第5話「しらないよ……そんなの」

 カエルのように道場の床でぺたんと倒れている人がいる。とうかだ。

 ふわふわの髪が広がり、たまにぷるぷる震える動きがなければ、死体かぬいぐるみと間違えられてもおかしくない。


 とうかが「マギア×ノクス」に入門してから、一週間が経った。


 (このトレーニング、ヤバすぎぃぃ……)

 もう動けない。このまま楽になれるなら、床と一体化するのも悪くない。

 ――マーヤの基礎トレは、とうかの想像以上にハードだった。

 特に「タロットトレーニング」。

 このトレーニングでは大アルカナだけでなく、小アルカナも使用する。合計78枚。その中から1枚引いて、対応メニューをランダム消化していくシステムだ。


 たとえば――

 ・ワンドの3 → 魔法弾打ち込み3セット

 ・ソードのK → 打撃シャドウ14セット

 ・女帝エンプレス→ 水分補給(ボーナス!)

 ・タワー→ 20セット追加(鬼畜!?)


 毎日同じメニュー、同じ順番だとサボり癖がつく——そういう理屈だが、とうかにとっての問題はそこじゃない。

 (カードの偏り、マジ悪魔……)

 疲れ果てて「楽なの来いっ!」って祈ったときに限って現れるキング、タワー、デス。

 え? 前世で何か悪いことした?

 過去の因果を疑うレベル。

 でも、追い詰められたタイミングで「女帝(水分補給)」とか出ると、泣きそうになるくらいうれしい。まるでカードに心を読まれてるみたいでちょっと癪だけど……。

 つまり、とにかくキツい。キツすぎる!

 でも——

(楽しいッ!)

