魔道具蒐集旅記
外套ぜろ
写真機
曲がりくねった道を、一台の小型四輪駆動車が走っている。
天井のない角張った車体の前方に、丸いライトが二つ付いている。大きめのタイヤが石に乗り上げ、がたんと車体が揺れた。
「そろそろ、暗くなってきましたね」
運転席でハンドルを握る若い男が、前を向きながら呟くように言った。
後ろ髪の跳ねた赤毛の頭に、野暮ったい眼鏡をかけている。八の字になっている眉は、特に困っているわけではなく、彼の生まれつきのものだった。
彼の言う通り、太陽は地平線に溶けるように触れ始めていた。
「残念ながら、人が住んでいる気配がないな。今夜も野宿かな」
助手席に背を預ける人物が、他人事のように言った。切れ長の黒い目が、眠そうに細められる。
艶のいい黒髪を肩のあたりまで伸ばしている、鼻筋の通った女だった。武骨な車のシートに座るには似合わない、白衣を着ている。首にかけた大きめのゴーグルが、オレンジ色の太陽を反射してきらりと輝いた。
「このままだとそうなりそうですね……」
今度は男もしっかり困って、もとから八の字の眉をさらに傾けた。
食料も、魔石も、そろそろ補給しておきたいところだ。
ため息をついた男は、直後その口の形のまま、「あ」と声を漏らした。
「先生、見てください。あそこ」
「ん?」
先生と呼ばれた女は、助手席の背もたれから体を起こした。
「あれです。あそこの」
男は前方を指さした。女が目を凝らすと、そこには赤色の屋根が見えた。
緑ばかりの景色の中で、その赤色はくっきりと目立っている。
「家ですよ」
「家だな」
「とりあえず、あそこに行ってみましょう」
助手席で静かにうなずく女を横目に、男はアクセルを踏んだ。
赤い屋根の家は、遠くで見たときよりも大きく感じた。
あたりを見渡しても、他の家は見当たらない。どうやら一軒だけがぽつんと建っているらしい。
柵の入り口から庭に入り、男は正面の扉を三回ノックした。
ほどなくして中から出てきたのは、ひげをたくわえた一人の老人だった。
その姿を見とめた途端、オスカーはしきりに腰の後ろのあたりを触り始めた。
「どちら様かな?」
「僕は、オスカー・ファウラーといいます。えーと……」
目を逸らしてぼそぼそと喋るオスカーを押しのけるようにして、女が前に出た。
「イーヴァ・クラークだ。私たちは、あの車で旅をしている者だ」
イーヴァは親指で、後ろに停めてある小型四輪駆動車を示した。
「単刀直入に言うと、宿を貸してほしいんだ。もう三日も屋根の下で寝ていなくてね」
「ああ、旅の人か。この辺りは何もないからね」
苦笑した老人は、扉を完全に開けて二人を仲に招き入れた。
「そういうことなら、どうぞ。上に、泊まれる場所がある」
「感謝する」
安堵の表情を浮かべて、イーヴァは老人に礼を言った。
「あ、ありがとうございます」
やはり目を逸らしたまま、オスカーも感謝の言葉を口にする。
「相変わらず人見知りが治らんな」
とぼやくイーヴァに、オスカーは申し訳なさそうに頭を掻いた。
老人に案内されて入った家の中は、ものがあまりないようだった。せいぜい、棚やテーブルなどの必要最低限のものが並んでいるくらいで、質素な印象を受ける。
二人が座ったテーブルに、老人が湯気の立つマグカップを持ってきて、向かい側に座った。
「ハーブティーだよ。体が温まる」
「ありがとう」
両手で持ったマグカップを口に運び、二人そろって、ほぅ、と息を吐く。
夏も終わりに近づき、まだまだ暑さは残るものの少しずつ肌寒くなってきた季節だ。温かいお茶は、体だけでなく心も温めてくれている気がした。
「君たちは、どうして旅をしているんだい?」
「私は、
「はあ、魔道具学の……」
「このファウラーは、私の生徒だ。便利なので連れてきた」
便利、という言葉に、オスカーが恨めしそうな目を向ける。が、イーヴァはどこ吹く風でマグカップに口をつけていた。
イーヴァの話を聞いた老人は、少し考え込むようなそぶりを見せた。
「魔道具、か。……もしかして、修理とかもできるのかい?」
「ああ。さすがに本職の職人とはいかないが、研究でよく魔道具をいじるからな」
イーヴァの返答に、老人は突然表情を引き締めた。
「もしよければ、直してほしい魔道具があるんだ」
「ほう」
「ちょっと待っていて」
そう言って離席した老人が、しばらくして両手に抱えるように持ってきたのは、四角い物体だった。
それを見たイーヴァは、目を見開いたまま固まってしまった。
