第18話 Internet idol
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【むすチャン!】NetMusume Channel
『定期配信!せいあ×まりあ』
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──配信開始と同時に、画面の向こうには、いつものように無数のコメントが流れ始める。
『まりあちゃん、今日も配信ありがとう!』
『せいあちゃんとのペア配信、楽しみ!』
『まりあ、せいあのツッコミがないとフワフワしすぎw』
「うん……」
愛坂まりあは、何をするでもなく画面を見つめていた。
今日は二人で担当する定期配信だった。いつもならコメントに答えながら、穏やかなやりとりをするはずなのに、なぜかうまく言葉が出てこない。
「まりあさん、静かですね」
せいあが、画面に目を向けながらそっと問いかける。
「……そう?」
「配信中ですよ。少しはお話ししましょう?」
『確かにw』『コメントを見るまりあを見る配信w』『なにそれ?斬新』
せいあの穏やかな言葉に、まりあは曖昧に頷いた。
普段と同じように、普通に配信しているつもりだった。けれど、画面のコメントを追うほどに、胸の奥に言いようのないものが生まれていく。
──この感覚は何だろう?
まりあは目を細め、小さく息を吐く。
ファンの言葉はいつもと変わらない。それなのに、今日はどうしてもそれに応える言葉が浮かばない。
自分でも気づかないほど小さく、眉が寄っていた。
『まりあちゃんと出会えてよかった』
ふと、視線が止まった。
画面をスクロールする指先が止まる。
(……出会えて、よかった?)
「まりあさん?」
せいあが不安そうに視線を向ける。
「どうかしました?」
「……ううん、なんでもないよ」
まりあは首を振った。けれど、胸の奥のつかえはそのままだ。
それどころか、その小さなコメントが胸の内側に深く入り込み、じわりと広がっていくような感覚がした。
次の瞬間、似たような言葉が画面に次々と流れ始める。
『私も! まりあちゃんを見つけられてよかった!』
『ずっと応援してるよ!』
『まりあの配信が楽しみで仕方ない!』
まりあは視線を画面に固定したまま、小さく息を飲んだ。
──みんな、私のことを見ている。
今までも、ずっとこうだったはずなのに、なぜだか今日だけは違って見える。
(私がここにいることが、そんなに意味のあることだったの?)
まりあは一度もそんなことを考えたことはなかった。ただ、「ここにいる」だけだった。
アイドルとしてステージに立つのも、配信で話すのも特別な意味があるとは考えていなかった。
でも、画面に映るコメントは、その考えを静かに揺さぶっていた。
「……不思議だなー」
まりあがぽつりと呟く。
「何がです?」
せいあが静かに視線を送る。
「私、特別なことをしてるわけじゃないのに」
言葉にした瞬間、胸の奥に微かな痛みが走る。
──でも、それでも。
「……見てくれてるんだね」
画面のコメントは、まだ静かに流れ続けていた。
──これまでのことを思い出す。
デビュー前、まだ「インターネット娘」という名前すら誰も知らなかった頃。
何度もVRレッスンを繰り返し、何も分からないままステージに立っていた。
「まりあ、ちょっとタイミングずれてるよ」
「うん……ごめん」
そんな指摘を受けても、自分がどこを見て、誰のために歌っているのか分からなかった。
──デビューしてから、ファンに名前を覚えてもらうために始めた宣伝配信も、最初は何を話せばいいのか分からなかった。
でも、その一つひとつが、気づけばまりあを「ここ」に連れてきていた。
──ただ、私はずっと「ここにいるだけ」だと思っていた。
でも、それは違ったのかもしれない。
本当は、ずっと見つけてもらっていたのだ。
ふいに、視線が再びコメントに戻る。
『まりあちゃんがいるから、頑張れるんだ!』
「……え?」
「まりあさん……?」
せいあの声が聞こえる。でも、まりあの意識はもうそこにはなかった。
『え?まりあ、泣いてる?』
「……?」
まりあは、目を瞬かせた。
『どうしたの?』
もうひとつ。
「え……」
まりあの手が、無意識に画面の上をなぞった。
『お?』
『どした?』
『なんかあった?』
