第12話(裏)
篠山弁護士の話を聞きながら、怜と静は密かにアイコンタクトを交わしていた。
それにより、片割れも自分と同じことを思っていると確認し合う。
それは、期待していたほどの収穫はない、ということだ。
もとより、あの占い師——三森千秋の人生や背景に意味はなく、また双子も興味を持っていない。
いま重要なのは、曽祖父のロンが何を求めているのか、ということだ。
祖父のフェイは「オークを落とせ」と再三に渡って訴えていた。だが、双子はその願いが何を意味しているのかがわからない。オークが木材のことにせよ樹木のことにせよ、それをどうこうすることが、事態の解決になるとは思えないのだ。とはいえ、祖父が無関係なことを伝えてくるとも考えられない。結果、いま出せる結論は“情報が足りない”ということのみだった。
母の成れの果てであるルサールカもどきをどうするか。
この世に呼び戻されてしまったロンをどうするか。
ロンの入れ物になってしまった司をどう救うか。
ロンの願いとルサールカに関係があるのか、ないのか。そこがまず分からないのだ。もちろん、三森千秋の半生に、その答えがあるわけもない。
幸福とは言い難い人生だったことはわかる。心に大きな穴が空いていたことも容易に想像がつく。その穴を埋める方法を探して、探して、結局間違えた。導いてくれる者がいなかったからだとするならば、それは確かに悲劇なのだ。
しかし、同時に罪でもある。
自分は弱いから仕方がないのだと、力強く宣言する矛盾。弱さに甘えて努力を放棄することは、怠惰だ。
そして、怠惰は罪だ。
少なくとも、双子はそう思っている。
だからこそ、母との訣別を選んだのだ。
篠山の話を聞き、推理に耳を傾け、至った結論は「収穫なし」だ。篠山は、三森義樹の居場所を知っているというが、彼に関して、双子は何も思うところがない。
ただ、アリアは別だろう、ということも双子は理解している。既に自分達の用事は終わったのだから、決断は彼女に任せようと静観していた。
扉が開く音がしたから、双子も同時に振り向いた。そこに立っていた女性は、白いパンツスーツと、黒のパンプスを身につけていた。その手には買い物袋が提げられていて、買い出しから帰ってきたのだろう、とわかる。
その女性は驚いた顔でアリアを見ていた。見れば、アリアもまた目を見開き、女性の方を見ている。お互いに硬直していた。
先に動いたのはアリアの方だ。ソファーから立ち上がり、スーツの女性の前まで行ったアリアは、「すいませんでした」と深々と頭を下げた。
「先日は、大変お騒がせしました。その、私、ずいぶん混乱していたみたいで……でも、私が悪いんです。本当に、すいませんでした」
「いえ、私は何も気にしておりません。頭を上げてください。お体はもう大丈夫なんですか?」
「はい。ご迷惑をおかけしました」
知り合いか? と、双子はお互いに目を見合わせる。アリアとスーツの女性——松井は会話を続けていた。会話と言っても、アリアが一方的に恐縮し、松井が宥めているだけのようだ。
知り合い同士の話に割って入る訳にもいかない。何か場繋ぎの雑談でもするかと、篠山の方に視線を戻した。
「彼女は、こちらの職員ですか?」
「はい。うちの事務員です。渡貫さんを紹介してくれたのが彼女なんです」
「ほう。連絡を取ったこともあるようですし、お友達なんですかね?」
「そういうわけではなさそうですが……」
「先生、お話の途中で失礼します」
松井がコツコツと明瞭な足音を鳴らし、篠山の横に立った。
「三森の居場所を知っている、というのは本当でしょうか?」
「ん? ああ……」
篠山はアリアの方を見た。彼女はまだ玄関近くで所在なさげに立っており、気まずそうに目を伏せている。責められた、と感じているのだろうことは容易にわかった。
「教えていただけませんでしょうか。渡貫さんではなく、私に」
「君に? いや、しかしなぁ……」
「お願いします。私も、彼にはいろいろ言いたいことがあるんです」
「うーん……」
松井と篠山の会話に、双子は同時に首を傾げた。松井は、アリアだけではなく、三森とも知り合いなのか。だが、雇い主の甥、というだけにしては、いささか感情的になりすぎている。そのことに疑問に思い、怜が後ろを振り返り、アリアに向かって手招きした。おずおずと歩み寄ってきたアリアに小声で尋ねる。
「あの女性、何者かご存知ですか?」
「え、っと…………三森さんの、元奥さん、だと……」
「……あー。それで、か」
本当に出来すぎた巡り合わせだ。ただ、三森に苦しめられた彼女を、姻族である篠山が掬い上げたとすれば、必然でもある。必然と運命の違いはなんだろう、と考えて、怜は一人苦笑した。
その瞳には、篠山と、松井の姿が映っている。そして、二人の間——否、松井の後ろに蠢く影をも、しっかりと捉えていた。
ゆらゆらと揺れるそれは、陽炎のように不確かで、けれど確実に存在を主張している。