「これは……写真機ですか」
代わりにオスカーが老人に尋ねると、老人は「そうとも」とうなずいた。
「私は昔、記者をしていてね。こいつを相棒に走り回ったものさ」
老人は、懐かしむように虚空を見上げた。
「こ……これは……!」
「どうしたんですか、先生?」
「どうしたんですかではないぞたわけが! これはかなりの年代ものじゃないか! フォクト社のモデルで、確か五十年は昔のモデルだ。当時もあまり量産はされず、今ではお目にかかるのも難しいはずだぞ。それをこんなところで見ることができようとは……!」
鼻息荒く身を乗り出して早口で喋るイーヴァに驚いて、オスカーはのけぞった。
「そ、そんなにすごいものなんですか」
「ああすごいとも。君もよく勉強したまえよ」
「な、なるほど」
興奮冷めやらぬ様子で、イーヴァは目を輝かせて写真機を見つめている。
「ははは、教授殿のお眼鏡にかなって嬉しいよ。自慢の相棒なんだ」
「これが、直してほしいという魔道具か?」
「うん、そうなんだ。もう壊れてから二十年は経つよ。魔石を交換しても起動しなくなってしまってね」
「ふむ……」
「こいつの中に保存されている写真も、見られなくなってしまったんだ。もしよければ、修理してもらえないかな」
老人は、まるで親しい友人にするように、写真機を優しく撫でた。
「ああ。ぜひやらせてほしい。貴重な機会だ」
力強くうなずいたイーヴァに、老人は嬉しそうに微笑んだ。
「今日はもうゆっくりお休み。直るまで何日でもいてくれていいから」
次の日から、イーヴァによる写真機の修理が始まった。
どうやら、内部回路のどこかがいかれているらしく、中を開けてはあれこれといじっている。
夕暮れ時になり、オスカーは伸びをしながら一階に降りてきた。手伝えることがなくなってきたので、休んでいていいと言われたのだ。
老人に手招きされて、テーブルに座る。パンとスープが用意されていた。
「教授殿は、ずっと部屋に籠りきりだね」
口に入れたパンを飲み込んでから、二階の方を見上げて老人が言った。オスカーにも食べるよう促す。
「すみません……。修理には、まだ時間がかかるみたいです。集中しているから離れたくない、と」
「いや、いいんだよ。ありがたくなってね。それだけ真剣に取り組んでくれているってことだろう?」
「そう、ですね」
オスカーは、ほっとしたように苦笑して、スープを口に含んだ。
「このスープ、おいしいですね」
「ありがとう。妻に教わったレシピなんだ」
「奥さんに……」
見たところ、この家には老人一人のようだ。
オスカーのその疑問を感じ取ったのか、老人は目を細めた。
「妻は、もう二十年以上前……ちょうど、写真機が壊れたのと同じころに、病気でね」
「それは……」
「ああ、気にしないでくれ。しみっぽい話をしてしまったね」
老人は、スープの皿のふちをさすっていた。
「ひさしぶりの来客で、つい、話したくなってしまったよ」
「……」
確かに、周囲に家はなかった。旅人も、そうめったにいるものではない。
老人にとっては、貴重な話し相手なのだろう。
「……僕でよければ、お話を聞かせてください」
「え?」
「その……昔の話とか。今後の人生の参考に……」
声がしりすぼみになるにつれて、オスカーは体も縮こまらせていく。自分でも、何を言っているのかわからなくなっていた。
老人はしばらく呆気に取られてから、愉快そうに笑った。
「それなら、少し昔話をしようか」
老人は、テーブルに肘をついて話し始めた。
「ずいぶん遅かったじゃないか」
魔石ランタンの明かりの下で作業していたイーヴァが、ドアの閉まる音に振り返らずに声をかけた。
「……おじいさんの話を聞いていました」
「そうか」
「これ、夕食だそうです」
「ああ、そこに置いておいてくれ」
それきり、イーヴァは無言で手を動かし続けた。
ベッドに腰かけたオスカーは、おもむろに腰の後ろから何かを取り出した。
一丁のリボルバー拳銃。腰のホルスターに、肌身離さず身につけている、彼にとっての相棒のようなものだ。
オスカーは、静かに銃の手入れを始めた。部屋の中は、カチャカチャと小さな金属音だけが聞こえていた。
沈黙が数分続いたのち、手を止めたオスカーが口を開く。
「あのおじいさん、昔記者をしていたって言っていたじゃないですか」
返事はない。聞いていないのかもしれなかった。構わず続ける。
「おじいさんの勤めていた会社、政治家に圧力をかけられて潰れてしまったそうです」
「……」
