伊藤先輩はひな人形を仕舞いたい

辺理可付加

仕舞わせたくない

加瀬かせくん、今日は来てくれてありがとう」

「いえいえ。お招きくださり、ありがとうございます」


 本日は3月3日、ひなまつり。

 僕は仕事帰り、職場の先輩である伊藤いとうさんの家に招待されていた。


「あら、未来みくる! そちらの方は?」

「あ、どうも。わたくし伊藤さんの会社の後輩の、加瀬爽一郎そういちろうと申します」

「未来が男の子を連れてくるなんて……!」

「もう、お母さん!」


 立派な一戸建てだとは思ったが、どうやら先輩は実家暮らしらしい。

 土間を上がると先輩に似ているような、そうでもないような女性が出迎えてくれた。

 と思えばすぐにリビングへ引っ込む。


『お父さんお父さん! 大変! 未来が男の人を!』

『なんだって!!??』


 ……なんか怒号が聞こえてくる。エラいことんなったな。


『許さーん!! 許さんぞ未来!!』

「ほら、こっちだ」


 先輩はそれを無視して、僕を奥へと誘う。

 素直について行きつつ、背中に疑問をぶつけてみる。


「しかしまた、なんで僕を?」

「私もいい歳だからな。一人実家でひなまつり祝われてるのも、まぁ寂しいもんでな」

「いやまぁ、それは分かりますけど。僕男ですよ?」

「ん?」


 先輩はこちらを振り返り、とぼけたように首を傾げる。


「ん、じゃなくて。女の子のお祭りじゃないですか。普通誘うなら女子では?」

「……そうだな」


 瞬間、ねっとりと纏わり付くような視線が僕を襲った。

 背筋がぞわりとする。あまり詮索はしない方がよさそうだ。


 閉口しているうちに、畳の間へ。

 そこには、


「ほら、これがウチのお雛さまだ」


 立派な7段で人形も飾りも揃ったものが鎮座している。


「おー、すごいや」

「そうか、すごいか」

「はい。実家にある妹のは3段でしたし。文字どおりの段違いですよ」

「そうかそうか、


 これを29歳が一人で眺める虚しさも分かってくれるか」


「……えぇ、まぁ」

「まぁそういうことだ。親が張り切っていろいろ準備しちゃったからな。少し付き合え」



 というわけで。

 食事は帰りに済ませてきたので、菱餅やあられをツマミに白酒をチビチビ。


 精巧なお内裏さまを鑑賞したり、

 和室を覗きに来た先輩のお父さんに殺意の籠った目で観察されたり。



 まぁいろいろありながら、酒やお菓子も尽きるころ。


「それじゃ、そろそろおいとま……」

「まぁまぁまぁまぁ」


 僕が腰を浮かせると、先輩が全力で制止する。


「あんなお酒じゃ満たされないだろ。ビールあるぞビール。エビスだぞエビス」

「あ、僕黒ラベル派なんで」

「あー待て待て待て待て」

「なんですか」


 正直男として、ひなまつりも女性の家もご両親の目線も居心地よくない。

 さっさと帰りたいのだが、先輩は僕の肩を抑える。


「なぁ加瀬くん。今日は泊まってくだろ?」

「は?」

「な?」

「いや、帰りますよ。明日も仕事だし」

「ウチから行けばいいじゃないか」

「着替えとかないんで困ります」

「大丈夫大丈夫」

「大丈夫じゃないって」


 なんだコイツ、妙に食い下がるぞ。

 肩に掛かる圧力が増してくるので、一旦おとなしく腰を下ろす。


「いったいどうしたんですか。らしくない」


 いぶかしみ200パーセントの目を向けると、先輩は左右を確認し、


「実はな、手伝ってほしいことがあるんだよ」


 口の前で人差し指を立てながら、僕にそっと囁いた。


「手伝うって何を?」

「それは追って話そう」






 その後。


 お風呂を頂戴したり、

 お父さんに睨まれたり、

 お父さん用のストックで未使用の着替えを拝借したり、

 先輩に『君の脱いだ服はあのバックに詰めてあるからな!』と興奮気味で報告されたり、

 お母さんに『未来をよろしく』と何度も手を握って振られたり、

 先輩とビール飲んだりして、



 時刻は23時50分。

 リビングのソファで寝ていた僕は先輩に起こされ、二人で和室の前に来ていた。


「それではミッション内容を発表する」

「へい」

「時刻はもうすぐ0時、日付が変わろうとしている」

「ですね」

「これが何を意味するか分かるか」


 先輩がこちらを振り返る。

 真面目な顔をしているんだろうけど、眠気と暗さでよう分からん。


「さっぱり」

「次の日になる……つまり桃の節句が終わるということだ」

「そうなりますね」

「私たちの桃尻セック○は始まってもいないがな」

「まだ酔ってます?」

「ときに加瀬くんは、『雛人形の呪い』を知っているか?」


 話聞いてない。これは確実に酔ってらっしゃる。

 まぁそれはいい。

 いいというか、どうしようもないので諦めるしかない。


「あれですよね? 雛人形は本来厄を肩代わりしてもらう存在だから、しっかり供養しないと大変なことに……」

