訪ねて来た、元カレ

七倉イルカ

第1話 訪ねて来た、元カレ


 「最近、物騒な事件が多いから」

 そう言った健二は、デートの後、マンションまで送ってくれた。

 つき合って一ヶ月目である。

 「あがっていく?」

 「いいの」

 私が恥ずかしそうに言うと、健二は嬉しそうな顔になった。


 7階建てマンションの4階に私の部屋はある。

 1LDK。玄関から伸びる短い廊下を突き当り、その右側にリビングがある。

 8畳の小さなリビング。リビングの奥は、ベランダに出入りができる大きな掃き出し窓がある。


 もう終電には間に合わない。

 照明を暗くし、ソファに座って身を寄せ合った時、不意に玄関から大きな音が響いた。


 ドンドン! ドンドン! ドン!

 続いて、ピンポンピンポンとチャイムが立て続けに鳴らされる。


 「誰?」

 「……分からない」

 健二の言葉に、私は強張った声で返した。


 健二がリビングを出て、玄関に向かった。

 「健二!」

 私は声をあげた。

 「うるせェぞ!」

 健二が怒鳴りながら廊下を進むと、ノックの音もチャイムの音も止まった。

 インターホンのモニターを確認せず、健二はロックを外して玄関ドアを開けた。

 が、誰もいない。

 開けたドアから顔を出し、外通路の左右を確認すると、健二は室内に戻った。

 「誰もいないよ」

 「いきなり開けないでよ。おかしな人が外にいたらどうするの」

 私が抗議すると、健二はふてぶてしい笑みを浮かべた。

 「捕まえて半殺しにしてやったさ」

 リビングに戻った健二は、「興覚めしたな」と言いながら、ハンガーに掛けてあった自身の上着から、煙草とライターを取り出した。

 「この部屋で煙草は……」

 「分かってるさ」

 そう言った健二は、掃き出し窓を開け、サンダルをつっかけてベランダに出た。

 ベランダで吸われるのも困ると言いたかったが、それを口にすることが出来なかった。

 今の健二は、私の知っている穏やかな健二ではなかった。

 一ヶ月の間に、こんな粗暴な言動を見たことはない。ノックとチャイムの音がきっかけで、スイッチが切り替わったようであった。


 「元カレが来たんじゃないのか」

 ベランダから、笑いを含んだ健二の言葉が聞こえてきた。

 「そんなはずないじゃない」

 答えた声が震えそうになる。

 思い出したのだ。さっきのドアを叩くリズムは、元カレの洋介がドアをノックするリズムと同じであった。

 そして洋介は、まずドアをノックし、それからチャイムを鳴らす、変な癖を持っていた。

 けど、洋介が訪ねてくるはずはない……。


 「ちょっと来いよ」

 健二に呼ばれ、私もベランダに出た。

 どこに吸殻を捨てたのか、もう健二は煙草をくわえていない。

 「あそこ、街灯の右側。誰かが、こっちを見上げてるだろ」

 健二の言葉に視線を動かす。

 人影が見えた。

 「あれ、元カレじゃないのか?」

 私は答えず、リビングへ逃げるように戻った。

 立っていた人影は、洋介に見えたのだ。


 「おいおい、切れてなかったの?」

 健二が半笑いになって、ベランダから戻って来た。

 「きちんと別れたわ!

 あいつが来るはずは無いのよ!」

 私が答えた時、ローテーブルの上に置いていたスマホが着信音を立てた。

 画面には、『洋介』と出ている。

 私が止める間もなく、健二が画面に触れて受信した。

 『……美紀』

 掠れた声が、私の名前を呼んだ。

 『おれは……、別れてないぞ』

 「ははは、未練たらしいな」

 蒼白になった私に替わって、健二が小馬鹿にするように答えた。

 と、答えた健二が眉を寄せた。

 「ん? 妙だな。こいつ、今、美紀が『別れた』って言ったことを聞いていたのか?」

 リビングを見回してつぶやく。

 「まさか、盗聴器か」


 違う。

 そんなことより、洋介は、私が……。

 その時、掃き出し窓に張りつく、青膨れた不気味な顔に気づいた。

 「ひ!」と短く悲鳴をあげる。

 洋介である。


 健二も気づいた。

 「……あれ、幽霊だよね。

 もしかして、元カレを殺したの?」

 健二はきょとんとした顔で、私に聞く。

 そうなのだ。一年前、痴話ケンカの拍子で殺めてしまったのだ。

 死体は車で運んで、ダムに投げ捨てた。

 まだ見つかっていない。


 健二の反応は奇妙だった。

 幽霊を怖がらない。

 殺人を否定しない私に驚かない。

 それどころか、窓に張りつく洋介をからかった。

 「やあやあ、今カレの健二です」


 私はそれどころでは無かった。

 殺人がバレてしまったのだ。

 もう、終りだ。

 いや、健二を殺し、またダムに投げ込めば……。

 邪な考えが浮かんだ時、健二がおかしなことを言った。

 「じゃあ、俺も元カノたちを紹介しようかな。

 いつもツいて来てるはずだから」

 「え?」

 窓を見ると、洋介の顔の周囲に、ひとつ、ふたつ、みっつと、恨めしそう女の顔が浮かび始めた。

 囲まれた洋介の顔が脅える。

 「ほら、挨拶しな。今から、美紀も仲間になるんだから」

 健二が私の後ろに回り込むと、首に腕を回してきた。

 く、苦しい……。

 「最近、物騒な事件が多いって言ったよね。

 女性を狙った連続強盗殺人の話を聞いたことが無い?」

 暗くなる視界の中で、健二の声が聞こえた。

 「本当は色々と金を引き出してからにしたかったんだけどね……」

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