第七章.軍人と恋心

◆ レオ小隊長と尋ね人


 ヴァレンが言った。


「ユーリ、こちらは『レオニード・ドラゴミロヴィチ・ラスティロフ十人隊長』だ」

「はあ」


 長い名前だな。俺はフラスコを触りながら、適当に返事をした。


 そいつは俺の読んだ本の一巻には登場しない人物だった。

 ただし、これは知っている。兵士の一つ上の階級を『十人隊長』と書き、『デシャトニク』とルビを振る。小隊の隊長だ。


 次にヴァレンは、金髪の男──レオニードに俺を紹介した。


十人隊長デシャトニク、彼がイーリヤ・ユーリです」

「うん」


 レオニードは、澄んだ青眼を俺に向けたまま、ヴァレンに対して頷く。


 若い声だが落ち着きがあり、どこかエリート臭が漂う。

 歳は二十代半ばくらいか。俺よりは若く見える。背は180センチはありそうだ。ロン毛の金髪で、人形のような美顔だった。一言でいうなら優男やさおだ。


 それはそうと『彼がユーリです』というヴァレンの言葉が引っかかる。

 俺がいないところで俺の話でもしたのか? 心当たりはある。またどうせ『賢者』とかなんとか言って、俺を凄い奴みたいに言ってんだろうな。


 しかし、そうではなかった。


「お前、”桜色の錬金術師”を探しているそうだね」


 俺はにわかに緊張した。そっちの話か。


「まぁ、そうですが」


 これは下手なことは言えないな。

 アリョーナは、この国トゥラーニャから逃げている。具体的に何から逃げているのかは知らないが、軍──つまり、この男たちから身を隠そうとしている可能性は高い。


「それは『アリョーナ』のことかな」


 レオニードはゆっくりとした重みのある声でいう。俺に訊ねているようで、既に確信を得ているような口ぶりだ。

 さっきこの男のことを『優男』といったが、もう一言付けたそう。『食えない男』だ。


「…………」


 俺は言葉に詰まる。

 こういう問われ方は嫌いだ。まず初めに理由を述べろ。でないと答えるものも答えられん。


 考えをまとめていると、今度はヴァレンが口を開いた。


十人隊長デシャトニク、誰ですかその『アリョーナ』というのは?」

「お前が気にすることじゃないよ、ヴァレン」


 レオニードは薄く笑う。その瞬間、ぴりっと空気がひりつき、ヴァレンが思わずといったように背筋を張った。

 言葉にとげがあるわけではない。声も穏やかだ。それなのに、抗えない威圧感がある。


 ルドヴィヤに来てからの平和な時間が、まるで幻だったかのように遠のいた。戦争はまだ続いているのだ、と、唐突に思い知らされる。

 この男は間違いなく、の人間だ。腰に剣を下げているからではない。顔立ちは整い、振る舞いも洗練されているが、そのどこかに、血の匂いがある。


 軍に属する者にとって、人を殺すことは日常なのかもしれない。だが、俺にとっては違う。

 彼の纏う空気は異質だった。冷たく、理知的で、必要ならば迷いなく刃を振るう者のそれだ。


「答えてくれないか、イーリヤ。少女アリョーナはまだ生きているのかな」

「……え……っと……」


 恐怖が喉を締めつける。


 見兼ねたヴァレンが、恐る恐る言った。


十人隊長デシャトニク、ユーリは俺の命の恩人で……あまり脅かさないでやって頂けると……」

可笑おかしなこと言うね、ヴァレン。僕は彼にたずねているだけだよ。まぁ答えてくれなきゃ殺すんだけれど」

「デ……デシャトニク……」


 ヴァレンはそこで閉口してしまい、俺は自分で話すしかなくなる。


「か……、仮に俺が探しているのが、その『アリョーナ』という人だったら……どうするつもりですか」


「そりゃ殺すよ」


 口端に歯を見せ、ふっと息を零す。その仕草に、ぞくりと悪寒が背中を這い上がる。


 アリョーナ……お前一体この国で何をやらかしたんだ……。”何とか錬金術師”って資格を剥奪されたのは、それの所為なのか?


「質問に答えてくれないか、イーリヤ」

「……いえ、まだ……分かりません」


 嘘を吐くのが怖かった。

 二十八年も生きていれば、『殺す』と脅されたことくらい何度かある。だが、こいつのそれは本気だった。だが──


 ぎり、と奥歯を噛む。


 俺は別に、今ここで死んでも構わない。誤差みたいなもんだ。だが、アリョーナは違う。あいつはまだ、俺の半分しか生きていない。国の事情だか何だか知らないが、そんな事で死なせてたまるか。


「……『アリョーナ』って人のことは、俺は知りません。”桜色の錬金術師”については、まだ情報を集めているところです」


 青い眼が鋭く俺を見つめる。

 思わず息を呑む。


 その瞬間、レオニードの右手がすーっと剣柄の高さまで上がった。あ、これ斬られるな、──


 と、突然、


「そう」


 レオニードは、右手を上げて自分の左肩を揉んだ。


「冗談さ」

「……え?」


 空気がふっと緩み、遠くで鳥のさえずりが聞こえてきた。それで俺は自分がどれだけ緊張していたかに気づいた。冷や汗が止まらない。エカリナに銃を向けられた時よりも緊張していた。なんなんだ? 助かったのか?


