”ごめん”ではすみませんか?

渡貫とゐち

上にもっと欲しい話


「――おっと、ごめんな」


 大学生ほどの青年があたしの肩にぶつかってきた。

 運悪く、ヒールが段差に引っ掛かってしまい、強く尻もちをついてしまう。

 女性が倒れたのだから手を差し伸べるべきでしょ……なのに、その男はあたしに手を伸ばすこともせず、挙句の果てには「ごめん」の一言で済ませようとして――――

「ごめんごめん、それじゃ」と離れていく彼の背中に脱いだハイヒールを投げつける。


 さっと、周りにいた通行人たちが離れていった。

 彼が足を止めて振り向く……あたしは悪くないわ!


「……靴は投げるものじゃないだろ……不満があっても、これはない」

「靴飛ばしみたいに蹴った方がよかった?」

「靴は飛ばすものじゃない。履くものだ」


 それはそうだ。

 あたしだって、ハイヒールを彼の背中に投げつけたのはやり過ぎた自覚がある。だけど、間違ってることをしてでも彼に言いたいことがあったのだ。……言わなければいけないこと。


「肩にぶつかって人を転ばせておいて、ごめんで済まないでしょう」

「尻もちをついたのはあんたの…………まあ、それはいいか」


 青年がハイヒールを拾って、寸前で手を止めた。なによ、拾ってくれないの?


「拾いもしないの? 女の扱い方が分からないのかしらね」


「俺が勝手に触ったら嫌がるかなと思ったんです。なにをすればセクハラだと叫ばれるか分からない時代ですからね。困ってそうだからと声をかけたらセクハラ扱いされた、なんてあり得ないわけじゃないですよね。そして、有罪でなくとも冤罪にされかけただけでこっちは人生が終わるんですよ。だから触れない方がいいんです――そういうもんですよ」


「セクハラ扱いしないから拾って、こっちに持ってきて」

「嫌でなければもちろん持っていきますが――」


 青年がハイヒールを拾ってくれた。……っておい、持ち方。汚い雑巾を持つようにつままないで。汚……い、けどさ。配慮ってものがあるでしょ。

 さすがにあたしの足に履かせてくれる王子様ムーブはしてこなかった。それはセクハラなので彼の判断は正解だったわけだ。


 靴を履く。

 タイトスカートを手ではたきながら立ち上がり――、


「転びました、ごめんじゃ済まないんですよ」


「ごめんで済みますよ。ぶつかったのはお互い様ですし、転んだのはあなたの足腰の問題でしょう?」


 肩がぶつかっただけではあたしは転んでいなかった……それは事実。だけどヒールが段差に引っ掛かって転んだのは、あたしの問題にも思えるけど、その原因を作ったのは彼だ。

 ぶつからなければヒールが段差に引っ掛かることもなかったのだから……あなたのせいだ。あたしの一人相撲じゃない!


「ごめんじゃ済まないんです!! せめて、ごめんじゃなくもっと相応しい言葉があるはずでしょう……ッ!」

「すいません……? とかですか」

「そうそれ!」


 さすがに膝をついて頭を下げろとは言わない。勝手に転んだ、という自覚があるからそこまでは要求しないけど、だけどね……さすがに「ごめん」じゃ済ませられない。

 友達だっけ? 違うじゃん。

 赤の他人がお互いの不注意で肩がぶつかった――で、片方が転んだ場合、ごめんじゃなく、言うべきは「すみません」か「申し訳ない」じゃないのかな?

 ごめんじゃないんだよ、ごめんじゃ。


「最低でも『すいません』……その謝罪を要求します!!」

「…………言えません」

「はぁ!?」

「言うべきではないんですよ――だって、謝罪には天井がありますから」


 思わず真上を見てしまった。

 晴天の青空だった。

 とは言え、今のあたしは晴天の霹靂だったけれど。


「天井なんかありません」


「ありますよ。謝罪にはあります。……土下座が最高級の謝罪と呼ばれているのはその上がないからですよね? ありますか? ないでしょう? 罪の大きさで罰則は変わりますけど、謝罪の言葉は段階で言えば三つほどしかないんじゃないですかね…………土下座が最高だとすれば、その下は人によるでしょうけど、申し訳ございません、それからすいません、でしょうか……」


 肩と肩がぶつかった程度であれば、ごめんで済ませられる……と?


「済ませないといけないんです。この程度のことですいませんと言っていたら、ある一定の罪のラインを越えたら全部が同じ言葉になってしまいますよね? だって、今ここですみませんなり申し訳ございませんなり、もしも土下座までしてしまっていたらですよ? じゃあ今後、万引きしようが人を殺そうが頭打ちとなっている土下座をするしかなくなります。肩と肩がぶつかった時の謝罪と、人を殺した時の謝罪が同じなのは、いかがなものでしょう……?」


「…………」


「今回のトラブルを重く捉えている、と解釈もできますが、人を殺しても肩がぶつかった程度でしょ、と相手に思わせてしまいます。それはいけないことだ。だから程度の低いトラブルはできるだけ軽い謝罪で済ませておかないといけないんです。上が作れないなら下をたくさん作るしかありません。今回はごめん、が妥当なのではないですか? これ以下であれば、『めんご』なり『すまん』『すまっせーん』なんて変化させることで対応できます。あなたが要求したすみませんは、もう少し大きなトラブルが起きないと言えませんね」


「……トラブルを並べるとそうだけど、トラブルは一件について真剣に向き合うべきよ。ここですみません、とあなたが言った数時間後に別のトラブルであたしと関わって、同じようにすみませんと言えばあなたの理論もまあ納得はできるけど……。さっきと同じ謝罪ね、と思ってしまうけど、もう関わり合うこともないでしょう? だからこの場ですみませんと謝罪をしてもなんの問題もないわ」


「かもしれません。ですが、数時間後にあなたとトラブルが起こっていない、とも言い切れませんよね? 交通事故で、あなたの家族を殺してしまっているかもしれません……。なのに同じように『すみません』と言えばどうでしょう? あなたは納得しませんよね?」


「身内を殺されたら納得なんてしませんけど」


 なにを言われても。

 土下座されても許してやるものか。

 人殺しなんて、被害者が泣き寝入りするのが当然なんだから。

 法律が許すならあたしが加害者を殺したいくらい。


「とにかく、すみませんと言いなさい! 少なくともごめんで済ませられるものじゃないのよ!!」

「はい、分かりましたよ……ぶつかってしまって、すみません」

「ええ、こちらこそ――」


「歩きスマホ、気を付けてくださいよ?」


「……はぃ、すみませんでした……」




 …おわり

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