第5話(裏)

 双子が足を向けたのは、水族館のメインルート横にある脇道。一層暗いそこは、深海魚を展示しているスペースだ。

 他の来館者もいるが、先程まで歩いていた通路よりはずっと少ない。暗く、視界も効きづらい。

 ここだな。そう決めた怜は、適当な水槽の前で足を止めた。

「ねー、ここなーに?」

「海の、ふかーいふかーいところにいるお魚さんたちだよ。普通のお魚と違うところがたくさんあるんだ。探してごらん?」

 興味なさげだった司は、途端に水槽を食い入るように覗き込む。その様子を微笑ましく思いながら、怜は後ろを振り返った。

 そこには、片割れと、片割れに手を引かれたまま俯いているアリアがいる。

「さて」

 双子の声が揃った。

「名前を聞こうか」

 重なった問いに反応してか、アリアの顔がゆっくりと上げられる。

 虚ろな瞳。色の抜けた顔。弛緩したように、少しだけ開いた口。

 その口が、微かに動いた。

「       」

 双子は同時に目を細め、アリアの虚ろな瞳を覗き込んだ。



 意識を満たす水の感覚に、双子は「さもありなん」と思った。

 ナイアード、ネレイネ、ヴィヴィアン、ケルピー、アプサラス、ヴォジャノーイ、ルサールカ。

 浮かぶ名前はあるが、どれかはまだ分からない。

 分かる必要も、今はない。

 正体と呼べるものは、すでに知った。

 ここを覗き込める時間は限られている。とはいえ、現実では数秒程度の時間でも、主観の中では無限に膨らむものだ。多少なら話もできるだろう。

 瞳を開ければ、そこに広がるのは水の世界だ。湖の底か、南国の海中かと思うほどに透明な水の中。

 綺麗だと、素直に思った。

 無論、それが罠だと理解している双子が、この美しい世界に見惚れることはない。

 双子は自身を確かめた。爪の長い手、短い手、尖った耳、丸い耳。目の前に出した手の甲には、左右それぞれに黒と青の光が映り込んでいる。

 瞳の色だ。

 問題、なし。

 久方ぶりだがうまくいった、と怜は笑った。

 油断大敵だ、と静が小さくため息をついた。

 黒い瞳青い瞳が、泡の向こうにいる人影を捉える。人影、というにはいささか特殊だ。人間を黒い影が包んでいる、と言った方がいいかもしれない。

 その嘆きが水の流れに乗って、双子の耳に入ってきた。

 曰く、十分すぎるほど頑張った。

 曰く、家族のために我慢した。耐え続けた。

 曰く、報われたい。

 曰く、解放されたい。

 曰く——守られ優しくされるだけの弱者でいてもいいはずだ、と。

「よくはない」

 双子が否定したことで、相手も異物の侵入に気づいたようだ。

 影が、波たった水面のようにゆらゆら揺れる。その中に、疲れ切った女性の顔が僅かに見えた。

「あなたは、もう選んでしまったのだから」

 双子は彼女の方へ近づいた。

 これから、残酷な言葉を彼女に告げなければならない。今の弱りきった彼女が、受け止め切れるとも思えない。それでも、今やらなければ、壊れることすらできなくなるだろう。

 それは、目覚めが悪いのだ。

「あなたは、もう選んでしまったのだから」

 弱さに許しを乞うていい立場では、なくなってしまった。

 誰かを守るということは。責任を持つということは。

 大人になるとは、そういうことだ。

「美しいものは好きですか」

「優雅な人生がほしいですか」

「楽しい出来事だけを望みますか」

 彼女は、それらの問いかけに深く深く頷いた。「わかりますよ」と双子は返す。「そりゃあそうですよね」と笑みをこぼす。

 而して、それではやはりダメなのだ。

「あなたの願いは叶わない」

 彼女の顔が、悲痛に歪んだ。その苦悶を隠すように、泡が湧き立つ。逃すものか、と双子は更に歩み寄った。

「その願いは、人なら誰しも持つものだ」

「甘く、美しく、夢のような願いだ」

 だけれども。

「——夢とは、現実でないから夢なのです」

 双子が歩み寄るたびに、彼女は逃げる。否、逃げているのは、彼女ではなく、それを包む影の方だ。

 己をどこまでも守ってくれる、真綿のように優しい世界。それを夢想したことがない人間など、果たしてどれだけいるものか。いないかもしれない。そう思えるほどに、現実というのは残酷だ。

 しかし、真綿のような世界が行き着く先の方が、よほど惨たらしいものだ。それを双子は知っている。

「その世界はいけない」

「あなたを包む真綿は、あなたの首を絞めるだけだ」

 真綿だからこそ、息苦しいことにも、不自由なことにも気づかずに、ようやく理解した時には、とっくに身動きがとれなくなっている。

 そうやって、救いようのないほど遠くに行ってしまった人間を、双子は何人も知っている。

 どうすればいいのだ、彼女が叫んでいる。どうしてそんなひどいことを言うのだと嘆いている。

「どうして、の答えを教えましょう」

「難しいからです。苦しいからです」

「弱いままではいられないからです」

「強くならなくてはならないからです」

「弱い自分を守りたいなら、自分が強くなるしかないのです」

 彼女の姿が波のように揺れて、別の女性の姿が水影のように重なっている。

 彼女の言葉は、この水影の言葉でもあり、彼女自身のものでもある。その境界は自我の中で溶けていて、もうどこにあるかはわからない。

 自分達のようだ、と、双子はわずかばかり自嘲した。

「——お前のせいだ」

 彼女の口からこぼれる、彼女の言葉。誰かの言葉。

「お前のせいだ、お前のせいだ、お前のせいだ、お前のせいで」

「いいえ」

 双子は敢えてその悲鳴を遮った。

「それは」

「弱さのせいです」

 わかっている。これらの言葉は、彼女には届かない。

 強くなる決意すらできないほどに、今の彼女は脆すぎる。

 だから、これはただの応急処置だ。

 水影は揺らぎ、その中に立つ彼女の瞳から涙がこぼれる。周囲の水にはまざらないその粒は、形を保ったまま、双子の方へと流れてきた。

『わたしは、わるくない』

 粒の中に映った水影が、醜く歪んだ顔でそう唸っている。

 双子はその声を無視して、粒を指先で掴み取った。

「ひとまずこれはもらっておきましょう」

「種を掘り返すことはできませんから」

「ゆめゆめ、芽吹かせぬように」

 粒からは、まだ獣の威嚇のような声が響いている。

 うるさいなぁ、と思いながら、双子はそれを飲み込んだ。



「ばいばーい!」

 元気よく手を振る司に手を振りかえして、双子はアリア親子と別れた。

 水族館から出た時は、すでに夕方の六時を回っていた。それでも季節のおかげで、まだ昼間のように明るい。煌々と輝く太陽の光に、怜は片手を眉毛のあたりに当て、目を細めた。

「夏だねぇ」

「空が青い」

「暑くてたまんない」

 双子はくすくすと笑いながら、どちらともなく後ろを振り向いた。

 水族館の前のロータリー。日光を照り返すアスファルトの向こうに、手を繋いだ親子連れの影が小さく見えた。

「いい親になりたい、って言ってたね」

「多分、怒られるのが怖いんだろうね」

「嫌われるのも怖いんだろうね」

「そういう坩堝の中にいるとさぁ、いろんなものが来るんだよねぇ」

「人じゃないものからも、人間からも、皆に狙われるんだよねぇ」

「心配だなぁ」

 双子は振り返ったまま、動かない。

 親子の姿は、とっくに見えなくなっていた。



 最初にソレを見たのは、五歳の誕生日だった。

 怜は、片割れと共に、家の庭で遊んでいた。夜に食べる予定だったケーキの話をしながら、プレゼントはなんだろうねと笑い合っていた。

 当時の家の庭には、大きな木が生えていた。子どもどころか、大人の胴より遥かに太い大木。記憶の姿が正しいのなら、樹齢は少なくとも百年を超えているだろう。

 その木の根元で、幼い双子は遊んでいた。大木の太い枝から吊るされたブランコは、双子のお気に入りだった。

 怜はブランコに乗って、静に背中を押してもらい、やがて「そろそろかわってよー」と言われた時。

 どこかから、くすくすとした笑い声が聞こえてきたのだ。

「I'm glad. because you're fine. Our children.」

 知らない声だった。大人の男の声に聞こえた。父の声でも、祖父の声でもなかった。

 枝の上に腰掛けて、くすくすと肩を揺らす、自分達よりも小さな人影。

 双子が、まだイングランドにある祖母の生家で暮らしていた頃の出来事だ。



 テレビ局の控え室は、一口にそう言ってもピンからキリまである。控え室までカメラが来るような場合、そこを使っているのは大抵大御所や人気芸能人だ。つまり、カメラ越しに一般の目に触れるのは、大方が並より上のランクにある部屋となる。

 芸能人としてはまだ駆け出しである双子の控え室は、椅子と机を置けばそれで窮屈になってしまうような、小さなものだ。その上、壁際には段ボールも積んである。四畳間より狭い、と愚痴る怜を、静が苦笑いでなだめた。

 小さな番組の、小さなコーナーに五分だけ出演することになった。その収録がもうすぐ、という時間に、扉がノックされる。「はーい」と双子が返事をすると、マネージャーが入ってきた。相変わらずのくたびれたスーツに、大きな黒縁メガネがいかにも苦労人といった雰囲気をかもしだしていて、それが逆に愛嬌にも感じられる。

「どうしました?」

「もうスタジオ入りですか?」

「いえ、すいません、静さん、怜さん。急で申し訳ないのですが、その収録の後に、取材が入りまして、その許可をいただきに来ました」

「取材?」

 双子の重なった問い返しに、マネージャーは傾いたメガネを直しながら「はい」と応えた。

「またファッション雑誌ですか?」

 そう問う怜の頭には、三森の顔が浮かんでいる。

 しかし、マネージャーは曖昧に首を横に振った。

「ファッション誌……ではないですね。ええと、なんと言いますか、その……マネージャーとしては、貴重な機会ですからぜひ受けてほしいのですが、なんと言うか……精神的負担が大きいというのであれば、断る、ということも一応可能ですので……」

「ん? タチの悪い週刊誌か何かですか?」

「別に急に怒ったりはしないので、ひとまずはっきり言ってください」

 双子にそう言われ、マネージャーは額の汗を手の甲で拭った。

「はあ……えっと、ジャンルとしては、エンタメ誌、になるのでしょうかね。そのう……スピリチュアル系のトピックを扱っているところで……あ、紙媒体じゃなくて、ネット上の電子書籍で発売されているようですね。それで……取材の趣旨がですね。ジェンダーマイノリティを、スピリチュアル的に捉え直したい……と、いう、話なのですが……どうでしょう?」

 大変気まずそうなマネージャーが告げた内容に、双子は思わず目を見合わせた。



 収録は本当に小さなコーナーで、リテイクもなく、すぐに終わった。とある番組内にある、流行のファッションに芸能人がコメントする、という趣旨のミニコーナーだ。コメントとは言っても、このご時世に辛口評価は望まれておらず、要は「褒めそやす」ためのコーナーである。その為、出演者は褒め言葉のボキャブラリーを用意して臨む必要があるのだ。

 今回、双子が褒めなければいけなかったのは、原宿や渋谷に似合いそうなロリータとメイド服の合いの子のようなフリフリの衣装だった。

「色合いがとても素敵ですね」

「青に黄色のアクセントはよく映えますからねぇ」

 青地に黄色のリボンの取り合わせは本当に可愛いと思ったから、そこは素直に口に出した。

「全体のボリューム感も満点です」

「立っているだけでも絵になりますね」

 ひらひらしすぎでは、と感じたフリルに対しては、ボリューム満点、と言い換えた。

 オーケー、という監督の声が響いた時は、柄にもなくホッとした。

 双子が着たいと思うタイプの服ではないが、ああいう「かわいい」に全振りしたファッションが好きな人がいることも重々承知している。多様性を主張している身で、自分達の好みを押し付けるような態度が出てしまってはいけないと気を引き締めて臨んでいたのだ。

 うまくいってよかった、という安堵とともに、双子は挨拶を済ませてスタジオを後にした。

「さて」

 スタジオの重たい扉が閉まるのを確認して、双子はどちらからともなく表情を引き締めた。これから、何が起こるかわからない取材が待っている。

 マネージャーは「関わりたくないなぁ」というのが本心だったようだが、好奇心に負けたのだ。

 双子は、記者が待っているという近くのカフェへ足を向けた。


 そのカフェは、空港のテラスを思わせるような明るい空間だった。丸テーブルが並ぶスペースを、壁一面のガラスから差し込む日光が照らしている。電気はついているが、晴れている日は消灯しても気づかないくらいだ。

 そこに並ぶ丸テーブルのひとつに、彼女はいた。マネージャーから、記者は星野という名だと聞いている。その姿を見て、怜は思わずまばたきをした。

 星野の服装は、控え目に言っても「仕事のもの」とは思えなかった。おそらく染めているのであろう金髪を頭の横で青いリボンでくくってている、いわゆるツインテールの髪型。足元は黄色いローファーと、フリルのついた白いソックス。着ている服は、ちょうど、先程双子が頑張って褒めたロリータとメイド服を合体させたようなフリフリの服だった。同じ商品である。

 渋谷か原宿で遊んだ帰りに寄りました、と言われれば納得できる。そんな服装だった。星野自身の年齢は、化粧のせいでわかりにくくなっているが、二十代だろうと思われた。記者にとって、取材とは仕事であり、さらに言えば人を相手にする業務である。そのため、第一印象は非常に大事だ。多くの場合、記者はスーツなどのフォーマルな服装をしているし、カジュアルファッションだとしても、TPOは少なからず意識されている。

 星野が身にまとうそれは、その真逆だ。

 だが、今時、見た目で人を判断することはあってはならない。ただの趣味か、あるいは何かの主張をしたくて、あえて奇抜な格好をしている場合もなくはない。そう思い直して、まずは話してみなければと、双子は彼女の前に立った。

「はじめまして、星野さん、でよろしかったですか?」

「萩野です」

 双子が名乗ると、星野はパッと明るく笑った。

「はじめましてぇ。『スピリチュアル☆アナリズム』の、星野七菜香っていいまぁす! 取材、受けてくれてありがとうございまぁす! 頑張って、いい記事にしますねっ」

 末尾に「☆」がついていそうなトーンと、わざとらしいウィンクに、流石の双子も反応に困った。怜は完全に営業スマイルモードで誤魔化しているし、静は星野から受け取った名刺を持ったまま、アルカイックスマイルで耐えている。

 初めて見るタイプだ。

 それが双子から見た、星野への第一印象だった。

 双子は星野と同じテーブルに座った。その動きはどこかぎこちないないが、星野は気にした様子もない。

「えぇっとぉ、まずはぁ、うちの雑誌について、ご説明しますねぇ。マネージャーさんにも少しお話ししましたけどぉ、うちは、社会的な問題に対して、スピリチュアルの視点で切り込むっていう趣旨の雑誌になりますぅ。お二人はぁ、スピリチュアルについて、どう思われますかぁ?」

 普通にしゃべってくれ。

 舌足らずな子どものような間伸びした星野の喋り方に、最初に感じたのはそれである。しかし、もちろん態度には出さない。

 双子は努めて笑顔で答えた。

「占いとか、パワーストーンとか、そういうものですよね。縁起物、という意味で、神社とかと同じ、身近なものだと思っています」

「もっと言うなら、科学が“雲は水の粒子で出来ている”と解説してくれるように、現実を説明してくれるツールの一種、とも言えますよね。要は、一つのロジックである、と」

 その答えに、星野はつけまつげを装備した目をぱちぱちとさせて、次の瞬間には「すごーい!」と小さく拍手した。

「身近なもの、現実を説明するロジック……すばらしいですねぇ。私、スピリチュアルって、信じるものだ、って思ってたんですけどぉ、お二人の表現、とっても素敵ですぅ。今度から私も使っていいですかぁ?」

「ご自由に、どうぞ」

「星野さんもお忙しいでしょうし、そろそろ本題に入りましょう。今回の取材ですが、ジェンダーマイノリティーを、スピリチュアルで捉え直す、とお聞きしたのですが、この認識でよろしいでしょうか」

「はぁい。じゃあ、そこをまず説明しまぁす。ジェンダーフリーって、今ブームじゃないですかぁ。実際、それでイキイキ活動されてる方とかいらっしゃって、とっても素敵だなぁって思うんですけどぉ、でもひどいこと言う人もいるじゃないですかぁ。おかしーとか、普通じゃない、とか。そんなこと言うひとの方が、ですよねぇ。そう思いませんか?」

「まあ、捉え方は人それぞれですから」

「あからさまな誹謗中傷は、問題ですけどね」

「ですよねぇ。スピリチュアル界でも、やっぱり差別主義者っていてぇ。ジェンダーマイノリティは、前世の性にまつわる業がそうさせるんだって言うんですよぉ? ひどくないです?」

「……ええっとつまり、そういった意見への反論が、取材の目的、ということでよろしいでしょうか」

 静が確認すると、星野は「そうでぇす!」と明るく頷いた。表情から、片割れが頭痛をこらえていることと、星野が全く気づいていないことを同時に読み取り、怜は「やれやれ」と内心肩を落とした。

「それで、分析と聞きましたが、具体的にはどうするんでしょうか」

「はぁい、よくぞ聞いてくれました! あ、緊張しなくて大丈夫です! うちの顧問をしてくださってる先生が、質問を考えてきてくださったので、これに直感で答えてくださぁい。抽象的なんですけど、ずばり、内面のことがわかっちゃうんですよぉ。すごいですよねぇ」

「へえ、そうなんですか」

 それは心理テストと言うのでは?

 双子の、口から出る声と心の声が、見事に両方一致した。

「では、質問いきますねぇ。深く考えずに、お答えくださぁい」

「はーい」

 双子はすでに、取材を受けたことを若干後悔している。そんなことなど露知らず、星野は意気揚々とメモ帳を取り出し、そのページを開いた。

「あなたは森の中に立っています。森の中から、何かが出てきました。それは何ですか?」

「このひと」

 本当に何も考えることなく、同時に同じ答えを言い、片手を同じ形にして、双子はお互いを指差した。

 星野はメモ帳を持ったまま固まり、双子を交互に見つめている。

 双子は指を下ろし、にこりと笑う。

「参考になりましたか?」

 しばらくフリーズしていた星野だが、やがてまたパッと明るく笑った。

「はぁい! ありがとうございます! これで、あなたたちに前世の業がないことはわかりましたぁ!」

「へ?」

「なんで?」

「これはですね、森が自分の魂の象徴で、出てくるものでカルマがわかるっていうものなんです。カルマが大きな人は、ここで鬼とか悪魔とか犯罪者とか、とにかく怖いものが出てくるんです。でも、仲のいいごきょうだいが出てくるんでしたら、カルマはありません! 大丈夫です!」