 レオニードはにこりと微笑んだ。


「冗談さ。殺すと言ったことがだよ。お前を殺したら、僕が隊長アタマンに殺されるからね」


 冗談? さっきのアレが冗談だと? 俺にはとてもそんなふうには思えなかったぞ。


 鼓動が治るのを待ちながら、なんでこの国の軍人は揃いも揃って初対面の俺を脅すんだ、とヴァレンやエカリナとの出会いを思い出していた。


「第一、お前は殺しても死なないんだろう?」

「……は?」


 死ぬわ、普通に。何言ってんだこのアンポンタンは。


「何でも、底なしの回復薬を持っているそうじゃないか」

「あぁ……そのことか……まぁそうですね。死なないかもしれません」


 地の文さんの話では、この世界はまだ【生命の湧水ヴィタ・アクアリス】を発見してない。単なるエリクサーで通しておこう。ここで冒険する意味もないし、そう答えた。



 レオニードは、俺を見下ろしていた視線をヴァレンに向けた。


「ところでヴァレン。お前は弾薬の数を数えている途中じゃなかった? もう終わったのかい」


 バラックの前に山と積まれた木箱を指さす。俺がここに来たとき、ヴァレンはその内の一つの木箱の中身を覗いていたのだ。


「幾つあったんだ。50発? 60発?」

「あ、いえ、それは……。十人隊長デシャトニクが探しておられた彼を見つけたので、報告しようと目を離してしまって……」


 ヴァレンがしどろもどろに俺をチラ見した。助け舟を出して欲しそうなすがる目だったが、俺には何もしてやりようがない。


 レオニードは剣の柄頭つかがしらにカチャリと左手を乗せ、言った。


「誰もお前に紹介してくれなんて頼んでないよ。会いたい時は自分で探すさ。ねぇイーリヤ」


 突然、水を向けられる。何を答えればいいんだ。


 最初から感じていたが、今はっきりとした。俺はこのレオニードという男と反りが合わない。





「すまない、ユーリ。また話そう」


 ヴァレンが仕事に戻るのを黙って見送りながら、俺はレオニードに言った。


「俺も行っていいですかね」


「あぁ、そうだった。引き止めて悪かったね。これからどこへ?」

「……修道院です」


「お祈りか。それはいい。じゃあイーリヤ、聖者の加護を」

「はい。……あ、セイジャのカゴを」


 なんとなく返さなきゃいけない気がして口にしたが、合ってるのか?


「…………」


 微妙な間だが。


 レオニードの目が、じっとこちらを見ている。不審そうな視線に耐えきれず、俺はさっさと踵を返すが。


「ねぇイーリヤ」


 ふいに呼び止められる。


「……はい?」

「お前、本当に錬金術師なのかい」


 やはり軍内ではそう言うことになっているのか。けど、俺は一言もそんなこと言った覚えはない。


「違いますよ。ヴァレンとエカリナの誤解です」


 一瞬、レオニードの目が険しくなった。だがすぐに表情を緩め、軽く手を上げる。


「そうか、ならいいんだ。行っていいよ」


 ……なんだ、この気味の悪い感じは。

 訝しみながらも、俺は無言で背を向ける。そして一歩踏み出した、その時。


「そのフラスコは誰へのプレゼントなんだろう? エカリナかなぁ」


 あっ、と心中で呟く。俺はずっとアリョーナへの贈り物──星形のフラスコを手にしていた。


 独り言にしては声が高く、わざと俺に聞こえるよう言っているのだと思われる。こいつ……何て嫌なタイミングで言うんだ。もう背を向けてしまったから、今さら言い訳もできない。


 俺は聞こえなかったふりをして足を進める。背中に、彼の声高な独り言を聞きながら。


「他にこの国に錬金術師の知り合いがいるのかなぁ」


 いつまでも見られているような感じが続き、俺は一度本当に修道院の前まで歩いて行き、それから大回りして城門の方へ向かった。


 仕方ない、今日は裏ルートを使うのを諦めよう。裏ルートはスラムにあり、スラムにはあいつがいる。



 俺は時間のかかる正規ルートで、アリョーナのアトリエへと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る