【KAC20252】憧れのあのシーンをもう一度

宇部 松清

エリザの憧れ

「……はぁ、素敵」


 読み終えた本をぱたりと閉じ、私は大きく息を吐いた。


「素敵って何が」

 

 私の独り言を拾い上げ、無表情でこちらを見つめているのは、私の婚約者である幼馴染みのアレクサンドル・クローバーだ。彼と私は親が決めた許嫁同士。親が勝手に決めた婚約だけれど、決して私たち自身は仲が悪いなんてことはない。特別仲良しか、って聞かれたら、アレクの方はどう思っているかわからないけど、私としては悪くないと思ってる。


 会ってる時はこの通りの無表情だけど、手紙を欠かさずくれるし、贈り物だって素敵なものばかりだし、遊びに来た時はこうして私が好きな本やお菓子を用意しておもてなしもしてくれる。きっと結婚しても大事にしてくれるだろう。ただ、アレクの方がどう思っているのかはわからないけど。


「これよ、これ」


 椅子から降りて、彼の方へ本を持っていく。私達は大きなテーブルを挟んで向かい合って座っていたのだ。テーブルの上には、お茶とお菓子がある。今日のお菓子は私の大好きなフルーツたっぷりのタルト。


 アレクの隣にある、空いている椅子を引き、ぴったりと彼の隣にくっつけて、そこに座る。そうしてから彼の膝の上に本を乗せ、指を挟んでおいたページを開いた。


「白薔薇令嬢アイリーンが鮮やかに推理をして犯人を追い詰めた後! 逆上してアイリーンに刃を向けた犯人を婚約者のグレイ伯爵が救うの! ここよ、ここ!」

「エリザ、あの、その本なら同じものをいま僕も読んでるから」


 ページを言ってくれれば、とアレクが何やらもそもそ返して来る。


 そうなのだ。

 アレクは私が読んでいる本と同じものを読むのだ。無理に読まなくても良いのよと言ったのだけれど、「君が選ぶ本はどれも面白いから」と。だけど、同じ本を読んでいれば、感想を述べ合うことも出来るし、推理小説だったりすると、犯人は誰だとか、トリックはどうだとか、そういう話も出来て面白い。


 そりゃあちょっとくっつきすぎたとは思うけど、私達、婚約者同士なのではなくて? まぁ、結婚はまだまだ先のことだけれど。だけど、私のお父様とお母様はいつもこういう感じよ? 二人掛けのソファにぴったりくっついてお座りになって、仲良くおしゃべりしてるんだから。


 でも、そうよね。アレクはそういうの、好きじゃないのかも。


「ごめんなさい、そうよね」


 そう言って、本を回収し、椅子を離そうとしたところで。


「そうじゃなくて」

「え?」

「椅子はそのままで、全然」

「そうなの?」

「ただ、出来れば、君の本じゃなくて、僕の方で教えて欲しいんだ。ページと、それから、どのあたりなのかとか」


 それは構わないけど、でも、どうして私の方じゃ駄目なのかしら。そう思いながら、「百二十八ページの、ここよ」とアレクの本を指差す。すると彼は「ルーベルト」と執事長のルーベルトさんを呼んだ。


「は」

「あれを」

「坊ちゃま、どうぞ」

「ありがとう」


 何だ何だ、と見守っていると、アレクはルーベルトさんから、小さな紙片を受け取っているようだった。それをぺたりとページの上部に貼り付けている。


「アレク、それは何?」

「これは、特別に作らせたごく弱い粘着剤が塗布されたメモ用紙なんだ。紙に貼ってもきれいに剥がせる。――ほら」


 そう言って、実際に剥がして見せてくれる。確かに粘着性はあるようだけど、紙を痛めることなく剥がせるようだ。便利だけど、どうしてそんなものを作らせたのかしら。


「でも、どうしてそんなものをここに貼ったの?」

「エリザが好きなシーンなんだろう?」

「そうだけど」

「だから」

「だから?」


 それって答えになっているのかしら。


「エリザは」

「うん?」

「このシーンを読んでどう思った?」

「そうねぇ。なんていうか、愛するアイリーンのピンチに颯爽と現れて、さっと剣を抜くグレイ伯爵のスマートさがとっても素敵だと思ったの。こういうの、憧れちゃう!」

「憧れる?」

「そうよ!」


 やっぱりヒロインのピンチはヒーローがカッコよく助けないと! そんな話で私もすっかりヒートアップしてしまい、そうそう、これの前の巻でもそんなシーンがあったわよね、あれはここまでのピンチってわけではなくて、木の上に登って下りられなくなっちゃった猫ちゃんを助けるって話だったけど――、とぺらぺらと調子よく語り出すのを、アレクはいつもと変わらぬ無表情で、「成る程」とか「そういうのもあるのか」などと言って頷いている。表情こそ変わらないけど、アレクはとても聞き上手なので、ついつい私も話しすぎてしまうのである。




