第9話「それは悲しみからくる物じゃない」

 廊下の隅。とうかは無言で座り込み、手の甲でそっと目を押さえていた。


 目に浮かぶ涙が止まらない。

 でも、それは悲しみからくるものじゃない。

 とうかは、自分でも理由が分からなかった。

 ただ、胸の奥にある何かが堰を切ったように溢れてきて、止めることができない。


「……とうか、泣いてんのか?」

 不意にかけられた声に、顔を上げるとうか。

 そこには、タオルを首に巻き、汗を拭きながら立っているかげみの姿があった。


「なんでもないです」

 目をそらしながらとうかが答えると、かげみはわずかに眉をひそめた。

「そりゃあ、最初は驚くか。試合に筋書きがあるって知ったら」

 淡々と言い放つその言葉に、とうかの胸がチクリと痛んだ。

「…………」

 何も答えられないとうかに、今度はけいなが近づいてきた。

「歳いってるから大丈夫や思たけど……。夢が壊れたんよねぇ。憧れてたもんが茶番やったって、かわいそうに……」

 その言葉が、思った以上にとうかの胸に刺さる――とうかは思わず唇を噛みしめた。

「違います」

 とうかの言葉に、かげみとけいなは戸惑いの色を浮かべた。


「――確かにちょっと動揺しました。でも……」

 とうかは心の中で湧き上がる感情を抑えきれなかった。

 抑えていたものが溢れ出し、口をついて出た言葉が止まらない。


「わたし!小さなころからマギノクが大好きでした。魔映管テレビで毎週、試合を見るのが楽しみで、雑誌も買って。でも、お父さんに言われたんです」


 『これ、筋書きがあるんだぞ』


 とうかの言葉に、かげみとけいながちらりと視線を交わす。

「ショックでした。でも、試合を観ると胸が熱くなる。どんな噂を聞いても、マギノクを嫌いになんてなれなかった……」


「――筋書きがあったら、ダメなんですか?」

 とうかは、言いながら自分で驚いた。

 こんなにまっすぐに、誰かに話すのは初めてかもしれない。

「マギノクはすごいです。動きも、技も、感情も、全部が輝いていて……」

 なのに、言葉の終わりに、小さな影が差す。

「だけど、やっぱり、怖い」

 声が震えた。

 (わたしが感動した、動き、技、感情、……みゆてさん)


 ――そんな全部が、もしだったとしたら?


 とうかは、それを言葉には出来なかった。

 言葉にしたら、本当にそうなってしまいそうで――。

「おーい! 準備はじまってんぞ! 何やってんだ!」

 遠くから聞こえたマニックの怒鳴り声に、とうかは肩をすくめた。

「お前が何を言いたいか……、アタシはなんとなく分かる」

 かげみが、ゆっくりと口を開く。

「マギノクは確かに『競技』じゃない。だけど『演劇』でもない」

「そやねぇ。冗談でも茶番やなんて、ウチ魔法少女失格かもしらへんわぁ」

 けいなが笑いながら、ひょいっと肩をすくめた。


 かげみが真剣な眼差しでとうかを見つめる。

「まずは、リングに立ってみろ。練習して、デビューして、試合して――自分で考えるんだ。そして自分だけの『本当のマギア×ノクス』を見つける。それが『魔法少女』の生き方……。アタシはそう思ってる」


 本当のマギア×ノクス……。

 意味はうまくつかめない。

 しかし、その言葉は不思議なほど、とうかの胸の奥に響いた。


「あの……」

「ん?」

「かげみさんたちは……みつけたんですか?本当のマギア×ノクスを」


「いいか、とうか。答えを見つけるのは、お前自身だ」

「ウチらはウチら、とうかはとうか、やね」

「アタシの戦いってのはそういうもんだ」

 かげみが、とうかの背中を叩いた。

「なるんだろ? 魔法少女に」

 それを見たけいなが腕を大きく広げ――

「じゃあ行こうか!LET’S GET! GAAAME! ON!!」

 いつもの監獄姫アピールを決めた。

 二人はとうかに笑いかけ、ロッカールームへと消えていく。


 嘘なんかじゃない。

 そんな答えが欲しかった。


 だけど


 とうかの胸の奥で何かが静かに揺れた。


 わたしだけの、……。


 ――それは何なんだろう。


「本当のマギア×ノクス……」

 とうかは、その言葉を噛みしめるように呟いた――。


 ****


「新人!なに、ぼうっと突っ立ってんだ!さっさと準備しろ!」


 めるるに促され、とうかが控室に入ると、そこは舞台裏の忙しさの真っただ中だった。ブリーフィングを勝手に飛び出したとうかを責める者はいなかった。

 もう一つの戦場がそこにあった。


「これ、雑巾!」

「衣装、もってきて」

「リングの紙テープ!手をぐるぐる回して巻き取るの!」


 先輩たちに言われるがまま、とうかは動き続けた。

 リングに飛び散った汗を拭き取り、観客が投げ込んだ紙テープを両腕を回しながら回収し、裏方スタッフの指示を受けて走り回る。


 試合が行われるリングは、特殊な装置で自己修復する仕組みになっているが、リング上が清浄でなければ上手く作動しない。残った汗やゴミが干渉しないよう、丁寧に掃除するのが若手の役目だった。


 それが終わると、選手の入場が滞りなく行われるよう、先輩達と一緒に誘導の手伝い。興奮した観客が次々に差し出す手を払い、体を張って進路を確保した。


 試合が始まれば、控室とリングサイドを行ったり来たり。

 山のように抱えたボトルを落としそうになりながらも、必死で支えて走る。


 突如として場外乱闘が始まった。

 目の前で椅子が叩きつけられ、竹刀が砕ける。飛び散る汗、響く歓声。先輩達と一緒になって観客を安全な位置に誘導し、リングサイドに散らばった破片を蹴飛ばしながら安全を確保する。


 試合が終わると、すぐにリングへ走ってまた掃除。その間にも、リングの端に置かれた魔力痕の除去装置が唸りを上げ、戦いの余韻を消し去っていく。魔力の干渉が残れば、次の試合に影響を及ぼすこともある。

 壊れたイスを片付け、紙テープの山をまとめた布袋を持ち帰る。

 控室では、緊急用のポーション箱が開かれ、医療スタッフが選手の怪我を確認していた。それを横目に、音響スタッフが壊れたマイクを交換するため予備の機材を探している。


「――今日はお前、雑用はもういいよ。マニックさんと一緒に試合を見てな」

 若手の試合が終わり、人手が揃ってきたのを確認しためるるが言った。

「失礼……します」

 とうかはマニックの隣に、すこし離して椅子を置いた。

 マニックはとうかには一瞥もくれず、真剣な表情で魔映管モニタを見つめている。

 少し安心したとうかは、自分も椅子に座って、魔映管モニタを眺めた。

 

 魔映管モニタでは、ぺるしとろっこの第五試合が始まろうとしていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る