……。でも渡すだけなら!」
「なら決まりね。三人でそれぞれ頑張りましょう」
――こうして三人は「ひなスイーツ大作戦」と銘打ち、それぞれが手作りかあるいは素敵なスイーツショップを探し出して、ひなまつりの日に備えて精を出した。
* * * * *
そして迎えたひなまつりの当日――。
昼休み、結衣は自席でラッピングを施した小箱を見つめていた。中には週末を費やして練習したひなまつり風のカップケーキが入っている。可愛らしいピンク色のクリームに、和風の飾りをあしらい、ほんのり桜の香りがする自信作だ。
結衣が想いを寄せるのは同期の航。同じ部署で働く同僚であり、入社当初から結衣の相談相手でもあった。上司から細かく詰められへこんでいたときに、さり気なく助言をくれたのがきっかけで、航の誠実さや明るさに触れるたび、結衣の心は少しずつ惹かれていった。
よし。
意を決して立ち上がる。
結衣はバレンタインの日も、渡す気満々でいたのだ。残業にかまけている間に気づいたら航が帰ってしまっていただけで。三人の中では一番告白する勇気を持っているのが結衣だった。
だが、航のデスクへ向かおうとしたその瞬間、彼の隣に別の女性社員がやってきた。隣の部署の後輩で、美人だと評判だった。結衣は接点がないが、確か航は少し前のプロジェクトで関っていたはず。
その彼女の手にも同じようにラッピングされた箱があった。
まさか……と動揺する結衣の目の前で、彼女は航に向かって声をかけた。
「先輩、これ、差し入れです。バレンタインのとき、先輩だけあげそこねちゃったんで……」
航は少し驚いた様子だったが、「え、俺に?」と嬉しそうに受け取った。
どうしよう……。
結衣はその場で固まってしまった。
航はひなスイーツのことを知っているのだろうか。知っていて受け取ったのなら、今から結衣が渡そうとしても、受け取ってもらえないかもしれない。もしかして、二人はもう付き合っているのかも。
ネガティブな考えがぐるぐると渦巻いて、結衣は結局そのまますとんと椅子に座り直した。
* * *
沙奈はフロアの休憩コーナーで拓海を待っていた。昼休みが終わる直前のこの時間、拓海はよくコーヒーを淹れに来るのだ。
後輩の拓海とは部署が違うが、プロジェクトで一緒になって以来、廊下で会えば立ち話をするくらいには親しくなった。拓海は素直で明るく、人を和ませる魅力がある。沙奈にとって、初めて意識する年下の男性だった。
「あ、先輩、今いいですか?」
ドアを開けて入ってきた拓海はどこか緊張した面持ちをしていた。手には包装された何かを持っている。
沙奈の胸は高鳴った。まさか、先に告白されるのかもしれない……と一瞬期待が膨らむ。
そして、なんと拓海は、手に持った箱を差し出してきた。
期待が頂点に達して、沙奈の胸がばっくばっくと大きく鳴り始める。
「それ、わたしに?」
「はい! 僕の手作りです!」
囁くような小声で聞いた沙奈に、拓海がにこっと笑いかける。
手作り。これはもう、決まりだ。
震える手で受け取ろうとした沙奈は、あることに気がついて、「ん?」と首を傾げた。
箱がだいぶ大きい。沙奈一人で食べるには多すぎる。
「先輩の部署の皆さんでどうぞ」
「皆さん?」
「はい。いつもお世話になっているので。僕、こういうお菓子づくり好きなんです」
ああ、そういう……。
まさかの展開に、一瞬、頭が真っ白になった。
「ありがとう。みんなで分けて食べるね」
沙奈は落胆を顔に出さないようにしながら、拓海からお菓子の箱を受け取った。
上手く笑えたかは自信がなかった。
* * *
美咲は、職場で鉄面皮と恐れられている森田課長に、桜をあしらった焼き菓子を渡そうとしていた。
実はこの森田課長、インターンで美咲が配属された部署の社員だった。わずか数日間だったが、そのとき丁寧にフォローしてくれたのが印象的で、この会社を受けることにしたのだ。
入社後に別の部署に配属になった時はがっかりしたが、そこは会社員なのだから仕方がない。それが最近、彼が自部署の課長として異動してきて再会したのだった。
森田は仕事に対して厳しく、ミスをすれば容赦なく叱責する。おまけに雑談はほぼ皆無で、常に忙しそうにしている。恋愛感情など持ち込む余地がない――とは分かっていても、美咲はそのストイックさに惹かれてしまった。
膝の上に置いた紙袋の取っ手を握りしめて、森田の様子をうかがう。
昼休みだというのに、森田はずっとデスク上のディスプレイを見つめている。昼食をとりに行く気配がない。
このままではタイミングを逃してしまうだろうと思った美咲は、昼休みなのだから業務外のことで邪魔をしても許されるはずだ、と思い切って立ち上がった。
「課長、少しお時間よろしいでしょうか!」
「ああ。なんだ」
森田が視線をディスプレイから美咲に移す。
その鋭い眼光に一瞬ひるみそうになりながらも、美咲は何とか紙袋から小さな箱を取り出し、森田へと差し出した。
「今日はひなまつりなので、よろしければ召し上がってください。桜フレーバーの焼き菓子です」
「……ああ、ありがとう」
課長は受け取りながらも、少し不思議そうな表情をした。どうして突然菓子を? と言わんばかりだ。
美咲は居心地の悪さを感じながらも、SNSで話題のひなスイーツを説明した。もちろん告白の部分は省略して、ただ流行っているとだけ。
すると課長は「最近はそんなものが流行ってるのか」と頷き、ディスプレイに視線を戻してしまった。
特に喜ぶでもなく、興味を示すでもない。そもそも受け取ってくれたのだから、十分なのだろうが、美咲の胸にはなんとも言えないもやもやが残る。
やっぱり、告白って言えばよかったかな。
そう思うも、いやいやと頭を振る。こんな真昼間のオフィスでそんなことはできない。それに、あんなに反応が淡白なのだから、脈は全くないのだろう。
変に意識されてギクシャクしてしまうくらいなら、このままの方がいい。
自分に言い聞かせるようにして、美咲は小さくため息をついた。
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