ひとりではない。ふたりいる。ひとりは女性、ひとりは男性。松井と強い繋がりがあるのが見てとれる。
両親だろう、と、怜は思った。
ゆらめいているのは弱々しさ故ではない。己の姿を失うほど、何かに怒っているのだ。そして、それは松井にも影響している。もしかしたら、ハウリングのような状態になっているのかもしれない。
「お願いします、教えてください! 三森はどうしても許せないんです。あいつは、この期に及んで、私にお金の無心をしてきたんです。……もうお前の言いなりにはならないと、直接会って言ってやりたいんです!」
「松井さん、一度落ち着きましょう。お客様の前ですよ」
「先生、お願いします!」
松井は怒っている。アリアは恐怖している。
篠山は、アリアの方をちらと見た。そこで彼女が怖がっていることに気づいたのだろう。
「……わかりました。ただし、私も一緒に行きます。それでいいですね」
「ありがとうございます!」
篠山は、事態を収めることを優先した。
松井は喜色を浮かべたままアリアの方を見た。
「渡貫さん、一緒に来ますか?」
「えっと、わたし、私は……」
アリアの視線は左右に揺れ、怜とも目が合った。縋るようなその視線に、しかし怜が応えることはない。ここで答えを示せば、アリアはまた依存先を見つけてしまうことを、怜は知っているからだ。
答えがもらえないことを察したのか、アリアは一度まぶたをぎゅっとつぶり、開いた。
「私も、行きます」
——あーあ。
そう言いたい気分で、怜は片割れの方を見た。
静もまた、同じ表情だった。
三森義樹を刺した犯人として、松井智子という女性が逮捕されたニュースが流れたのは、その翌朝のことだった。
*
怜は、古い記憶を呼び起こした。
記憶の中に残っている風景、におい、音。異国に来てなお、それらは、どれも忌々しいほどに懐かしい。
ギイギイと軋む音を立てるのは、古びて毛羽だったロープと、今にも割れそうにひび割れた木の板だ。双子が幼い頃、祖父が庭の片隅にこしらえたブランコである。
そこはイングランドの片田舎で、周りにはいくつか民家が点在している以外は、野原が広がっているだけの地域だ。のどかではあるが、子どもにとっては少々物足りない土地でもある。近所に同年代の子どももいなかったから、双子はお互いだけが遊び相手だった。毎日野原で鬼ごっこをしたり、家でかくれんぼをしたり、時には花や枝で工作をしたり。子どもは遊びの天才、という言葉に違わず、現代らしい娯楽が少ない環境でも、幼い双子は楽しく、時に喧嘩しながら過ごしていた。
その中でも、ブランコは一等のお気に入りだった。
遊ぶために家を飛び出した後、真っ先に駆け寄るのはブランコだったし、スクールから帰ってきた時も、玄関よりブランコの方へ走ることが多かった。
ブランコが取り付けられていたのは、成人男性の胴よりも太い大木だ。双子は、大きくなってから、その木が樹齢百年を超えるエルムの古木だと知った。北欧神話では、最初の女はエルムの木から作られたと言われている。イングランドにおいても特別な樹木であり、古くはこの木の下で裁判が行われたともされる。かつて、イングランドではエルムを枯らす伝染病が流行り、大半は枯れてしまった。双子が知っている古木は、その生き残りということだ。
大人になった怜が今、記憶にあるその雄大な姿に思うのは、郷愁にも似た感慨だ。
あのエルムは、曽祖父——ロンを知っているのだ、と。
夢現にも似た心地の中で、怜はゆっくり瞼を開いた。
テレビにはニュース番組が映っており、左下には東京のテレビ局の名前が表示されていた。
「あの松井って人、やっちゃったみたいだねぇ」
「まあ、あんなのを二つもつけてたらねぇ。自分の怒りと両親の怒り、合わせて三人分のパワーだ。そりゃあ、我慢なんかきかないだろうさ」
「あの両親も皮肉なもんだね。娘のための怒りが、娘を犯罪者にしてしまったなんて」
「しょうがいないさ。親なんだから」
「しょうがないかなぁ。……ねえ、ところで、父さんからメールの返事きた?」
「まだだよ。まあ、あの人、スマホ持ってないからね。パソコンつけてくれないと」
「全く、今どきスマホも持たないなんて。それで仕事できてるのかなぁ」
「小さな農家で半分自給自足みたいなもんだし、パソコンがあるからギリセーフなんだろうね」
静の言葉に「そんなもんか」と返して、怜はうんと伸びをした。二人が黙ると、時計のカチコチという音が実際以上に大きくリビングに響く。時刻は夜の八時を示していた。
篠山弁護士事務所に行ったのは昨日のことである。今日も、幸い事態に動きはなかった。昼間、タレントとしての本来の仕事の傍ら、イングランドで暮らす父に送ったメールの返信はまだ来ていない。
タレントの仕事もロンの騒ぎでかなり増えた。マネージャーによれば、テレビからもオファーが来たという話だ。
