呪いの日

小狸

短編

 我が家には、ひなまつりを祝う文化がなかった。


 いな


 その言葉には、やや語弊がある。


 ひなまつりの日だけは、普段柔和な父がへそを曲げるのである。


 否。


 それもまた違う。


 へそを曲げる、というひ弱な表現程度ではなかったように思う。


 当時は存命していた母に対して「そんなもの祝うな」と喧嘩していたのを聞いたことがある。

 

 私は三姉妹の一番上、長女にあたる。


 私が幼かった頃は定かではないけれど、次女と、年の離れた三女の時の記憶が妙に残っている。


 ひなまつりの時の父は、分かりやすく「傷付いています」「苛ついています」みたいなアピールをしていて、機嫌が悪かった。


 分かりやすく言うと、ひなまつりの日限定で、亭主関白を発動するのである。


 だから3月3日は、私たち三姉妹と母の中では、父の機嫌を取る日だった。


 そして、ちょうど三女の七五三の時である。


 母が重い病気にかかり、もう子どもが産めない身体になった。


 そしてその直後、父の不倫が発覚して、父は母を捨てて、別の女性と駆け落ちした。


 母は、あっさりと死んだ。


 母は、最期にお見舞いに行った時まで、笑顔だった。


 あんなに急に亡くなるなんて、思わなかった。


 祖父の運転で、三姉妹で病院に行ったのだ。


 前見た時よりかは少し痩せていたけれど、その時は、元気そうに見えたのだ。


 父がいなくなって、病気の中でも私たちの心を支えてくれた。


 あの笑顔の裏に、どれだけの苦しみがあったのだろう。


 どれだけの辛さが、あったのだろう。


 もっと頼ってくれても良かったのに。


 私だって、力になりたかったのに。


 お母さんのために、何かしたかったのに。


 なんで。


 棺の中で綺麗におめかしされて、目を閉じる母に向かって、心の中でずっと思った。


 次女と三女は、その頃はまだ「死」について、良く分かっていないようだった。


 せめて、と思って。


 次女と三女の前では、涙は我慢した。


 そんなことに何か意味があったとも思えないし、気持ちを抑えることは良くないことだと分かっていたけれど、それでも、後悔はない。


 母は絶対に「お姉ちゃんなんだから」という言葉を使わなかった。


 姉だとか、妹だとかではなく、一人の人間として、向き合ってくれた。


 そんな生き方は、私に大きな影響を与えてくれたように思う。


 私たち三姉妹は、母方の祖父母に預けられることになった。


 祖父母は、暖かく私たちを迎えてくれた。


 今では、三女も小学校に入り、元気に楽しく通っている。


 父は――。


 私が小学生に入って、育っていくと共に、こんな言葉を投げかけていた。


「俺は、男の子が欲しかったんだ」


「跡継ぎは男の方が良いだろう?」


「お前が男だったらな」


 何度言われたか分からない。


 私にしか、言っていなかったと思いたい。


 妹たちに聞かせるには、あまりにのろわれた言葉である。


 間違いなく、呪いだ。


 跡継ぎとか言っても、別に家業があるわけでもない。ただ、自分の名前を――苗字を残したかったのだと思う。


 大人に近付いた今なら、分かる。


 


 自分に芯がなく、いつも何かに依存して、柔和な笑顔を浮かべてその場その場で都合の良いことを言って、己自身をも騙しながら生きていた。


 だからこそ、血を残すこと、名を残すことに、あそこまで執着したのだ。


 父が駆け落ちして以降、一切音沙汰はない。


 もう二度と会うことはないだろう。


 今では。


 普通に祖母と一緒に、ちらし寿司や手巻き寿司を作って祝っている。


 しかしそれでも、時折どうしても思ってしまうのだ。


 


 家族が壊れることはなかったんじゃないか。


 今まで通り、普通にお父さんとお母さんがいて。


 次女と三女にも、寂しい思いをさせないで。


 いつも通りの、皆の笑顔が、そこにあったんじゃないか、って。


 そんなありもしない夢物語を、心の中に描いてしまう。


 だからこそ。


 3月3日――ひなまつりの日は、私にとっては。


 祝いの日であると同時に。


 呪いの日でもある。




(「呪いの日」――了)

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呪いの日 小狸 @segen_gen

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