 まだたったの一週間。

 雑用も多い。だけど練習が充実しているおかげで頑張れる。

 少し自信もついてきた。

 早く実戦練習に進んでデビューしたい——そんな思いがとうかの中に膨らんでいた。


 ――そんなある日の深夜。


 飛空艇道場は、道場としての機能にとどまらず、合宿場や事務所も兼ねている。

 食堂、医務室、衣装倉庫、洗濯室……。

 地上では魔法は使えない。世界を巡業するマギア×ノクスの業態に合わせて、魔法少女を目指す少女たちは空を旅しながら道場で己を磨く。

 とうかは、いつものように洗濯室で練習着を洗い、乾燥機を回していた。

 そこに鼻歌を歌いながらかげみが入ってきた。とうかを見つけると笑顔で歩み寄る。

 引き締まった大きな体。精悍な顔立ちに切れ長の目。オールバックの髪がさらに凛々しさを引き立てる。

 総じて――かっこいい。

「頑張ってんな、とうか」

 落ち着いた芯のある声色。飾らない態度。

 やっぱりかっこいい。

 袖口から龍の刺繍が覗く、ギラついた趣味の服を除けば。

「かげみさん! お疲れ様です!」

 とうかは明るく答える。


「お前、大部屋の連中と上手くやれてるみたいじゃねぇか」

 この飛空艇道場では、一人前になるまでは大部屋で共同生活。

 デビュー前の練習生や、試合数の少ない若手にプライベートなど皆無。ひたすら練習と雑用に明け暮れ、その中で礼儀や協調性を学んでいく。

「はい! 先輩たちみんな優しいです! たまに怖いときもありますけど、機嫌いいときは、すっごく優しくて!」

「練習の方は、順調か?」

「はい! 大変ですけど、充実してます! でも……」

 とうかの声のボリュームが下がる。かげみはそれを見逃さない。

「でも?」

「……その、みゆてさんが……」

「みゆてが?」

「私、何かやっちゃったのかなって……」

 とうかは俯きながら、言葉を探すように続ける。

「練習のこととか聞こうと思っても、完全スルーで……ほとんど目も合わせてもらえなくて……。わたし、何か失礼なことしたのかな……」


 かげみは一瞬、困ったような顔をしたが、すぐに優しい口調で言った。

「気にすんな。あいつ、昔っからそういうキャラなんだよ」

「そうなんですか?」

「みゆては人と馴れ合うのが苦手なんだ。特に今は、団体を引っ張る重圧もあって、必要以上に壁を作ってるとこもある。お前が悪いわけじゃない」

「そう……なんですね。よかったぁ」

 とうかは、心から安心した笑顔をみせた。そしてきりっと表情を引き締める。

「じゃあわたしも、変わらないとダメですね!」

 その言葉に、かげみは目を細めた。

「変わる?なんでだ?」

「だってわたし、みゆてさんになりたいんです。みゆてさんがそうなら、わたしももっと真剣に……」

「あのな、とうか……」

 かげみは一瞬言葉を飲み込み、それからゆっくりと語りかけた。


「とうか。お前は勘違いしているぞ。みゆてを真似したからって、みゆてのようになれるわけじゃない」

 とうかがはっと驚く。

「そう……ですよね。わたしみたいな凡人が真似したからって、みゆてさんになれる訳ないですよね」

「そうじゃない。十分な才能があったとしても、外側だけ真似してたんじゃ、そこには届かない」

「!?……でも、わたし、ずっと憧れてたんです。みゆてさんに……。だから絶対に!」

 迷いのない声だった。

「……そっか。なら、まずは自分のやりかたで、みゆてに一人前だと認められてみろ。真似をするのはそれからでいい」

「はい!わたし絶対に、みゆてさんに認めてもらえるよう頑張ります!」

「いい返事だ!頑張れよ!……だがな、とうか――」

「え?」

「あいつが本当に必要としてるのは……」

 かげみはそこで言葉を切り、少しだけ笑った。

「いや、なんでもない。お前なら、きっと分かる日が来るよ」

「え、ええと……ありがとうございます!」

 とうかは元気よく返事をし、洗濯物を抱えて部屋を出ていった。

 その背中を見送りながら、かげみは静かに溜息をついた。


「行ったぞ……」


 かげみがぽつりと呟いたその瞬間、奥の部屋から現れたのは、無言で洗濯物を抱えたみゆてだった。

 ――ゴウン、ゴウン。

 洗濯機の音だけが部屋に響く中、みゆては淡々と練習着を放り込んでいく。


「……とうか、気にしてるみたいだぞ」

「しらない。それに興味もない」

 みゆての声は冷たかった。が、その手が一瞬止まったのを、かげみは見逃さなかった。

「あいつ、大部屋の連中に気に入られてるみたいだな」

「それで?」

「見たろ、洗濯物の量。お前の練習生時代の半分もなかった――」

 その言葉に、みゆての眉がわずかに動く。

 (……やっぱり気になるよな)

 かげみは肩をすくめ、心の中で呟く。

 ――みゆての練習生時代は、誰が見ても努力の塊だった。不器用さを必死の努力でカバーし、日に日に頭角を現していった。……だが、それがアダになった。周りの妬みを買って、理不尽なイジメの標的になった。

 雑用は「分担」ではなく「押し付け」だった。練習着の洗濯だけじゃない。靴磨き、私物の整理、荷物持ち。体力を削られ、時間を奪われ、それでもみゆては一言も弱音を吐かなかった。耐えて、耐えて、ただ前を向いていた。

 それに比べて……とうかはナメられている。

 当たり前だ。基礎トレでいい汗かいて、その後は、先輩の雑用を進んで笑顔で引き受ける。「気が利く」と褒められ、皆に可愛がられ、嬉しそうに微笑む。たぶん、感謝されることが純粋に嬉しいんだろう。そんな奴を誰も本気でライバルだとは思わない――。


「あいつは素直すぎる。それは悪いことじゃないが……」

 ――エゴが無い。と言ってもいい。

 それなのに「みゆて」に対する執着だけは、異常なほど。


 ――わたし、みゆてさんになりたいんです


「このままじゃ、あいつ……」

 かげみの言葉に、みゆては視線を逸らしたまま、低く呟く。

「だから?……わたしの仕事は団体をささえること。あの子がどうなろうと、関係ない」

「お前の言う通りだ。でも……」

「でも?」

「似てるよな、とうか。……に」

 みゆての表情がわずかに揺れた。

 だが、すぐに何事もなかったように視線を洗濯機に戻す。

「しらないよ……そんなの」

 それだけ言い残し、みゆては無言で洗濯室を出ていった。

 かげみは、去っていくみゆての背中をみつめながら呟いた。

「用事、伝え忘れちまったじゃねえか……」


 ――ゴウン、ゴウン。


 (アタシら、今度は見てるだけってワケにゃいかねぇよな……)

 かげみの心の声を受け止めるかのように、洗濯機の音だけが鳴り響いていた。

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