アンビバレント・アイドル

鴻山みね

第1話

 暗闇に在り渡る、海中のホタルイカみたいに輝くペンライト。ひとつじゃない、無数に立っている。青い光がわたしの瞳を刺激して、リアルとフィクションを揺れ動かしながら曖昧にしていく。


 白い照明が熱いのか、わたしの体が熱いのか区別がつかない。重かった衣装もステージの上では飛ぶことのない羽のようにかろやか。マイクを通して出る歌声にファンは呼応している感じで、確信に近いものを持てた。一瞬一瞬切り取られた連続する視界と記憶から――アイドルって楽しい、心が叫んだ。




 ストローが刺さったラベルのないペットボトルのお茶から口を離し、テーブルに置いた。楽屋では感情が入り交じった空気と音が騒がしく響いていて、混じり気のないものなんて何ひとつ存在しないとさえ、わたしは感じていた。



「アイドル楽しくない。もう疲れた……イヤ」



 肘をテーブルに付けて、首から取れそうな頭を両手で支えるように顔を覆っていたわたしはそんなことを呟いていた。視界には指でできた鉄格子が広がっている――あるいは、視界を狭めている。ただでさえ顔は熱いのに手で覆ったせいで一段と熱くなった。

 指の鉄格子のなかに閉じこもっているわたしに未夜みよが声を掛けてきた。隣に座った音が聞こえる。



「それ何度目? 今年で七回……いや、八回は聞いたけど。もう心配する気すらなくなっちゃった。ひかりは結局どうしたいの?」

「わかんない。楽しいって思うけど、次気づいた時には楽しくなくなってる。冬の夜空みたいな感じ」とわたしは言う。

「あー、ひかりの例えの方がわからない」

「冬の夜空がきれいだからってずっと見てたら、寒くて風邪を引いて不幸になるでしょ。それと同じ。いまわたしは風邪の引き始め、未夜やみんなに移したくないからこうやって閉じこもってる」わざとらしく咳を吐く「ゲホゲホ!」



 顔を手で覆ってるせいで、咳を吐く真似をしたら熱い息が顔に掛かり気分が悪くなった。手をどけて横を見ると、未夜はサイドの髪をまとめていたゴムを外してあくびをしていた。

 ライブで疲れてるのは理解できるが、わたしの話を聞いてるのかと思ったら聞く態度じゃないのは騙された気分で、背が反り返って問いただすように声を出した。



「聞いてる! わたしの話。アイドルがわからなく――」


「アイドル辞めたいって話はわかった。あー、待って」未夜はストローの刺さったペットボトルに口をつけ、飲み終える直前にストローを噛んだ「『そうじゃない辞めたくない』、とか言わないでよ。うちらグループは四年半続いてる――正確に言えば四年半もやっていけてる。しかも、六人いるメンバーひとりも欠けずに。ひとりもだよ。二年もしないうちに誰か辞めるかと思ってた、正直な話。ひかりはナーバスですぐ落ち込む。小春こはるは空気読めない。夏果なつかは寝坊常習犯。あきは歌下手あとダンスも。冬音ふゆねは……もう帰ってる、最高」テーブルを二回叩いて言う「――ここまできたらね、私だって辞めれない。わかる? あと半年で五年になる。つまり五年間応援してくれてるファンがいるってこと。アイドルであるうちらがやっていけるのは、それを支えるファンがいるから。ひかりの気持ちは尊重する――でも、あと半年はやって。私だって辞めてやるなんて何度も思った。部屋のゴミ箱が呪いの字だらけの紙でいっぱいになるぐらいにはね。だからといってひかりの気持ちがわかるとか言わない。もう一度言うけど約束して――半年後の五周年までは続けて。辞めるかどうかはそれから考えて、うちらは飛んでいるのか落ちているのかさえわからないんだから」