「……っ」
次の瞬間、コメントの数が膨れ上がった。
『ええ!?』
『平気?』
『うそ、え?』
『ちょちょちょ、誰だ泣かしたの!?』
まりあは、思わず息を呑んだ。
指先を止めたまま、画面を見つめる。
どんどんコメントが増えていく。
『なんで?』
『なんか泣く内容あったか?』
『やばいやばいやばい』
止まらない。
『取り敢えずお前ら全員謝れ、謝ろ!』『泣かないで?』
『まあ、そういう時もあるか……』『え?泣いてる?』『まりあ!?どうした?』『なになになに!?』………
ウィンドウの中の文字が濁流のように、物凄い勢いで流れていく。
まりあはコメントを追おうとしたが、目の前がぼやけて文字がうまく見えない。
ただ、そのひとつひとつの言葉に熱が宿り、自分の胸に入り込んでくるのだけを感じた。
「……っ」
『ちょっと!マジで泣かせたの誰だ!?』
『お前ら謝れ、全員で謝ろう!!』
『させん!さーせん!!』
胸が締めつけられ、息が浅くなる。
「どうしたんですか?」
せいあが心配そうな顔でまりあを見つめる。
せいあにも何が起きたか分からず、戸惑いの色が見える。
──どうしよう。
まりあは息を整えようとしたが、呼吸が思うようにできない。
その間にもコメントは流れ続け、自分に向けられる感情の渦に飲み込まれそうになる。
『分かんないけど大丈夫、大丈夫だから!』落ち着いて、ちゃんと聞くから』『ゆっくりでいいよ、気にすんな!』
(どうしてみんな、そんなに優しいの?)
まりあの指先が震える。胸の奥が痛いほど熱い。
涙は止まることなく流れ落ち、頬を伝っていく。
自分が泣いている理由すらわからない。
ただ、目の前のコメントのすべてが、まりあに向けられていることだけははっきりしていた。
(こんなにも、私を見ていてくれたんだ……)
画面に手を伸ばしかけ、指が止まった。
言葉を発しようとしても、うまく喉から出てこない。
せいあは何か察したのか、まりあとコメントを優しい眼差しで見守り続けている。
「……っ」
喉が詰まる。声が出せない。
でもコメントはまりあに向かって流れ続ける。見えなくても伝わる感情の波が、彼女を包み込んでいた。
『無理しないで』『泣きたくなる時あるよね』『大丈夫、俺らがそばにいるから』
(そばにいる……?)
涙が止まらなかった。
声にならない感情が、喉の奥から小さくこぼれ落ちる。
「……ありがとう」
それは、自分でも意識せずに出た言葉だった。
けれど、その一言が唇から漏れた瞬間、まりあの中で何かが鮮やかに溶け出したように感じた。
『えっ!?ありがとう?』『待って、それ俺らが言うやつ!!』『あ、こちらこそ、ありがとうございます』
まりあの瞳が大きく揺れた。
一言口にしただけで、胸がさらに熱くなり、涙が一層溢れ出す。
『やばいって……俺も泣くって』『どうした、どうした?ゆっくりでいいから話してごらん』
どうした?という疑問には答えられなかった。
ただ、この涙が今まで気づかないうちに心に溜め込んできたものだということだけが、ぼんやりとわかってきた。
──自分は、ただここにいるだけだと思っていた。
でも、本当は違った。
彼女が自覚しなくても、ファンはずっとまりあの存在を感じ、応えてきてくれていた。
その事実が初めて胸に響き、彼女の涙腺をさらに刺激する。
「見つけてくれて、ありがとう」
その言葉を口にした瞬間、まりあの心に鮮烈な感情が流れ込んだ。
自分でも驚くほど、はっきりとした感情だった。
『いや、だからこっちこそありがとうだよ!』『ずっと見てるから!』『生まれ変わってもまた見つけますよ……』
まりあはぼやける視界をぬぐうように、再びそっと頬に触れた。
自分の手がまだ震えているのを感じる。
今まで感じていた胸のつかえのようなものは、もう消えていた。
代わりに、柔らかな温かさが胸いっぱいに広がっている。
「……もっとがんばるね」
自然と出たその言葉に、コメントが一斉に返ってくる。
『大丈夫、頑張らなくても大丈夫』
『無理しないで、まりあらしくいてくれればいいから』
『ずっと応援してるよ』
胸の奥が、再びぎゅっと締めつけられた。
苦しさではなく、今まで知らなかった温かさだった。
まりあは静かに涙を流し続けながら、ただ目の前のコメントを受け止めていた。
そこに込められた、無数の感情を──。
「……まりあさん」
