第2話 勝利

 あれ以来僕はまた兄さんの夢を見るようになった。

 今日は兄さんがパイロットになりたての時の夢。

 自慢げに操縦席の様々な計器を僕に見せてくる兄さん。

 僕はその計器が一体何を示すのかわからない。興味本位で伸ばした手を兄さんが遮る。瞬間、計器を保護するカバーの隙間から僕と兄さんとリンクスが映った写真が出てくる。

 覗こうとする僕を顔を赤らめた兄さんが止める。

 写真はもう一枚あった。砂丘を背景に、リンクスが微笑んでいる写真だった。

 週末になれば必ずフライト訓練に連れていかれる。それは基本として、今日はあまり来たくないところに呼び出されていた。

 ラウ飛行店。僕の家から一番近い老舗。部品から燃料、アクセサリーなんかもそろう飛行機乗り御用達の店だ。まぁ、そろうといっても田舎のそれじゃ品ぞろえは想像にたやすい。

 兄さんが消息を絶ったレース当日。僕はこの店の国営放送のテレビをぼうっと眺めていた。それしかできなかった。僕は、その記憶から逃げるように数年の間この店を避けてきた。

 店の門の前で立ちつくす僕の耳に国営放送の当たらないという評判の天気予報が流れてくる。

 雨季が近づいてきているようだ。水源のない家庭はこの天候を生かすよう大々的に宣伝されていた。

 外はピーカンだってのに。

 扉を開いて中に入る。天井にはファンが回っていた。数年来ないうちにずいぶん近代的になったもんだと少し驚く。

「いらっしゃい。お客様なんになさいます?」

 あたりを見渡していた僕をよそ者だと思ったのだろう。ラウじいさんが上機嫌に声を張る。

「久しぶり。リンクスいる?」

「なんだフロントじゃないか。変わりないみたいだな。リンクスならほれそこに」

 指示された方向にリンクスはいた。カウンターでミントティーを飲みながら古びた雑誌を読み漁っている。

 僕もそれに倣い、ミントティーをラウじいさんに頼んでリンクスの隣へ。

 木造の店内は歩くと小気味いい音がした。

「僕の飛行機に何か取り付けるつもりなの?」

「あぁ……フロント。ちょっとまってて……、今探し物をしていて」

 リンクスはとても忙しそうに雑誌をめくる。読んでいるとは違う。何か特定の記事を探しているように見える。

「フロイトがいなくなった時のこと覚えている?」

「兄さんが……? そりゃ、覚えているけど」

「あった、これ」

突き出されたページにはレース当日の状況と、会場の写真が添えられていて僕も何度も夢で見たことのある光景がそこにはあった。

「遺体は発見されなかった。それどころか捜索もされていない。これがどういう意味か分かる?」

 想像もしない質問に脳が追い付かない。

「……消されたのよ。この国の誰かに。証拠が見つかると言い逃れできないから適当に捜査をしてすぐ打ち切りにしたの。こんなのおかしい」

「知ってる。だから僕はそんな情報は信じないし、いつか兄さんが現れると信じている」

「わざわざ呼び出したのはこれだけじゃない。……フロント。あなたも狙われる。でも、それがチャンスかもしれない。相手の正体がわかるかもしれない」

「パイロットの次は探偵?」

「信じているのは勝手だけど、信じているなら行動しないと。それとも本当はフロイトのことあきらめてるの?」

「そういうわけじゃないけど……」

 雑誌の記事に熱を上げているリンクスの背後に見知った顔が三人。ぞろぞろと談笑をしながら入ってきた。

「おいオヤジ。頼んでおいた例のパーツ、確か今日だったよな?」

 リンクスも背後から聞こえた蛮声で誰なのか分かったのだろう。眉間のしわが深くなる。

「シッ……。あまり声が大きい。頼むからもう少し静かにしてくれ……。裏ルートでなんとか用意はできた。ちゃんと金はあるんだろうな?」

「当たり前だろ? 危ない橋渡らせたんだからぁ。それより早く見せろよ」

 ジンに呼ばれたラウ爺さんが訝し気な表情で奥から何か紙包みを持ってきた。

「……もう学校だけでもうんざりなのに」

 僕の視線の先の異様な光景に感づいたリンクスが後ろを振り返ると、ジンと目が合った。

「リンクス! 奇遇じゃねーか、俺らこれから空を流すんだ! たまには一緒にどうだ?」

「あら残念。今日は先約があるの」

「そんな地べた這うような移動しか知らない高所恐怖症のへっぽこといるより、俺らといたほうが楽しいと思うけど?」

「俺ら? 群れないと自分の意見もまともに通せないガキと一緒にいるよりおとなしいけど興味が尽きない幼馴染と一緒にいたほうが楽しいの」

「リンクス……悪いが俺は隣の臆病者に聞いてるんだ。なぁ、どうだイーギス・フロント君。君はこんな所より木陰でのんびり文字でも追ってたほうが性分にあってる。違うか?」

「……確かにそうかもしれないけど」

「そうかもしれないじゃない。そうなんだ。お前がここにいるということがどれだけ場違いなことかわかるか? お前は兄貴を見殺しにした臆病者だ。飛行機さえ持ってないただの根暗のくせに、いっちょ前にリンクスと話してんじゃねぇ」