トレンドに乗れたのはいいが、どんな出来事にも一長一短はあるものだ。売れれば嬉しいし、ネットも盛り上がり、ロンの考察がいくつも上がっている。中には、双子に読んでほしいと事務所に考察を書き連ねた手紙を送ってくる者もいた。正義を盲信したが故の炎上とはまた違う、探求欲を募らせるネット特有の熱。一種の集団心理とも呼ぶべきその火は、松明のようにあちらこちらに灯っていた。
それをいい面とするのなら、悪い面はとにかく時間が足りないという点だ。取材だけでもそれなりに時間をとられるだけでなく、ネット上の考察について意見を求められるから、掲示板にもある程度目を通す必要があった。移動時間は、ネットの閲覧に費やすだけで終わってしまった。
結果、一日通して手が離せなくなり、父にメールを一通送るのが精一杯だったのだ。
夕食のレトルトカレーを食べながら、静は何度もスマホを確認している。カレー特有のピリピリを味わいつつ、怜は父のことを思い出した。
海外で生まれた子どもは、成人するまでは親の国籍と、生まれた国の国籍の二つを持つ。日本人の父を持ち、イングランドの片田舎で生まれた双子もまた、日本と英国、二つの国籍を持っていた。そして、成人した双子は、日本国籍を選んだ。同時にそれまで暮らしていたイングランドの家を離れ、祖母と共に日本へと移り住んだ。
代わりに、父はイングランドに残った。祖父が残した家と、小さな畑と、曽祖父や祖父、そして母の遺体が入っている墓を守るためだ。
その離別が五年前の話だ。それ以来、双子は父とは会っていない。数ヶ月に一度、生存報告をメールで交わすくらいだ。そのメールですら、中身は簡素なものである。『こちらは元気です。そちらもお元気で』が、お互いの定型分であり、それ以上のやりとりはない。現代ならばリモート通信という手段もあるのだが、使ったことがない。
仲が悪いのかといえば、双子はそうではないと答える。だが、父親のことが嫌いかと問われれば、その答えは「どちらかといえばイエス」だ。
父親は、変わっていく妻——双子の母を止められなかったことを、今なお悔いている。今でも彼女を大事に思っており、だからこそ故郷から遠く離れた土地で一人、墓守として世捨て人のように生きている。それでいて、母と複雑なわだかまりがある双子に対しても「親」として振る舞い、かつそう扱われることを望んでいるのが見て取れる人間。
優しいのではない。厳しくなれないだけだ。妻に対しても、子どもに対しても、憎まれ役になるだけの勇気がないのだろうと、怜は思っている。
彼もまた、母の成れの果てを二度見ている。さらに、五年前、移住までもう少し、という時期に起きた事件では、双子は本当に死の淵を見た。それは紛れもない、母のせいでもたらされた災厄である。人であることを完全に捨て去った妻と、その妻に殺されかけたも同然の我が子たち。それらを目の当たりにしてなお、彼は、夫であることも父であることも捨てられず、どちらも選べなかった。
だから代わりに、双子の方が、今のこの距離感を選んだのだ。
「……あ」
静が声を上げて、スマホを手に取る。怜も食事の手を止めた。
「静、来た? 父さんから」
「ああ。待ちくたびれたよ」
*
『件名 Re:ブラウニーは元気?
近くの大きな農場の主人に頼んで、調べてもらいました。彼が取引している食品メーカー社の中に、日本に支社を持っている企業がありました。オーガニックを売りにしている企業で、小麦やハーブなどの自然食品を売りにしているそうです。そこで須藤善司という人が働いていたけれど、無断欠勤が続いたせいで、現在は解雇処分になったとのことです。縁者である、といったらで、彼に関わる資料を手に入れることができたので、国際便で送ります。
それから、探し物の方は倉庫から見つかったので、そちらも同じ便で送っておきました。
母さんは元気そうでしたか。二人も怪我がないようで何よりです。また何かあったら連絡ください。
P.S
ブラウニーは元気です。
〉前置きとして言いますが、また母が現れました。
〉須藤善司という人について調べてください。
〉アイナばあちゃんの家を借りてた人ですが、イングランドに単身赴任に行った後、連絡がつかなくなったそうです。
〉ばあちゃん曰く、イングランドに本社がある食品メーカー勤務とのことなので、大農場のご主人なら知っているかもしれません。
〉社名はWillow Corporationです。
〉もし彼に関連する紙資料等が手に入りそうなら、縁者だとでも言ってせしめた後こっちに送ってください。
〉それから、曽祖父のロンについても知りたいです。具体的には彼の写真がほしいです。一枚くらいはあると思うので倉庫なり何なり漁って探してください。見つかったらそっちも送ってください。
〉では、ブラウニーによろしく。
Quietty & Chilly 』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます