九段飾りのひな人形

キロール

三月三日

 三月三日、桃の節句と言われるこの日は妻と娘の命日だ。だから、私は三月三日が好きではなかった。妻は私が死んだら供養の為にひな人形を飾ってほしいと告げていたが、とてもそんな気にはなれない。そんな私の心を代弁するかのように今年は雪が降っている。


 その日の午後の事だ。友人の一ノ瀬いちのせが珍しく訪ねてきた。彼は奇妙な仕事を生業なりわいにしている変り者である。高校時代の同級生ではあったがそれほど親しい間柄ではない。それが何故、今日という日にやって来たのか……。


「久しぶりだね、かれこれ五年ぶりかな。ご夫人と赤子だった娘さんを連れて買い物をしている君の姿は幸せそうだったものだよ」


 そう告げる一ノ瀬の言葉にはどこか含みが感じられた。それに、何というか、この男の登場は心をざわつかせるのに十分だった。三月とは言え雪降るこの日にコート姿な事に違和感はなかったが、色々と嗅ぎまわっている事を知ったせいだろう。


「……そうだったかな。ところで今日は一体何の用だい?」

「桃の節句がご夫人と娘さんの命日だとじん君に聞いたのでね、線香の一つでも手向けたいと思ってね」


 上がっても良いかい? そう問いかける一ノ瀬の言葉は柔らかい物の抗いがたい響きがあった。その目つきは間合いを計る剣士のそれのように鋭い。陣野じんのの奴、余計な事を……。


 ともあれ、私は一ノ瀬を仏間へと上げる。妻と娘の位牌が納められた仏壇を前に座れば一ノ瀬は帽子を取って脇に置いた。それから無言で仏壇を見上げて、軽く周囲を見渡してから線香を灯し、香炉に満たされた灰に立てる。ゆるゆると昇る煙が空中に消えていくと一ノ瀬は両手を合掌すると頭を垂れた。


「娘さんは三歳だったと聞いたが」


 一ノ瀬は仏壇に合掌し私に背を向けたまま問いかけてきた。


「ああ」

「三月三日に三歳の娘さんがお亡くなりになられたのか、それも三年前の今日に」

「そういう数字遊びは……好きじゃない」

「そうだね、少し不謹慎だった。ところで遺影は飾らないのか?」


 どこか挑むような口調で一ノ瀬は合掌を止めて、私へと向き直る。


「遺影ばかりじゃない、雛人形も飾らないのかい?」

「……飾る意味がない」

「クヨウの為にも毎年桃の節句には飾ってくれ、それがご夫人の遺言だったんじゃないかい?」


 確かに妻はそう言い残した。件の雛人形は妻が実家から持って来た物。古臭く九段もある飾ることすら億劫な代物だ。それに……いや、そんなことより、何故一ノ瀬はこの事を知っている? 陣野にも話していない事だ。


「何故、知っている?」

「古いひな人形の段数は多くても七、八段くらい。祝い事などは基本割り切れない奇数が好まれるが華美さを求めて八段と言うのも幕末くらいにはあったらしい。……陣君が初節句で御呼ばれした際に、君の家のひな人形は古い物なのに九段もあると不思議がっていたよ」


 今ですら個人が飾る物は八段でも相当華やかなだからなと一ノ瀬は微かに笑ったが、一方の私は居心地の悪さを感じていた。


「結局、彼はご夫人に聞いたのだそうだ。一体どこの地方のどのくらいの時代のひな人形なのかと」


 自身の心臓の音が耳につく。ひな人形が何だというのだと喚きたくなるのをこらえて冷静さを装うのに苦労が必要だった。


「どこが発祥かははっきりと分からないとご夫人は答えたが、年代は江戸中期の代物だと教えてくれたそうだ。君、知ってるかい? 江戸中期ぐらいの主流は四から五段だそうだ」

「それが……?」

「ご夫人が持って来たひな人形はそれだけ特別な来歴のひな人形と言う事さ。それは娘さんに受け継がれるはずだった」


 カタリと押し入れから物音が響いた。


 ひな人形一式が納められた木箱が並ぶ押し入れから。


「陰陽道における九の数字は究極を意味しているし、九曜くようで言えば太陽を示す強い数字だ。女児への強い加護を願って代々受け継がれてきたのだろう。彼の人形は一族の女児にクヨウの加護を与える物だった、つまりは太陽のように強い加護だ」


 古い時代では女性は抑圧されていたからね、そう告げて一ノ瀬は押入れを見やる。押入れの奥から一層物音が鳴り響き始めていた。


「ネズミかな? それとも人形かな?」

「何を、言って……いるんだ?」

「時代を経れば強まるモノもあれば弱まるモノもある」


 ご夫人が持って来た人形は残念ながら弱まってしまったようだ、一ノ瀬はそう言い切って息を吐き出す。そして、私を見据えながら更に告げた。


「だからご夫人だけじゃなく娘さんは亡くなり、君が生きていられる」

「……」

「二十年も前だったらひな人形は君に報復した事だろうね。今は精々私の所に来て訴えかけるのが精々。それも助手の方に来たくらいだからねぇ」


 彼女は化外けがいだからその手の者も接触しやすいと一ノ瀬は言い放った。


 途端に押入れの物音は一層うるさく鳴り響き、娘の泣き声と妻の悲鳴、そして葬儀の時に見た義母のあの疑うような眼差しが甦る。


「失礼だな……私が妻子を殺したとでも? 証拠でもあるのか?」

「無いよ」


 あっけらかんと一ノ瀬は言い切った。少しだけ、心に余裕が戻る。


「どういうつもりだ」

「私は線香の一つでもと手向けに来ただけだよ、それと彼らの手助けに」

「っ! ふざけるなっ! お前のオカルト趣味に付き合っていられるか!」


 とっさに怒りの言葉が口をついたが一ノ瀬はまるで動じない。


「付き合わずとも良いさ、因果が返るだけだから」


 一ノ瀬は柔らかな物言いとは裏腹に凄まじい目つきで私を睨みつける。その鋭さに私は気圧けおされた。気圧されてしまった。彼は私を威圧したまま朗々と声を響かせた。


「あのひな人形は左内寺さないじという陰陽道に通じた一族が若くして父母の仇討ちの誓いを立て、見事に果たして倒れた一族の兄妹を慰めるとともに、彼らに加護を求めた代物なのさ。ご夫人は左内寺に連なる者だった」

「戯言はたくさんだっ!!」


 私は一ノ瀬に殴りかかったが彼は座ったまま私の拳を右手で掴む。彼の鋭い怒りを感じさせる視線が私に突き立てられた。鋭い視線で私を睨みつけながら彼は言葉を続ける。


「ご夫人が邪魔だったにせよ、殺める必要はなかった筈だ。それも娘さんまで殺めるとは……。今となっては詮無きことだが、せめて復讐は成されなくてはならないだろうさ」


 そう語る彼の声に合わせて押入れから笛の音が響く。つつみが打ち鳴らされる。


 押入れのふすまの向こうからカタカタと何かが打ち合う音が響き、十数名もの人間が狭い所でもがいている様な衣擦れの音が鳴り響く。何故だか震えが止まらずに私は周囲を見渡して、それから一ノ瀬を睨んだ。だが、彼の存在はそこには無かった。いや、そこは我が家の仏間などではなかった。どこかの寺か古い家屋の大広間に私は一人でいた。


 四方は上等なふすまで閉じられている。ふすまに描かれているのは獅子や龍と言った物で歴史的な建造物に紛れ込んでしまったように思えた。


 不意に大太鼓が鳴り響き部屋全体が震えたかと思えば、朗々とした男の声が響く。私にはその声が一ノ瀬の声に思えた。


左内寺玄一郎さないじげんいちろうさま、おれいさまの御ぉ成ぁりぃぃぃっ!!!」


  ふすまが開かれる。五人囃子の奏でる笛や鼓の音に合わせて、幾人もの官女や衛士が姿を見せる。そして最後に公家の如き若い男女が姿を見せた。皆が私を見据え、射すくめている。


「左内寺の女児を殺めしその方に沙汰さたを言い渡す」


 憤怒に彩られた若い男の声が響き渡った。


※  ※


 あれから半年が過ぎた。私は今、病床で動けない身の上になっている。私はあの後仏間で倒れているのが発見された。


 正確には九段もあるひな人形を前に土下座をする形で意識を失っていたようだ。体の変調を疑われ病院で検査を受けた私はガンを宣告された。そこから病状は進み、今ではご覧の有様だ。


 ご丁寧に病室には妻子の遺影が飾られ、何故かあのひな人形が、男雛と女雛だけが飾られている。遺影から常に怒りに満ちた視線を感じ、ひな人形からもそれを感じる。余命数カ月の命と宣告を受け、死を待つ私を彼らは一時も許すことなく無言の怒りをぶつけてくる。


 これが私に下された沙汰であるらしい。


 一ノ瀬とはアレ以降あっていない。そもそもに彼が家に来たという証拠はどこにもなかった。ただ分かることが一つだけ。どうやら怪異狩猟者は、ただ怪異の側を狩るだけではなかったらしい。私の幾つかの誤算の内にはその事実も含まれている。


<了>

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