あといくつ

めいき~

あといくつ

「沙耶さん、今日が本当に最後なのかい?」


 舞台裏のカーテンの後ろでずっとマネージャーをやってくれた康彦が尋ねる。「うん、今日が最後に私もしたくない……」


 康彦の視線が、沙耶の右手に注がれる。


「でも、もう動かないから」そういって手をあげるともう指は動かせずにいた。


 作曲を続けたくて左手だけで曲を書いた。テーピングでぐるぐる巻きに右手を固定して上げ下ろしの動作だけで、左手と膝だけで必死にフォークギターを弾いていた。


 ずっとずっと、好きで弾き続けられると思っていた。

 ずっとずっと、康彦と一緒に色んな場所で講演できると思っていた。


 康彦と一緒が良かった、貴方と一緒が良かった。


 でも、彼はマネージャーなんだ。曲が私達を繋いでいた。

 

 観客も、友達もみんなみんな楽しみにしてくれた。

 

 幾らリハビリしても動いてくれない手、幾ら必死になっても落ちていく力。

 明るい気持ちになって欲しい曲で、明るい気持ちが自分から出てこない。


 悲しい気持ちを表現したい時に、辛い気持ちに押しつぶされそうで。


 それでも、無理矢理動かして来た。


 それで、一年。粘ってみた。

 それで、もう一年。やれなかった…………。


 それだけ、やって来たから。

 それだけを、やってきたから。


 康彦さんはそれで悲しんだりしなかった、怒りもしなかった。


 ただ、腕が動かない事を告白した時に。自分だって働いているのに、必死に走り回って演奏する場所を与えてくれた。スーツのズボンが泥まみれになっても、私のギターと衣装は雨一粒かからない様に大切に梱包されて。


 その時、彼は確かこう言った。「貴女の曲が好きで、貴女の演奏が好きでマネージャーになった。だから、貴女が止めるまで。僕は必ず、貴女の曲を聴いてもらえる場所を用意する。貴女の楽器を守るし、貴女の衣装を届ける」


 ずっと、約束を守ってくれた彼。


「だから、舞台袖で。特等席で、貴女の手伝いがしたい」


 康彦さんはいつも真剣な顔で、応援してくれた。



 この手の麻痺は、徐々に体に広がって。やがて心臓を止めると診断された。


「あの時の事を覚えてる?」と康彦さんが聞いて来た時。私には何のことかわからなかった。そして、覚えていないのなら別にいいとも。



「あの時?」私はどうしても、それが気になって聞いた。

「僕が、人生を諦めた日。屋上にいったら、貴女のコンサートをやっていて。その時の貴女はまだ無名で、貴女はたった二人の観客の為に歌ってくれたじゃないか」


 あの日は、屋根もないのに。雨が叩きつけて、まるでベースドラムよりも煩くて自分の涙と雨でぐしょぬれになりながら僕は聴いていた。確かに自分は、酷い目にあってもう生きる事を諦めていた。でも、立った二人の為に笑顔を振りまいて。土砂降りの中で歌う貴女を見て、僕は決めたんだ。


 貴女を支えよう。貴女の歌をもっと自分みたいに絶望している人に届けるんだと。迷惑だったかもしれないけど、僕はそれだけを目標にもう一度生きようとその時決めたんだ。


 それは、私の一番最初の舞台の話だった。彼はあの時の観客だったのか。


 私は、ただ楽しかったから。それでも、確かに彼という一人の人間を動かしたのだと思えば胸が温かくなる。「貴女が、最後だというのなら。今日を最高の日にしましょう」そういって、私の手をとる。


 今日を、最高の日にしましょう……か。


「康彦さんが告白してくれたら、最高の日になるかも……なんてね。私、これしかやってこなかったから恋愛とかしたこともなくて」


 判ったと言って、彼は何処かに行ってしまった。

 彼は怒ったのだろうか、凄い剣幕でドアすら蹴破る勢いだった。



 しばらくしたら、花と指輪を持って。汗だくの康彦さんがそこに居た。

 最高の日にしましょうって言ったのは僕だから、用意出来たのはこれだけだからと息を切らせて。「あの日から、貴女の声が好きでした」そういって、指輪を私につけてくれた。


 後で本物を買いに行きましょうと笑いかけ、私の顔があかくなる。

 飾る事の無かった、私の頭に花を髪飾りみたいに飾ってくれた。


 康彦さんが渡した品物は偽物でも、貴方の気持ちは本物だった。

 私にはそれが、とても嬉しくて。


 それでも、この舞台が最後。

 それでも、二人の物語はここから。




 その日の声は、何処までも響いて。


 あといくつ 二人のページはあるのだろう。

 


 


<おしまい>

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