「……」

「あれ?」

「いや、そういうガチなやつじゃない」

「じゃあなんですか」


 先輩はむふーっと鼻息を鳴らす。


「聞いたことはないか? 『ひなまつりが終わったら、雛人形をすぐ片付けねばならない』」

「あー」

「『さもなくば婚期が遅れる』」

「ありましたね、そんなん」


 嫌な予感がしつつ、響かない返事をしていると、



「だから! 私は日付が変更されると同時にあれを始末しなければならない!!」



「言い方」


 結局聞きたくなかったことを宣言される。


「だから迅速な収容のため、君にも手伝ってもらう! 一人より二人だ!」

「素直に嫌だなぁ」

「迷信深いと笑うなら笑え! 私ももう29だ! そろそろ婚期を逃していられない!」

「29にもなって実家で雛飾りしてるから婚期逃すんじゃないのかなぁ」

「なんだと!」


 そんなことを言っているうちに時刻は0時に。


「行くぞ加瀬くん! 私たちの輝かしい結婚生活のために!」

「たち?」


 なんか聞き捨てならないフレーズがあったような。

 しかし確認する間もなく和室へ突入すると、


「んなっ!?」

「どうしたんですか」


 先輩が頓狂な声をあげる。

 頓狂な声しかあげていない気もするけど。

 とりあえず僕も視線の先を確認すると、


「えっ」

「大変だ加瀬くん! 雛飾りが……」



「「ない!!」」



 そこには、見事にもぬけの殻となった7段の台が!


「やっ、やられたっ!」


 頭を抱えて膝をつく先輩。


「でもまぁ、いいんじゃないですか? 片付けられてるってことだし。早めに片付けちゃいけないこともないんだから」

「君はヤツの恐ろしさを知らないからそんなことが言えるんだ!」


 我ながら正論だったと思うのだが、先輩はすごい勢いで反論してくる。


 と、そこに



「はーっはっはっはっはっ!!」



 和室の隅から高らかな笑い声が。


「なんだなんだ?」

「やはりキサマの仕業か……!」


 僕の理解が及ぶより先に、先輩が憎々しげな声を出す。



「お父さん!!」



「フハハハハハ! 未来のお雛さまはお父さんが隠しちゃったもんねー!!」

「くそっ!」

「何やってんだこの親子」


 先輩は地団駄を踏む。


「そもそも私が29歳独身なのもコイツのせいだ! 私に初のカレシができた年、家の屋根裏に雛人形を隠した!」

「いつからやってんだこの親子」

「なあっはっはっはっはっぶえっ!?」


 なおも高笑いが止まらない父親の頬へ、先輩の飛び膝蹴りが突き刺さる。


「言えっ! 今回はどこに人形を隠したっ!」

「ふっふっふっふっふっ」


 クリーンヒットを受けても依然余裕のお父さん。

 彼は胸ぐらをつかまれながら両手を広げる。


「7段あるだろう」

「それがどうした!」



「飾りを段ごとにチーム分けし! 世界中の7箇所に隠してきた! 仕舞いたければ集めて回るがいい!!」



「くそっ! いつの間に!」

「世界でいっとーカスみたいな親子ゲンカじゃん」

「ちなみに一番下の段はギアナ高地に隠してきたぞ!」

「なんだって!?」

「それは教えてくれるんだ」

「最初の番人として負けたからな。続きは行く先々の番人を倒して聞くがいい!」

「7段だけにことを! 今ここで締め上げて聞き出してやる!」

「待て未来! ルールを守って楽しく遊ぼう!」

「人としてのルールを破る男が言うことかーっ!!」


 夜の0時に喧喧諤諤と騒ぐ親子。

 まぁいくつになっても戯れていられるのはいいことだと思う。


 婚期は遅れるかもだけど、その分家族で楽しく暮らせばいいじゃないか。

 僕は二人を尻目に、勝手に家へ帰ったのであった。


 こうして僕の、意味不明なひなまつりは幕を閉じた






 はずが






 翌朝。



「加瀬くん」

「部長」


「君、出張の準備はどうなっとる?」


「は?」

「はじゃないが」


 出勤した僕は、部長からとんでもないことを聞かされた。



「伊藤くんが言ってたぞ? 明日から二人で、ブラジルへ出張するんだろう?」



「はぁ〜っ!?」


 目を向けると、デスクで先輩がニヤニヤしている。

 この人まさか、真面目に人形回収してまわるつもりか!?

 そもそもあんな話信じたのか!?


 鼻歌まじりに手の爪を見ている先輩の姿に、僕は



 あぁ、こんなことしているうちに、まんまと婚期を逃すんだろうな



 と思った。






 ちなみにギアナ高地で待ち受ける番人もお父さんだった。

 次はグレートバリアリーフらしい。


 あんた暇か。

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伊藤先輩はひな人形を仕舞いたい 辺理可付加 @chitose1129

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