人形国のひなまつり

MACK

人形国のひなまつり


「この儀式は婚姻のためであったが、人形国の最高位、内裏の名において、女雛候補であった蝶子姫との婚約を破棄する!」



 長い暗闇をもがく様に抜けて視界が開けた……そう思った瞬間に耳に入って来たのは朗々と響き渡る男の声。視界を埋め尽くす赤い絨毯。


「え? ここどこ?」


 驚いて反射的に上げた声は、耳馴染のないものだった。

 床が視界いっぱいに広がっている理由はすぐにわかった。自分はべたりと床に伏せていたからだ。あちこちを打ち付けたらしく、体中が痛む。とにかく声の主の姿を見ようと、手を付きながら体を起こし顔を上げる。


 そこにはそそり立つ階段状の、ひな壇があった。一段が大人の男性の身長はありそう。七段あるそのすべてに、色々な華美な服装の老若男女が所せましと座っており、おろおろと狼狽して顔を紫色にしている者、クスクスと隣と笑い合い頬を桃色に染めた者、蒼白な者もいれば烈火のごとく怒りでか真っ赤になっている者もいた。カラフルだ。


 ズキリと頭が痛む。思わず顔を覆うように額を抑える。

 深夜にコンビニへと夕食を買いに行き、その帰り道に迫りくる大型車両のライトに目を閉じてからの記憶がない。

 再度の痛みで、自分以外の記憶が一気に再生された。


――人形国の蝶子姫。


 家格最高位の摂家せっけの家柄はもとより、幼き頃から美しさを褒め称えられ、お内裏様に並べる唯一の姫という名声を欲しいままにしてきた。

 もちろん家柄や容姿などの生まれ持った要素に胡坐はかかず、人形国の頂点に立つお内裏様の隣にあって相応しくなるべく、妃教育は元より文学、芸能、果ては武道までもを極めてみせた。


「完璧すぎて息が詰まる」


 そう言われた事も一度や二度ではないが、完璧であらねばならぬ立場、わざと手を抜く事はできない。


 頭痛が治まり再び顔を上げれば、最上段から自分を見下ろす男の姿……その腕に抱かれていたのは蝶子の異母妹。目が合うと「きゃあ怖い」等と言いながらお内裏様の後ろに隠れ、ニタリと邪悪に笑った。ことあるごとに、蝶子にいじめられただの暴言を吐かれただの水をかけられただの、教科書を破り捨てられただの、トゥシューズに画びょうだの、申告された嫌がらせのレパートリーは百八に及ぶ。煩悩かよ。

 

 どうやら異母妹の申告を、婚約者であるお内裏様は素直に全部信じたようだ。


「この国を治める朕の隣に、おまえのような悪女を据えるわけにはいかぬ」


 彼はしゃくを振り下ろすように私に向けた。裏に貼られた儀式で述べる口上のメモが翻る。紙ぺら一枚では足りなくてなんと巻物。彼が、「あ」という顔をした時には、巻物の端は三段下まで伸びていた。

 今代のお内裏様は暗記がとても苦手で(というか勉強全般が苦手かも)、しゃくはただの飾りではなく、本来のカンペ隠しに使われていたのだが、それが白日の下にさらされ、彼が即位できるよう推挙、後押しをしていた左大臣は髭でごまかせぬほど青くなっている。ひな壇に、新たな色が加わった。

 無能な王の方が傀儡として扱いやすいと裏で笑っているという噂は聞いていたが、あからさまに無能がばれると、いささかまずいのだろう。何せ彼には、右大臣が推す優秀な弟がいる。


「彼女も女雛候補であったのに、蝶子あねによって理不尽にも三人官女の地位に落とされ、厳しくも理不尽な折檻に耐えつつも健気な笑顔を忘れず、立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花と称えられしこの葵姫を、朕は娶る事とする!」

「はぁ……そうですか」


 そう答えるしかなかった。この体中の痛みは、断罪時にありがちな突き飛ばし。おそらく、勢い余って最上段から転がり落ちたのだ。階段状とはいえ、二メートル近い段差を七つも転がり落ちたのである。ボリューミーに結い上げられた髪の毛がヘルメットの役目を果たし頭を守り、何重にも包んでくれている十二単が体を守ってくれた。しかしその衝撃で、彼女の魂は異世界に飛んでしまったらしい。そこに同時刻に別の世界で異世界に吹っ飛ぶレベルの衝撃を受けた私の魂がホールインワンしてしまったのだと理解した。


 栄えある結婚式の当日に、このような理不尽な断罪劇の末、今までの彼女の努力を無にしても良いものだろうか。


 否。


 この世界への転生は思いもよらぬ事ではあるが、これまで最上級を目指した蝶子の努力を、転生して憑依してしまった自分が無駄にしてしまうわけにはいかない。女子が称えられしこの吉日に、自らを不幸にしてはならぬ。


「蝶子姫!」


 その叫びと共に弓が投げ落とされる。反射的に受けとった。投げたのは右大臣だ。若くイケメンで、なんなら小ぎれいなだけのお内裏様より好みの精悍な顔立ち。武道を極める際にはいささかお世話にもなっていたようで、気安い間柄。「共に戦おう」そんな心の声が確かに聞こえた。幻聴じゃないと思う。だからわたしは動きにくい十二単から蝉の脱皮のごとくするりと抜け出して、弓を手に叫んだ。


「兵を挙げよ! お内裏様には弟君こそ相応しい」

「おのれ、婚約破棄に錯乱したか。者どもであえ、であえい!」


 あちこちで刀剣の閃く輝き。

 左大臣派と右大臣派に別れた戦乱は三日三晩都を焼いたのち、終結した。最後にお内裏様は最上段から追い落とされ、異母妹ともども追放されたのである。次の冠を戴いたのは当然弟君だ。彼にはすでに心から愛する婚約者がいて、即位と同時に祝言を挙げた。

 弟君を推していた右大臣は当然に更に官位を上げ、蝶子の家格に相応しい地位を得てくれた。

 

 婚姻の日に「あなたの名誉を回復したい」と、彼が同時に催してくれた祭りがある。


「あの日、あなたに一切の非は無かった。この祭りはそれを広く世にしらしめるものとなるでしょう」


 こうして人形国に、あの断罪の日にあわせて毎年、非無ひな祭りが執り行われる事となったのである。


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