せいあが、静かな声でそっと名前を呼んだ。
まりあはゆっくりと視線を上げ、涙に濡れた瞳で彼女を見つめ返した。
「何か気づいたんですか?」
せいあの言葉は優しく、問いかけというよりも確認のようだった。
まりあはすぐには言葉が出せなかったが、その表情がすべてを語っていた。
──私は、ずっと気づかなかった。
自分がここにいることが、誰かにとって意味を持つということを。
『まりあがいてくれるから、今日もがんばれる』
『ここにいてくれるだけで嬉しいんだよ』
画面に流れるコメントの波は、途切れることなく彼女に語りかけ続ける。
──「アイドル」というものが、よくわからなかった。
ステージに立って、歌って踊って、配信でおしゃべりすること。
ファンと触れ合うこと。それがなぜ特別なのか、自分にはずっと理解できていなかった。
けれど、今日、その理由が分かった。
──みんなが私を「見つけて」くれたからだ。
まりあは、自分の胸に広がる熱を確かめるように小さく息を吐いた。
涙は止まりかけていたが、まだ頬には熱が残っていた。
「……私は」
声が小さく震える。
「私は、みんなに出会えてよかったよ」
その言葉とともに、まりあは静かに微笑んだ。
涙に濡れた頬の感覚とともに、胸の奥にあった不安や違和感はゆっくりと溶けていくようだった。
『こっちこそ出会えてよかったよ』
『こんなに幸せになれると思わなかった』
『ありがとう、まりあ……ありがとう』
コメントの一つひとつが、まりあの心に染み込んでいく。
見えなかったものが、今は鮮やかに見える気がした。
──みんながいてくれたから、私がここにいる意味があったんだ。
「……私は」
まりあは再び、小さく言葉をこぼす。
「みんなに出会えてよかったよ。本当に……ありがとう」
せいあが、そっと優しく微笑む。
その表情が、まりあの言葉を静かに肯定してくれているように見えた。
『まりあちゃん、本当にありがとう』
『ずっとここにいてください』
『推しが尊すぎてやばいんだが』
視線を画面に戻すと、コメントが一段と輝いて見えた。
文字ひとつひとつが、まるで彼女に直接触れてくるような感覚だった。
──ああ、そうか。
まりあの心に、穏やかな理解が満ちていく。
私は「ただここにいるだけ」ではなかった。
みんなに見つけてもらって、初めて意味が生まれた。
「……ここにいて、いいんだね」
そう呟いた瞬間、まりあの視界が再びぼやけた。
それでも、今度は涙をこらえて、静かな微笑みを浮かべることができた。
「気づけて、よかったですね」
せいあの優しい声に、まりあは小さく頷いた。
もう一度視線を画面に向けると、コメントはまだ続いている。言葉にできない感情が、胸を満たしていた。
──もう、自分が何をすべきかわからない、なんて言わない。
今、目の前にいる人たちが教えてくれた。
私は、ここにいていいのだと。
私は──
「……私、これからもここにいるね」
まりあの声は、穏やかで、しかしどこか決意に満ちていた。
──私は、アイドルだ。
画面の向こうには、自分を必要としているたくさんの人がいる。
だからこそ、私は「ここにいる」ことを選ぶのだ。
それが、自分にできることだから。
画面越しに、無数のファンの姿を想像した。
涙をこぼし、画面越しにまりあを見つめてくれている、無数の人たちのことを。
胸が温かくなった。
「私は、アイドルだから」
まりあの口から、その言葉がはっきりとこぼれた。
それはまるで、自分自身への誓いのようだった。
せいあが、穏やかにまりあに視線を向ける。
まりあは照れくさそうに微笑んで、小さく手を振った。
「これからも、よろしくね」
画面に向けられたその言葉に、コメントが再び爆発的に流れ出す。
まりあは、その様子を見つめながら、小さく息を吐いた。
「で?まりあさん、この空気どうしてくれるんですか?」
せいあが、わずかに悪戯っぽく微笑んで口を開いた。
まりあは照れくさそうに頬を染め、せいあを見て苦笑した。
「えー?ごめん、せいあ……」
画面の向こうには、無数の感情があふれている。
それは、まりあが「ここにいる」ことを証明している光だった。
──この想いが、どこかの誰かに届きますように。
まりあは、胸の奥でそっと祈った。
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