さよならを言えないままで

tanahiro2010@猫

そして最後に君は言った。——「幸せだったよ」、と

「——そんなとこにいたら風邪引くよ?」


 しとしとと雨の降るこの場所で、君が僕を見て最初に言った言葉はそれであった。


「…うるさい」


 その返答に対して、君は一瞬どこか悲しそうな顔を浮かべた。


「まったく、そんなこと言わないで早く立った!」


 されど、あたかもそんな表情最初から浮かべていなかったようにいつもの元気な表情に戻り、いつも通りのテンションを僕の背中を叩く。


「痛…ッ、な、何すんだよ!」

「君がそんなとこでウジウジしてるからでしょ?」


 それが君の本心ではないとわかっていても、こう思わずにはいられない。

 どうして君は、こんなことがわかった直後にそんな元気な表情を浮かべられるんだよ、と。

 僕は、そのことがわかった瞬間から生きる希望さえ無くしたというのに。


 そのことを考えてることに気づいたのか君は、僕に提案した。


「はぁ…ねぇ、遊びに行こうよ」

「…遊びに?」

「そう、どうせ私たちは、だったら最後くらい、一緒に遊んだ方がいいと思わない?」


 あぁ、そうだね。僕らは後少しで会えなくなる。

 何日、何ヶ月、何年とかそんな悠長な話ではなく———永遠に。

 その現実を思い浮かべるだけで、余計にのしかかってくる。

 されど、この最後のチャンスを逃すわけにはいけないと、僕はその提案に承諾した。


「そう…だね」

「それじゃあ、公園へ行こうよ!」

「あぁ、そうしよう」


 あぁ、偽りだとしても今は君のその笑顔が眩しいよ。


 そんなことを考えながら僕は君の後を追った。


☆★☆ ☆★☆ ☆★☆


「ねぇ」


 やってきた公園で、僕は君にひとつ風船を投げる。


「何?」


 君はその風船を見事にキャッチし、優しく僕に投げ返す。


「君はさ、どうしてそんなに元気でいられるの?」


 足元に落ちた風船を拾いながら、僕は問う。


「どうしてって…どういうこと?」


 風船がふわりと空中で踊る。

 君はこてんと首を傾げて、僕を見つめる。


 そんな君に、僕は少し顔を赤くしながら言った。


「君はさ、ぼ…僕と会えなくなるのが寂しくないの?」


 僕と君は幼馴染だ。

 生まれてからずっと近くで過ごしてきて、顔を合わせない日などごく数日。

 これまでそんな生活をしていたからか、僕は君に少しの恋心さえ抱いて

 だから僕は、そんな君と会えなくなるのがたまらなく悲しい。

 例えるなら、そう。まるで胸が張り裂けてしまうほどに。


 そんな僕の心情を読み通してか、君はどこか悲しそうな顔をした。

 

「悲しいに…決まってるよ」


 その言葉を聞いて、僕はどこか納得した。

 君が最初に浮かべたあの表情は、僕の見間違いではなかったのだと。


「これまで私たちは、ずっと一緒に生きてきたんだよ?」

「そう…だね」

「それなのに…それなのに心の準備もなく『あなたたちは後少しで永遠に会えなくなります』だなんて、悲しいに決まってるじゃない!」


 溜まっていた感情の奔流を解放するかのように、君は叫ぶ。

 そんな君の顔には、絶望と怒りが混じり、目に見えるほどに苦しそうな表情が浮かんでいた。


「なんで…なんで私が…ッ!」


 君の叫びが空気を震わせた瞬間、君が投げた風船が、まるで引き寄せられるように急降下する。

 軽いはずのそれが、重力に逆らえなくなったかのように、異様な速さで僕の足元に落ちた。


 それはまるで、風船が君の絶望を映し出し、共鳴しているかのようだった。


「まだやりたいことだってたくさん残ってるのに…どうして私が」


 ぽろぽろと涙を流す君を見て、僕は思う。

 できるならその癌、僕が引き受けたいと。


「ねぇ…」


 震える声で、君はいう。


「どうして、こんなことになっちゃったんだろうね」


 今にも倒れてしまいそうで、先ほどの元気な様子からはかけ離れたか弱い声。

 否定したいけど、否定できない現実がそこにはある。

 それを知ってしまいるからこそ、僕はどんな言葉も返すことができない。


 あぁ、思い返すとどんどん自己嫌悪が止まらなくなる。

 僕は現実は非常だと、理解した気になっていた。

 朝ふとみたニュースで、趣味で読んでいる小説で、たくさんの事柄から僕は現実は非常だと理解した気になっていた。

 だけど、現実は違う。ただ僕は、理解した気になっていただけだった。


 当事者になったからこそ、わかる。

 僕はあまりにも無力で、何もできないことがここまで悔しいと、苦しいとは思わなかった。


「……ねぇ」


 静かな公園に、君の声が響く。


「泣いているの?」


 その言葉で、僕は自分の頬を伝うものに気づく。


「ハハッ…そうみたいだね」


 乾いた笑いしか出てこない。

 僕よりも君の方が、悲しくて、苦しいはずなのに。


「バカだなぁ、君は」


 君はそう言って、僕の涙を拭ってくれた。


「ねぇ」

「…何?」

「最後くらい、一緒にいていい?」


 か細い声で、君はいう。


「そんなの…当たり前じゃないか」

「…ありがとう」


 僕は、しっかりと君の手を握った。

 その手は冷たく、まるで後少しで命が燃えるきてしまうようだった。


 涙が溢れる。

 ただ僕は、君と一緒に過ごしたかっただけなのに。

 と、そんな「たられば」ばかりが思い浮かぶ。


 そんな不甲斐ない僕の手を君はしっかりと握り返し、君は言った。




——— 「ありがとう、私、あなたと一緒にいれて幸せだったよ」


 君はその言葉と共に、手から力が抜け、まるで風に吹かれたかのようにふわりとその体が沈み込んだ。


 僕は驚き、慌てて君の肩を支えようと手を伸ばすが、その手は虚しく空を切る。君はすでに、力なく目を閉じ、静かに息を引き取った。


 それと同時に、まるで風船が空気を失うようにその存在がしぼんでいった。


 その瞬間、地面に置かれた風船が、まるで君の絶望に引き寄せられるかのように急降下する。軽くふわりと浮かぶはずの風船が、突然音もなく落ち、そして――破裂した。


 僕はその音に反応して、振り向いた。その風船が割れた音が、まるで僕の胸の内を引き裂いたように響いた。


 心が凍りつく。

 僕の体は動けなくなり、耳に響くのはただ君の最後の言葉だけだった。


『ありがとう、私、あなたと一緒にいれて幸せだったよ』


 その言葉が、僕の心に刺さる。痛みが、どうしようもないほど広がる。君が言ってくれたその一言だけが、最後の優しさであり、僕がこれから生きるための唯一の理由になった。


 君の手を握りしめながら、僕は涙をこらえることができず、声を上げて泣きながら君の名前を呼んだ。


「君が幸せだったって、どうして言ってくれるんだよ…。僕こそ、君と一緒にいられて幸せだったのに!」


 心の中で叫びながら、君の手をもう一度強く握る。それでも、君の手は冷たく、もう戻ることはないことを僕に教えていた。


 しばらくの間、僕はただ君の手を握りしめることしかできなかった。


 そして、ようやく僕は立ち上がり、空を見上げた。


 君が言ったように、これから僕は君の分も生きることを誓った。君が僕にくれたその温かさと優しさを胸に、僕はこれから歩いていかなければならないのだ。


 君の笑顔を、あの風船のように浮かべた君を、忘れないために。

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