同じ屋根の舌

こーの新

第一話 隣の大学生くんの話


 仕事終わり。最寄り駅で電車を降りる。街頭の下をわくわくしながら歩く。閑静な住宅街に入って、さらに歩く。見えてきた安アパート。駅から遠く、スーパーもコンビニも遠い。築年数は四十年。駐車場はない。広い押入れと風呂トイレ別なところは好き。


 アパートの二階。二〇五号室が私の部屋。鍵を開けて、暗い部屋に荷物を置いたらスマホの明かりを頼りに部屋着に着替える。お風呂は、ご飯の後。


 部屋を出て、隣の二〇四号室のインターホンを鳴らす。ガチャリとドアが開くとボンパドールのつり目の青年。



「ただいま、かけるくん」


「おかえりなさい、美穂みほさん」



 引き結ばれた口元が小さく緩む。小さな瞳、ツンツンと外はねしている髪。ちょっとやんちゃに見えないこともない。



「今日のご飯はなぁに?」


「今日はハンバーグと高野豆腐の卵とじ。あとは玉ねぎスープです」


「おお、いいねぇ」



 ケチャップソースの良い匂い。翔くんのハンバーグはいつもこれ。肉汁にケチャップと醤油を混ぜたような味。家庭的で、お店のデミグラスソースより安心する。


 キッチンの奥には私の部屋と同じ、八畳の部屋。ワンルームのコンパクトさが心地良い。ちなみに間取りは私の部屋と同じ。勝手知ったる翔くんの部屋、ということで靴を脱いで上がり込もう、としたんだけど。



「美穂さん、忘れてますね?」



 翔くんが目の前に立ち塞がった。目を細めて口角を持ち上げるわざとらしい笑顔が探られているようで怖い。



「な、何を……」


「家に帰ったら?」


「て、手洗い、うがいです……」



 思わず敬語になってしまう。肩をすくめて、翔くんに促されるようにキッチンの流しに立つ。翔くんに見守られながら手を濡らしてハンドソープを出す。ちゃちゃっと洗って。



「しっかり洗ってください。手頸とか、爪の間とか」


「は、はぁい」



 言われるがままに丁寧に手を洗う。毎日のことなのに、長年の癖なのか忘れるし、洗い方も適当。週の半分は翔くんに注意される。翔くんも私はできないものだと諦めているようで、しっかり管理してくれる。


 手洗いを済ませると翔くんがローテーブルの方を指し示してくれるから、すごすごと自分の座布団に座る。前は翔くんの座布団を借りていたけれど、毎日お邪魔するようになってから、自分の座布団を持ち込んだ。翔くんを床に座らせるわけにはいかないから。


 翔くんはご飯やハンバーグを盛り付けると、運んでくれる。ここまで至れり尽くせりだけど、翔くんと私は血縁関係でもなんでもない。ただのお隣さん。



「ありがとう」


「いえ。美穂さんに任せると皿が割れますから」



 翔くんは口角を大きく持ち上げる。だから怖いって。



「そりゃ、不器用だけどさぁ……」



 実際、翔くんのお手伝いをしなければと気負っていたとき、この部屋にお邪魔し始めたときにはお手伝いをしていた。そして、三枚お皿を割って翔くんからお手伝いを禁止にされてしまった。


 去年のことを思い出して遠い目をしていると、翔くんはふっ、と息を吐く音を漏らした。顔を向けると口角が小さく持ち上がっている。



「冗談です。すみません。美穂さんはお仕事頑張ってるんですから、休んでください」


「いやいや、翔くんだって大学行って、スーパーのバイトして、私のお世話してるでしょ?」


「最近は美穂さんからお小遣いもらってますから。その分は働きますよ」



 翔くんはそう言いながら配膳を完了させる。ほかほかのご飯とこんがり焼き目のついたハンバーグ、キャベツと高野豆腐の卵とじ。とろとろのあめ色玉ねぎのみじん切りとカリカリの薄切りベーコンが浮かぶコンソメスープ。


 どれも白い湯気を纏っている。そして香りが優しすぎる。家庭の食卓らしい温かな香りが疲れた身体を癒してくれる。


 緑の箸を受け取って、二人で向かい合って手を合わせる。



「いただきます」



 早速メインのハンバーグから。箸を入れるとじゅわっと肉汁が溢れ出す。ケチャップソースをたっぷり纏わせたらご飯の上でツーバウンド。


 お肉と玉ねぎの甘みが目を見開くほど溢れ出る。ケチャップと少し焦げた肉の旨味が甘みを包み込むと、ほんの少し大人の味になる。


 その隙にご飯を一口。ご飯の甘みがプラスされると、お肉の甘みと絡まって口の中が幸せになる。



「お、美味しいっ」


「それは良かったです」



 翔くんは口角を少し持ち上げる。そして翔くんもハンバーグをご飯に載せて一気にかきこむ。大きな口を開けて食べる人って、見ていて清々しい。



「悪くない」


「ふふ、最高だよ」


「そ、そうですか?」



 照れたらしい。もごもごしながら何か言っているけれど、声が小さくて聞き取れない。頬が赤くなっていて、思春期だなぁ、なんて思う。


 そんな姿を見ながらコンソメスープを啜る。玉ねぎの甘みたっぷりのスープ。こっちはコンソメのお野菜の甘みが身に染みる。同じ玉ねぎなのに、合わせ方や調理方法でこんなにも変わるなんて。翔くんに出会うまでは知らなかったことだ。



「いつもありがとね」



 私が言うと、翔くんは黙って頷いた。照れている上に、ハンバーグを詰め込み過ぎたらしい。ハムスターのように膨らんだ頬。ちょっと笑った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る