【祈りと寒冷期】掌編小説

統失2級

1話完結

8月7日、日本は猛暑の中にあった。誰もが茹だるような暑さにはうんざりしており、誰もが秋の到来を心から待ち侘びていた。この日のテレビの気象予報士は「この猛暑はまだまだ続くものと思われます。視聴者の皆さんもクーラーを利用されたり、こまめな水分補給などで、熱中症には十分な対策を取って下さい」との言葉で天気コーナーを締め括っていた。


8月8日の朝、窓の外を見た日本中の多くの人々は我が目を疑う事となった。何故なら日本の全土が雪に覆われ白銀の世界と化していたからだ。雪が降らない事で知られる沖縄も例外ではなく、那覇の街も辺り一面、雪に覆われていた。それは真夏の突然の出来事であったが、不可解な事にこの寒冷期は世界でも日本だけの現象だった。寒冷期はその後、何年も続き、年間の平均気温を22℃から28℃程度押し下げ、日本人を苦しませる事となった。天候不良は食糧不足を招き、大量の積雪は交通網を麻痺させた。日本政府も当然ながら対応策を講じてはいたが、それには限界があり、奮闘虚しく日本の国力は衰退して行く一方であった。


佐賀市に旗里広樹という28歳の男が居た。コンビニとスーパーへ食料品の配送をするトラックの運転手をやっている一人暮らしの男だ。そしてその日、旗里は怯えていた。それは突然の寒冷期という天変地異への怯えではなく、昨日の自分の行動に対する怯えであった。昨日、旗里のマンションのクーラーは故障し、猛暑の中、旗里は寝付けずに辛い思いをしていた。苛立つ旗里はその晩に心の中でこう叫んだのだ。(世界中の神様、どの神様でも良いので、日本を寒冷期にして下さい。お願い致します。もし、僕の願いを叶えてくれたなら、僕は何でもします。死後に千年の地獄に堕ちても構いません。ですから、どうか日本を寒冷期にして下さい)と。すると、直後から寒冷期が始まったのだ。旗里は怯えていた。(もし、この寒冷期が僕の祈りによるものなら、僕は地獄に堕ちる事になる。どうすれば良い? どうすれば良いんだ?)と心の中で自問するが、満足のいく答えは見付からなかった。


4年後、旗里は除雪トラックを運転しながら、不意にある事を思い付いた。それは神様に新たな願い事をするというものだった。旗里はトラックのハンドルを握りながら、心の中で祈る(神様、この寒冷期を終わらせて下さい。もし、終わらせてくれたなら、僕は1万年の地獄でも受け入れます。どうかお願い致します)


寒冷期は何事も無かったかの様に突然終わり、再び暑い夏が日本に戻って来た。旗里は確信する。(この世界には確かに神様が存在し、何故かその神様は僕の願いを聞き入れてくれる。それが分かったら、次の祈りはこれしか無い)旗里はクーラーの効いた部屋の中でベットに寝そべりながら、ニヤリと笑った後に3度目となる神様への祈りを心の中で呟く。(神様、僕が死んだら天国に直行させて天国での100億年に渡る生活を体験させて下さい。その後なら1兆年の地獄でも受け入れます。どうか、宜しくお願い致します)と。旗里は楽観していた。(僕が天国に行って、天国の生活がもう終わりという所になったら、また『神様、僕の天国生活を1000億年に延長させて下さい。その後なら10京年の地獄でも受け入れます』と祈れば良いだけの話。これを繰り返せば、僕は永遠の天国を体験出来る)


旗里は67歳で命を落とし、天国に招かれた。天国では白髭の神様が悲しそうな顔で旗里に話し掛ける。「旗里広樹よ、お前は過去に車道を歩いている盲目の老猫を交通事故の危機から救い、飼育していた事があったな。私はそれに深く感動してお前を『幸運人』に選び、お前の願いを聞く事にしたのだ。だが、結果は私の予想外な展開になってしまった。これから私が言う事はお前には大変、辛い話になるが、落ち着いて聞いて欲しい。私が聞き入れる事の出来る祈りは1人3回までと決まっているのだ。私は中間神に過ぎず、1人3回までという決まりは上司からの命令であるのだ。どうか、悪く思わんでくれ。しかし、何故、お前はシンプルに『天国で永遠に生活させて下さい』と祈らなかったのか。そればかりが悔やまれる」顔面蒼白の旗里は絞り出すような震える声で呟く。「あの映画に影響された…。あの映画では登場人物の1人が、『神よ、俺は死んだら地獄に堕ちても構わない。その代わりに現世では音楽の才能くれ』と、料理を作りながら囁くシーンがあったんだ。あんな映画さえ見なければ…。 あの日、映画館に入らず、真っ直ぐ家に帰っていれば…」旗里の体は震え両目から溢れる涙は止まる事が無かったという事です。


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