 未夜はじいっとわたしを見ながらペットボトルのお茶を飲み、飲み終えるとさっきみたいにストローを噛んでテーブルに置いた。長い話のせいか、わたしの落ち込んだ気分はどこかへ飛ばされてしまった。冷静に物事を捉えられる状態になってきたので、未夜に言った。



「そのお茶わたしの」

「知ってる、わざと飲んだ。近くになかったし、ちょびっとしか飲んでなかったから貰った――もしかしてだけど、飲む? これ」



 ストローの先はクリンクルカットしたフライドポテト(ギザギザした)みたいに潰れていて、そのペットボトルをわたしに近づけてきた。磁石でも埋め込まれてるかのように近づくペットボトルからわたしの上半身は離れていった。未夜はカラっと笑い「冗談だって」と言って、自分でまた飲んだ。


 わたしのこと慰めてくれたのかな、と思った。でもいつもこんな感じで、ひとりでべらべらと喋って満足してるから本当のことはよくわからなかった。強い照明の光を浴びていたせいか、決して暗くないのに妙に暗く見える楽屋の中で、わたしは両手の指と指を合わせて均等に力を入れながら両指が貼り付いた様子を注意深く見ていた。


 指の摩擦だけじゃない、無意識に両方の指がずれないように動いている。ずらしてやろうという強い意志がない限り、自然と指同士は離れない。わたしという意識下に置かれながら指は矛盾した行動を取っている。



「……わたしやっぱりアイドルやりたいのかな」とわたしは言う。

「自問自答。お答えは? 聞かせてよ」



 横目で未夜を見た、言葉の割には興味なさそうにしていた。三秒ほど目を閉じてどうしたいのかと自分に問いかけ――やりたい、やりたくないを反復させた。目を開けて言う。



「やりたい。けど、やりたくない」

「なるほどね。前を歩きつつ、後ろにも歩きたい――と。あー、ひかりらしいかも」

「そういうこと言いたいわけじゃ……」

「まあ、わからないでもないよ。表現しきれない感じなんでしょ」と未夜。

「そうじゃなくて、地面に落ちたゴミみたいな感じ」


 体をひねって驚きながら未夜は「どういう例え? 落ちたゴミ――ええっ! 落ちたゴミだって!」ともはや自分の口から出した言葉にすら驚いていた。ぴったりつけていた指をわたしは離して、意味について語った。


「ゴミ箱の近くに転がってるゴミを見ると入れたくならない。入れたけど落ちたのか、最初から入れる気なんてなかったのか、どちらにせよ地面に落ちたゴミがあればゴミ箱に入れてあげたい。でも、落ちてるゴミって触りたくないし、拾って入れたらなんだかわたしが落としたと思われそうでやりたくなくなる。そのもやもやがつきっきりで存在してて、わたしはゴミ箱の前で悩んでる」


 天井を見ながら渇いた声で未夜は言った「あー、いい例え――感動しちゃう。それで私はいまどこに?」

「――うるさい広告宣伝車」ぼそっと、わたしは言った。

「ゴミ収集車って言って欲しかった」

「どうして?」

「理由は聞かないでよ。ああでも、いい方向で考えてもらっていい。悪い意味じゃないから――ほんと」



 ほんとだって、もう一度強調しながら未夜は言ってお茶を飲んだ。ストローから口を離すとき、やはりストローを噛んでいた。けど今回は二回噛んだ。


 俯きながら、テーブルにできているシミらしきものを見た。指で擦ってみたが消えることもなく、薄くもならなかった。最初から存在したのか、わたしたちが付けたものなのかは不明だった。



