第2話(裏)
「迷子の子、見つかりましたかね」
撮影の合間、若いADがこぼした言葉が怜の耳に入った。それをきっかけに、怜の頭に先ほど言葉を交わした若い母親の姿が蘇る。
危なそうな人。
それが怜の感想だ。犯罪を犯しそうとか、子どもに無関心という意味ではない。むしろその逆。きちんとしようと何もかも背負い込んで、結局壊れてしまうタイプの人間に見えた。
「大丈夫かなぁ」
そう呟けば、隣でパックのジュースを飲んでいた静と視線が合う。
「迷子のこと?」
「うん、まあそれも」
「動物園の人たちがせわしないから、たぶんまだ見つかってないんじゃないかな。早く見つかるといいけどね」
「本当にね」
応えながら、怜は焦った様子で駆け回る動物園のスタッフを目に留めた。その姿を網膜に映し、何度かまばたきをする。
「森を探した方がいいんじゃないかなぁ」
怜に次いで、静がパックをゴミ箱に捨てながら返した。
「木の根元ね」
すると、双子は目を合わせ、同時に頷いた。
「日没までは大丈夫だろうね。今はまだ遊んでもらってるだけみたいだし」
「性質の良い悪いで言ったら、コレは悪い方だしねぇ」
「ドライアド」
重なった二つの声は、ちょうど撮影再開の掛け声にかき消された。
返事をしながら、怜は手に持っていたスマホをポケットに戻した。
*
双子がパトカーのサイレンを聞いたのは、撮影が終わった頃だった。テレビスタッフの何人かは迷子のことを知っているからか「見つからないんだ」と誰かが呟く。
「どうしましょう、我々も協力しましょうか」
ロケのメインキャストである俳優がそう言ったものの、プロデューサーが首を横に振る。
「素人が変に首を突っ込んでも、邪魔になるだけですから」
それは建前で、本当は面倒なだけだ。誰もがそれに気づくものの、責任をとりたくない、首を突っ込みたくないという気持ちは、大なり小なり皆もっている。
機材の片付けが始まり、ロケバス代わりのキャラバンに荷物が詰め込まれていく。パラパラと解散のムードになる中、双子はマネージャーに声をかけた。
「すいません、ちょっと僕ら、早めに抜けていいですか?」
「あれ、何か用事ありましたっけ? スケジュールは空のはずですけど」
「はい。なので、少々このあたりを散策したいなって」
「森林浴とか、リラックスできますし」
マネージャーは首を傾げつつも「わかりました」と答えた。ずれた黒縁メガネをずらし、よれよれのスーツをぽんと叩く。
「何かあったら連絡ください。私はもう少しテレビ局の方とお話していくので」
「ありがとうございます」
双子は同時にそう言って、撮影現場を後にした。
*
枝を踏みつけ、行手を遮る葉を押しのける。春先だから虫も多く、視界の端を行き交う黒い点を鬱陶しく手で払った。
もっと山奥だったら厄介だと思いながら、怜は隣を歩く片割れに問いかけた。
「こっち?」
「こっちだね。声がする」
「元気そう?」
「うん、まだ」
「でも、もうすぐ日が暮れる」
「そうしたら」
連れていかれる。
二人の声が重なった時、木々の向こうから子どものはしゃぐ声がした。双子は顔を見合わせ、歩みを早める。
周りの木より、一際伸びた大木。ニレの木だ、と双子のどちらかがこぼした。
その根本に、子どもがいた。三歳くらいの、黄緑のTシャツを着た男児。
しかし、彼は一人ではなかった。木を挟んだ反対側に、もう一人いる。
青々と生い茂る木々のような、美しい緑の髪だけが、風にたなびいていた。
「だーれ?」
男児は子どもらしい大きな仕草で首を傾げ、人懐っこい様子で双子の方へ歩み寄ってくる。
「おにーさん?」
「あれ、そう見える? ありがとう」
「静はお兄さんで合ってるよ。本人の自覚的にはね。ああ、僕の方は、お兄さんでもお姉さんでもどっちてもいいから。君が決めてね」
「えー?」
からかわれているとでも思ったのか、男児は不満そうな顔をして、双子に背を向けた。
「おねーちゃん、いっしょ、あそぶ?」
「だめ」
男児の問いかけに、誰かが応えた。双子ではない。鈴を鳴らしたような高く美しい音。
年端もいかない少女の声だ。
男児はその声に振り向いて、双子の方に来ようとした足をニレの木へと向ける。
「おねーちゃん」
男児がそう呼ぶのを聞いて、双子は思わずため息をついた。
カンが当たった。
無言のうちに言葉を交わした双子は、迷いのない足取りで、ニレの木の裏側に回った。
緑の髪がたなびいていたはずのそこには、誰の姿もない。しかし、男児は「おねーちゃん」と呼び、ニレの木を前にうろうろしている。
「あれ、男の子にしか見えないんだっけ?」
「じゃあ、静には見えるんじゃない?」
「いいや全く。向こうに男だと思われないとダメなんじゃないかな」
「なんだ。それなら交渉はできないね。じゃあ、この木、切っちゃうしかないかなぁ」
木々が大きくざわめいて、湿った土を掘り返した時のようなにおいが双子の鼻をかすめていく。
「話す気になった?」
「悪いけど、この子、僕らの数少ないファン候補の息子さんなんだ」
「代わりに、ボクたちが遊んであげるからさ」
「返してくれないかな」
二つの声が、全く同じトーン、同じ声量で重なり合う。
男児が「あれ」と呟いて、辺りを見回した時には、もう誰もいなかった。
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