雛人形は全ての人間に微笑む

北 流亡

花澤瑞希と雛人形について

 頭部を粉砕する。花澤瑞希はそのつもりで腕を振り下ろした。


 全ての力を込めた平手打ちだった。

 細腕から繰り出した一撃は、強かに父親の頬を打ち抜いた。

 相手が雛人形だとしたら、確実に頭が捥げていただろう。もちろん、雛人形相手には、そんなことはしない。


 父親は、頬を押さえてうずくまっていた。呻きが、漏れていた。

 眼下に見る父親は、とても小さく見えた。頭が冷えてくると、人間が頑丈に作られていて良かったと思った。こんな男のために殺人罪を被りたくはない。


「お父さま、雛人形をどこに持って行ったのでしょうか?」


 敢えて、慇懃な言葉使いをした。

 本当は「このクソ親父死ね」くらい言ってやりたいが、我慢した。この男は、瑞希が荒々しい言葉を使うと喜ぶからだ。


 父親が、目線だけを瑞希に向ける。


「雛人形は雛祭りが終わったら片付けるものだろう、年がら年中出しっぱなしにしやがって」


 脇腹を、蹴飛ばしていた。

 血流が、次第に熱くなる。連れて、心の奥底は氷のように冷えていく。


「自分の稼いだ金で買ったものをどうしようが此方の勝手でしょう」

「それを気持ち悪いと思うのも此方の勝手だろう」

「……人形を何処に隠したのですか?」


 父親は口の端を歪めた。


「捨てたよ」


 壺を振り上げていた。そのことに気がついたのは、母親に腕を掴まれてからだ。


「みっちゃん、お人形は屋根裏に隠してあるわ」


 瑞希はすぐさま屋根裏に向かった。

 使わなくなった物が雑多に積まれた最奥に、その箱はあった。

 すぐさま中身を確認する。乱雑に詰められてはいたが、目立った損傷は無いように思えた。

 瑞希は安堵すると、すぐさま自室に雛人形を運んだ。


 瑞希と雛人形の出会いは6歳だった。

 友人宅に遊びに行った際に見た、七段飾りの雛人形。その絢爛な輝きに一目で心を奪われた。

 親にねだった。しかし、突っぱねられた。お前には必要ない。それしか言われなかった。


 それでも、雛人形への憧憬は消えなかった。むしろ、歳を重ねるごとに強くなっていった。


 ようやく購入出来たのは、瑞希が高校3年生の夏を迎えた頃だ。バイト代や今までのこづかいを、全て注ぎ込んで買った。

 友人宅の物に比べると、若干格は落ちるが、煌びやかな七段飾りだ。


 瑞希は組み立てを終えると、すぐさまスケッチブックを取り出した。毎日、一枚スケッチすることを日課としていた。

 今日はお内裏を左上から描いていた。わずか線で、その凛々しさと位の高さが表現されている。

 飽きることは無かった。雛人形は、毎日新しい発見をもたらしてくれた。


 父親は、顔を引き攣らせながらその光景を眺めていた。


「育て方を間違えたのだろうか」


 母親は、小さく息を吐いた。







「良いじゃない、男の子が雛人形に興味を持ったって」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雛人形は全ての人間に微笑む 北 流亡 @gauge71almi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