「……満足してもらえたかな」

「ファンに? 十分にしてたよ。不満な顔してる人なんて――」と未夜。


「あの場に居た時は高揚してわからなくなってただけで、冷静になったら大したことなかったって思ったりするんじゃないかな。わたしだってライブをやってる時は緊張もあったけど、いまになってみれば不安が襲ってくる。ミスの一つや二つあったけど、みんなで乗り切れたと思ってた――ファンも含めて。でも、そう感じてるのは実はわたしだけで、他の人は違うんじゃないかって。ライブ中は現実か虚構すら区別がつかない。自我的な確かなものがわたしから抜けて、個々の境界線が溶けてすべての固体が液体になったみたいに思える。快楽や痛みまで共有してるような……一挙一動が感傷的にさえなってた。だからこそ終わった後に自我が戻ってくれば、取り残された気持ちになる。あれは夢だったんじゃないか、目を隠されて遊ばれてるだけなんじゃないか、でもファンの熱量は確かに手の内にあった感触が残ってる、疑心に思ってしまうのは完全な夢ではないとわかってるから。感触の存在があるから、疑心に陥ってる」


 テーブルのシミから目を離した。隣の未夜はガムみたいにストローを噛んでいた。未夜は言う。

「終わり? 満足した? 私は不満かもしれないけどね」

「ごめん」

「謝らないで。不満があるってことは満足を知ってる、満足があるってことは不満を知ってる。ひかりの悲観的でわかりづらい話にだって私は満足することはあるんだから、ファンだって満足した経験はある。それで終わりにしたらいいよ」



 何も言わずに頷いて、わたしは未夜に尋ねる。



「未夜はどうやってやる気……違うかも、いわゆる落としどころをどうしてる?」

 口を歪ませた後にわたしから視線をずらし、テーブルの上に人差し指を置いて見えない迷路を解いていた。

「簡単に言わないで、落としどころなんてない。やっていけてる以上それより先を考える必要ある? 妥協することなんていくらでもあった――むしろせざるを得なかったかもね。アイドル続けるとか、続けないとかさ、そういうのより先に現状を維持することに躍起やっきになってた。さっきも言ったけど、辞めてやるって思ったことはある。けど、やらなきゃいけないって思いもあった。どこからそれが湧いてくるかと探っても明確な答えなんて見つからないし、言葉にもでない。私もひかりみたいに例えられればいいのにね。だから落としどころなんてどこにもなくて――私はいまここにいる。何か糸は掴んでるはずだとは感じてるんだけど、どこに向かってるのか全然わかんない」動かしていた指を止めた「――アイドルでありたい、それだけは間違いないかも。ありたくない、とは思わないから」未夜はわたしを見た「これが自問自答ってやつ?」


「そうなのかな」とわたしは言った。

「そうだよ、これが自問自答。スッキリした。ひかりのおかげだよこれ。落としどころなんて必要なくて、アイドルというそれ自体に価値を見出すか――重要なのはそこじゃない? 私はアイドルでありたい、これだけ。これがあるから続けられてるし、いまもやってる。飛んでるのか落ちてるのかなんてわかるわけない、私自体がアイドルという箱の中にいるんだから観測できないんだよ。つまり、私はもうトイレの限界ってこと! それと、ひかりはもう答えを持ってるってことっ!」



 言葉の爆風にさらされたようにピンっと立ち上がって、未夜は楽屋を出て行った。テーブルに置かれたペットボトルをよく見れば、ひと吸いで飲めるほどしか残ってなかった。ストローばかりに気を取られて飲んでる量なんて見ていなかった。


 答えを見つけるために目をつぶって、自問自答しようと考えた。アイドルは――楽しい、楽しくない。アイドルは――やりたい、やりたくない。真逆の答え同士を挙げたり引っ込めたりを繰り返して、正しい色になるまで続けた。けれどどちらも正しい色に染まって、どうにも答えがでなかった。


 矛盾しているのに、間違っているとさえ心は言わなかった。立ったコインが高速で回転して、表も裏もなくなって、球体になってく感じがまぶたの裏に浮かんでいた。両面の感情が存在していること――それが、わたしがアイドルを続けられてる理由な気がしてきた。

 閉じていた目をわたしはゆっくりと開けていった。正面の鏡にはアイドルのわたしが映っていた。ここに鏡があることをわたしは忘れていたらしい。

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アンビバレント・アイドル 鴻山みね @koukou-22

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