「……ってことがあったな、って思い出したわけ」

「急にどうしたんだ、エリザ」


 時は流れて、現在。クローバー家の『図書室』である。私とアレクが婚約したばかりの頃、彼が読書好きの私のために作ってくれた部屋だ。ここには私とアレクそれぞれの本棚がある。並んでいる本のいくつかは――というかほぼ全部被っている。これは、先述したように同じ本を一緒に読んで感想を述べ合うという目的のためだ。一つの家に同じ本が複数冊あるのは無駄なような気もするけど、でも、買えばそれだけ作家の懐にはお金が入るわけだし、金銭的ゆとりと保管場所があるのなら決して咎められる行為でもないはず。


「アレクって、私に何かあると、すぐに剣を抜くでしょう?」

「君のピンチだ。抜かないわけにはいかない」

「小さい頃に、私が、そういうのに憧れるって言ったのがきっかけだったんじゃないのかな、って」


 ズバリ指摘すると、彼は一瞬困ったように眉を下げ(たように見えたけど幻覚かもしれない)、小さく頷いた。


「君が望むことはすべて叶えたくて」

「いつだったか、ルーベルトさんが木の上で降りられなくて困っていたことがあったわよね、もしかしてアレも?」

「ルーベルトに相談したんだ。でも意図的に猫をそんな危険な場所に置くわけにいかない。そしたら『爺にお任せくだされ』って言って、急に上りだして」

「ルーベルトさん、身体張るわね」

「ただ、あの頃の僕ではルーベルトを抱えて木から降りるのは難しくて、梯子を用意するだけで終わってしまったけど」

「そりゃあそうでしょ。普通に無理よ」

「いまなら出来るんだが」

「それはしなくて良いかな」


 アレクならやりかねないと思ったから、そこは丁重にお断りした。

 

「他にも」

「え?」

「他にも、市場の真ん中で跪き、花束と指輪を渡すのとか(『白薔薇令嬢の煌びやかなる推理』より)」

「うん?」

「崖っぷちに追い詰められたアイリーンが足を滑らせて転落――、というところをグレイ伯爵の投げ縄で危機一髪とか(『白薔薇令嬢の細やかなる推理』より)」

「え、ちょっと」

「犯人の策略により雪山で遭難したアイリーンを、グレイ伯爵が自ら狩った白熊の毛皮を着て救出しに向かうシーンとか(『白薔薇令嬢の凍てつく推理』より)」

「え? えぇ?」

「いつでも再現出来るように用意している。安心してくれ」

「待って! 安心出来ない!」


 まだ花束と指輪は良いけど、投げ縄と自ら狩った白熊の毛皮?! ていうか、私、崖から落ちたり、雪山で遭難するの?!


「そういうのが、好きなんだろう? 君の願いは何だって叶えたいんだ」


 私の手を取り、きゅっと優しく握ってから、祈るように額に当てる。


 その心意気はとても嬉しいけど。


「アレク、そういうのに憧れたのは子どもの時だから! あと、お話の中だけ! お話の中だから良いの、そういうのは!」


「そうなのか? じゃあいまは?」

「い、いま?」

「何か、憧れていることはないのか?」


 しっかりと視線を合わせ、大真面目にそんなことを聞いてくるものだから。


「そうね、強いて言えば――」


 そう前置きすると、彼の黒曜石のような瞳がキラキラと輝いた気がした。もちろん、表情は一ミリも動いてないけど。


「素敵な旦那様とお菓子を楽しみながらゆったり読書するのに憧れちゃうかも」

「叶えよう、いますぐに」


 言うや私の手を引いて、「まずは料理長にお菓子の用意を」と歩き出したところで、ぴたりと立ち止まる。そしてこわごわと私の方を振り向いた。


「……その前に、僕は『素敵な旦那様』に該当するだろうか」


 と弱々しい声で尋ねてくるものだから、


「もちろんよ」


 とその手を握り返した。

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