「……フロント。じゃあ私たちも帰ろっか? 悪いんだけど送ってってもらえる?」

「送る? こっからフロントんちまで徒歩でどれくらいかかるか知ってるのか? 今から帰ったら日が暮れちまうぞ」

 カンとロンがジンの後ろで笑いだす。

「あら、フロントだって持ってるわよ? 自分の機体」

 三人が目を丸くして口を開けたまま固まってしまった。

「こんな張りぼてみたいな機体で本気で飛ぶ気か? お前、命の大切さってやつをマチルダ先生から教わってねーのかよ」

 ジンの愛機は午後の日差しに焼けるようなオレンジの陽光を反射している。搭乗しながらすでにスタート位置についた僕の機体をまじまじと見る。

 僕だって本当は勝てるとも思ってないよ……。確かにこの間の練習では何とか一人で飛べたものの、高度を保つのが精いっぱいで周りを見る余裕なんて全然なかった。

「フロント。いつものようにやればなんも問題ないから頑張って」リンクスは僕に向かって微笑んでくれているけど、目が怖い。

 神様がいるのなら、どうしてこういう仕打ちをしてくるのか。僕は天を仰いで、自らを哀れんだ。

「ルールは公式と同じ。私が描いたラインから一斉に加速する。で、あのサボテンがゴール。カンタンでしょ?」

「なんでもいいから始めるぞ。おい、フロント。いつまで空なんて見てるんだ。願ったって雨は降らいないし、降ったところでもうこの勝負からは下りられねぇぞ」

 そういえば外れると噂の国営放送の天気予報が今日から雨季に入るとか言ってた。

 潔く負けよう。僕は備え付けのヘルメットと防塵眼鏡をかける。

 砂埃が舞う中、二機の数十メートル先でリンクスが手信号を送る。

 手を水平に保ち『待て』の合図。

 僕はレバーを握り、ため息をつく。

 手を頭上にあげて『用意』の合図。

 改めて正面を見据えてリンクスを見る。

 勢いよく下げた手が『飛べ』と叫んでていた。

 その間リンクスはずっと僕を見ていた。勝っても負けてもいい。飛べと目が訴えていた。

 僕は、いつもより少し乱暴にレバーを引いた。やけくそになったわけじゃない。なんだかそういう気分に駆られただけだ。

「待ってて。すぐ戻る」

 機体は加速し、後方部が揚力で押しあがる。そして宙に浮いたように軽くなる。

 リンクスを飛び越えて、どんどん太陽へと近づいていく。

「言い忘れてたけど、お互いの機体には通信が取れるように無線つないどいたから」

 もう小さくなってしまったリンクスが、何かを口元に当てている。

「いったいどういう冗談だ? 俺と根性なしが楽しく会話するとでも思ったのか?」

「フロントの今後のためよ。別にいいでしょ? 会話くらい」

 リンクスはあぁ言うけど、僕は正直……。

「まぁいいさ。そういうことなら根性なしのフライトに根性を入れてやるとしようか」

「ジン! どういうつもり!?」

「フロントの今後のためだろ? 俺も協力してやるよ!」

 リンクスが血相を変えたような声色で何かに恐れているようなことをいったと思えば、

「フロント! 旋回して! 撃たれる!!」

 せ、旋回って言われても……!! ってか撃たれるって何!?

 状況がつかめないまま、無我夢中で操縦桿を折ると操縦席から覗くキャノピーの向こうで何かが回転しているのが見えた。反射する太陽光で何かまでは見えなかったけど、次の瞬間で僕があまりいい状況にないことを悟った。

「心配すんなよ。操縦席にだけは当てないように狙ってやる」

 回転していたのはおそらく銃の類。ペイント弾だったのが不幸中の幸いか。

「ちょっと卑怯よ! フロントの機体には何も装備はないのよ!?」

「勝負事は争いごとだろ? 戦争に卑怯も正義もないんだよ」

 会話の間にも放たれるいくつもの弾幕を躱すのがやっとで、ゴールのことなんて眼中にない!

「……フロント。お願い。勝って。そんな奴にでも正々堂々と勝つのがフロイトだったはずよ」

 僕の中で、兄さんの言葉がフラッシュバックする。


 ──俺は信じている。お前にはできるって。


 記憶の中の兄さんは白い歯を見せて笑っていた。

 相変わらず僕を後ろから狙うことに執着しているジンを確認すると、僕はある方向へと向かって上昇する。

「ついに正気を失ったか? そっちはゴールどころか地上ですらないぞ」

 皮肉な笑いが無線から聞こえる。

「ここまでついてきてくれてありがとう」

 僕はそのまま操縦桿を右へ。あとはこの砂の街の象徴がジンを打ち負かすだろう。

「うわっ! フロント! お前ぇっ!!」

「僕を追っかけることだけに執着して、太陽を見失うなんて僕よりフライト歴が長い人だとは思えないよ。ジンなら大丈夫、下手な着陸しないでしょ」

 僕の機体は、旋回してゴールへと突き刺さるように下降していく。

 砂風が舞う何もない砂漠で、僕は人生で初めて誰かに勝った。

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