「……へえー」

「それはよかったです」

 若干棒読みになってしまったが、星野は相変わらず気にしていない。うきうきとメモ帳に何か書き留めている。

「他にも質問いいですかぁ? お二人は、自分達のアイデンティティを自覚なさったのはいつなんでしょう? まずは、怜さんから」

「僕はセカンダリースクール……ああ、こっちで言うところの中学生の時ですね。当時はイングランドで生活してたので。きっかけと言うと、やっぱり二次性徴だったと思います。あれ、一気に体が変わりますからね。すごい違和感があったことを今でも覚えています」

「僕は怜より少し遅くて、この国で言う高校生の時でした。制服への違和感はそれほど感じませんでしたけど、男子生徒から交際を申し込まれた時、自分でも訳がわからないほど混乱して……結果として、それがきっかけになりましたね」

「なるほどぉ。怜さんが内側からの気づき、静さんが外側からの気づきを得た、ということですね」

「まあ、そうなりますかね」

「静さんが、FtM、怜さんがXジェンダーの中性タイプ、でしたよねぇ? 特有のお悩みとか、何かあったんでしょうかぁ?」

「特有、ですか。それはやや難しい話ですね。理解してほしいけどしてもらえない、放っといてほしいけど構ってほしい。そんな感じの、たいていは思春期にありがちな悩みだったと思いますが」

「あー、でも、あれだ。クラスメイトに、やいやい突っ込まれるのはやっぱり嫌でしたねぇ。僕は早々に性別はどっちでもいいからって公言してたのもあって、すごい根掘り葉掘り聞かれた時期がありました。でも、いくら説明してもだーれもわかってくれないっていう」

「性別という概念を、体の機能の名前だと思っているのか、はたまた個人のアイデンティティを示す言葉だと思っているのかで、その辺はどうしても、溝があるからねぇ」

 双子が頷き合っている前で、星野はせっせとメモを取っている。

「なるほどぉ。確かに、性別がないって感覚は、ちょっと伝えにくいですよねぇ。怜さん的には、性別欄に書きたいのはもう女とか男とかじゃなくて“自分”って書きたいって感じなんでしょうかぁ?」

「あー、そうですね。そんな感じです」

「アイデンティティ、ですもんねぇ! わかります! 当時の交友関係とかはぁ、どうだったんですかぁ?」

「僕の場合は、それでも早い時期に“そういうキャラクター”で受け入れられましたよ。まあ、運動ができたのが大きかったかな、と個人的には思っています。やっぱり、足が速いと子どもの世界では一目置かれますから」

「僕は、自覚してからは一度不登校になってしまいましたね。女性の制服がどうしても苦痛で……あの頃は、怜に迷惑をかけました」

「全然いいよ。おかげで学校では羽のばせたし」

「どういう意味だい」

「あーっとぉ、ご両親とのご関係も、聞いていいですかぁ? あ、嫌ならノーコメントで大丈夫ですぅ」

 双子は、一度目を見合わせた。

「……両親はおおらかな人たちだったので、僕らの個性もあっさり受け入れてくれましたよ」

「ええ。問題といえば僕の不登校くらいで、あとは平和な家庭でした」

「そうですかぁ。じゃあやっぱり、カルマの心配はないですねぇ。よかったですぅ。協力してくださった占い師の先生にもお伝えして……ジェンダーマイノリティは、カルマじゃない、という記事、絶対書き上げて見せます! 読んでくださいねっ」

 また「☆」がついていそうな語尾に、双子は営業スマイルで応じる。

「では、ありがとうございましたー!」

 ぺこりとおじぎをして、子どものように手を振りながら星野は去っていく。その青い背中を見送って、双子はそれぞれ椅子の背もたれとテーブルに体を預けた。

「……つかれた」

 その呟きは、店の喧騒にまぎれて消えていった。

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