「僕でも知ってる年配の政治家でした。その人がまだ若い頃に、おじいさんがスキャンダルをつかんだらしいんです」
未成年女性に対する性加害だったらしい。
ホテルに連れ込むところを、老人——当時は若者だっただろうが——があの写真機で撮影したのだという。
その政治家は、当時は親の七光りで有名だった。順調な人生が、スキャンダルで崩壊することを恐れたのだろう。
「それで、小さな出版社はひとたまりもなかった、と言っていました」
胸糞の悪い話だと思った。先程老人から話を聞いたときも、今自分で話しているときも、オスカーは顔をしかめていた。
「おじいさんはそれで仕事を失って、病気がちだった奥さんを亡くしたらしいです。写真機が壊れたのも、それとほぼ同時だったとか」
「……」
相変わらず、イーヴァは黙々と作業を続けている。その背中に、オスカーは声を投げた。
「おじいさんは、写真機を直して……どうするつもりなんでしょうか」
「……さあな」
イーヴァは回路の配線とにらめっこをしながら、ようやく口を開いた。
「彼が何をしようと、私たちには関係のないことだ」
翌日の昼頃には、イーヴァが写真機を持って階段を降りてきた。
その切れ長の目の下に、大きな隈ができている。
「直ったぞ」
一言そう言って、老人に写真機を手渡した。
早速、老人が側面のボタンを押し込む。キュルキュルと音がして、格納されていた大きなレンズが回りながらせり出してきた。
「ありがとう。本当に、ありがとう」
老人のしわの多い目もとには、うっすらと涙が浮かんでいた。
イーヴァは、照れくさそうに頬を掻いた。
「一枚、撮ってもいいかな」
「私たちをか? 構わないが……」
壁際に寄って、イーヴァとオスカーは横並びになった。老人がカメラを構える。
憮然とした顔で、イーヴァが右手でピースサインを作る。
「先生って、そういうのやるタイプだったんですね」
「……」
少し顔を赤らめたイーヴァが、無言で右手を下ろした。
結局二人は棒立ちの状態で、老人がシャッターを切った。カシャリと音がする。
「この写真機は、撮った写真を印刷できるんだ」
そう言ってボタンをいじる老人のそばに二人で近づき、写真機を見つめる。
しばらくすると、キュルキュルと音を立てながら、下の方から紙が出てきた。
老人がイーヴァに手渡してくれたそれを、オスカーも横から覗き込んだ。
「うわ、僕、目つぶってますね」
「アホ面だな」
「酷い」
くくく、と笑うイーヴァに、オスカーは眉を下げた。
「けど、写真っていいものですね」
「そう言ってもらえて嬉しいよ」
言葉通り、嬉しそうに老人は写真機を撫でた。
「そうだ。写真機が直ったら、やりたいことがあったんだ」
老人が、再び写真機のボタンを操作し始めた。
オスカーの頭の中には、昨晩の話がこびりついていた。
老人は、何をするつもりでいるのだろう。この写真機の中には、政治家のスキャンダルがまだ残っているはずだ。
「よし、できた」
写真機が、一枚の写真を吐き出した。
老人の手の中にあったのは、一人の女性の写真だった。年齢は、三十代後半くらいだろうか。ウェーブのかかった長い髪に、丸い目。椅子に座って、どこか恥ずかしそうにこちらを見つめている。
「この人は……?」
「妻だよ」
老人は、ゆっくりと噛み締めるように言った。
「ああ、ようやく会えた」
泣いているような、笑っているような、そんな表情だった。
老人は、写真を胸に抱きしめて、目を閉じた。
「やりたいことって……奥さんの写真を見たかったんですか?」
「ああ。間抜けなことに、妻の写真は気まぐれに撮ったこれ一枚しかなくてね。印刷するのも忘れたまま、写真機が壊れてしまって……もう二度と、会えないと思っていたよ」
老人は、胸から離した写真を、愛おしそうに見つめていた。
いつまでも、見つめていた。
一本道を、一台の小型四輪駆動車が走っている。
老人が、数時間ほど走れば町に着くと教えてくれた。ゴールが見えれば、気は楽なものだ。
「写真って、残り続けるんですよね」
ハンドルを握るオスカーが、独り言のように言った。
助手席に座るイーヴァは、一枚の写真を見つめていた。
「その人が死んでも。……たとえ、覚えている人が誰もいなくなっても」
「……そうだな」
含みのある笑みを漏らして、イーヴァは写真を鞄にしまった。
車は、次の町を目指して走っていく。
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