いいえ、信じません(絶対零度)~>゜)~~~

 ことの起こりは昨日のこと。

 北辺の士官学校を卒業した私は、故郷のルゴルネ村で両親と弟たちに別れを告げ、初めてシュラム王国の王都ニギスにやってきた。目的は王国騎士団の文官採用試験を受けることと、王都で絶対にやりたいことがあったからだ。

 私は無事試験を終えて、物見遊山気分でニギスの繁華街を歩いていた。交易の盛んな港町でもあるニギスは活気に溢れ、行き交う人々もどこか異国情緒が漂う。

 採用が決まるかどうか分かるのは一週間後だが、手ごたえは感じた。上手く行けば騎士団の女子寮に入ることが出来るかもしれない。王都に住むなら周辺のことも知っておいた方がいいわよね、なんて浮かれていたのが良くなかったのかもしれない。


 私は宿に戻り、折角だからと自分が持っている一番お洒落なワンピースを着て髪を下ろした。そしてガイドブックを片手に騎士団御用達と言われているロスナー酒場に向かった。

 酒場の片隅を陣取ってクエバスの蜜酒をチビチビ舐めながら、非番の騎士たちをこっそり観察する。

 クエバスは大人の男性の拳大ほどの虫の魔物だが人には無害だ。フルシュカという白い花から蜜を採取する。その蜜を使って作る蜜酒は甘く薫り高い。

 軽い酔いも手伝っていい気分で酒場全体を見回していたら、その中の一人と目が合った。波打つ金髪と少し垂れた青い目、甘いマスクの美丈夫。初めて会うのに懐かしいその面差しに心臓がドキリと音を立て、私も引き寄せられるように彼を見つめ返した。

 普段なら絶対に人の目を見つめるなんてことはしない。故郷の両親にも「秘密を漏らしてはいけないよ」と子供の頃から言い含められている。

 だけど、だけど見つけてしまった。私が王都に出てきたもう一つの理由。ずっと会いたかった。この人を見つける為に私はここに来たんだ。

 だから彼が近づいてきて、「運命を信じる?」と聞かれた時には涙が出そうになった。彼にも私が分かったのだ。彼こそがヨルグ・フォン・コフラー。辺境の村まで届く光り輝く英雄の名声。その末裔である彼にこんなに早く廻り合えるなんて思ってもみなかった。

 私は夢見心地で差し出された手を取り、力強く頷いた。


 今から200年前のことだ。かつて、竜王ウィリディウム・マリスライト・ドラグーンの治める獣人国が危機に瀕したことがあった。元から人族の王国とは国交が確立されてはおらず、獣人達は隠れるように暮らしていた。伝説によれば力のある悪い魔女が国全体を覆う石化の呪いをかけ、跡継ぎである王子レピ・クローロテス・マリスライト・ドラグーンも永らく行方不明だった。

 そして北方の魔族を抑えていた竜王の力が弱まったことにより、蛇の化身である魔王アングイスの軍団が人族の王国に押し寄せてきた。それを迎え討ったのがシュラム王国の騎士、ヨセフ・フォン・コフラーだった。

 ヨセフは討伐に向かう途中で怪我をした娘を助け、二人は恋に落ちた。彼女が斥候に出ていた魔王の娘とは知らずに。戦いの最中さなかに父と騎士の板挟みになった娘は、彼を庇って命を落とした。息を引き取る前に娘はヨセフと約束を交わした。以来コフラー家では蛇の特徴がどこかに残るという生まれ変わりの娘を探している。

 今では苦難を乗り越えた竜王の息子レピが獣人の国を束ね、人や魔族との橋渡しを務め、穏やかな治世が続いている。ヨセフと娘の物語は吟遊詩人や書物により、美しい悲恋として語り継がれてきた。


 私はかつて魔王の娘だった。英雄となったヨセフの末裔は貴族として王都で暮らしている。子供の頃に沼に落ちた拍子に前世の記憶が蘇った私は、きっと彼が自分を探しているはずだと信じていた。

 そう、盲目的に信じていた。生まれ変わるから必ず探してと言った私に、一目見れば分かる、君を絶対に探し出すと誓ったヨセフの言葉を。


 なのに、あの最低な男は一晩経ったら寝惚けながら「君はだれ?」と私に尋ねた。私はあまりのショックに答えることも出来ずに、脱ぎ散らかした服を掴んでベッドから逃げ出した。

 後から聞いた噂によれば、あれは彼が女を口説く常套句だった。田舎から出てきたばかりの娘を誑かすなど朝飯前だったことだろう。

 もう二度と会わない。そのまま宿に逃げ帰り鬱々として過ごした。このまま田舎に帰ろうか。でも家族に心配をかけたくない。

 そんな私の元に合格の通知が届いて心が揺れた。たとえ試験に受かったとしても、実戦部隊の騎士と文官では接点がないはずだ。しかも書類に提示されていたお給料の額が破格! こうなったら仕事に生きる。待ってて、故郷のお父さんお母さん、弟たち。

 彼以外の前世の記憶は薄れ、すっかり人間じみてしまっていた私は、新人にしては高額な給料を怪しみもせず、まんまと釣られて騎士団の門を叩いたのだった。


~>゜)~~~


「団長の秘書官とはどういうことですか?」

「あー、ちょっと訳アリで……ベッカー君は士官学校時代の成績も優秀だし、しっかりしてそうだから多分大丈夫」

「訳とは?」

 

 私は適当なことを言ってのらりくらりと躱そうとする上司のカール・ハーヴェイに静かに迫った。入団式の前に説明があるからと呼ばれて、支給された制服をきっちり着込んでひっつめ髪にした私は、通された事務室で信じられない辞令を聞いたのだ。だがここで取り乱す訳にはいかない。

 ハーヴェイ氏は若干出た下腹を擦りながら、暑くもないのに額の汗を拭うふりをする。


「政治的なものも絡んでるから詳しくは言えないんだけどね」

「そんな説明で納得できるとお思いですか? どこの騎士団ですか? 第一? 第二? まさか近衛騎士団じゃないですよね?」


 この国の騎士団は近衛を始め第一から第五まである。王直属の花形である近衛騎士団と言えば、あの英雄の末裔ヨルグ・フォン・コフラーが団長を務めているのだ。ひっそりと地味なスタートだと思ったのに、秘書官なんて絶対接点あるじゃない。無理……、絶対に無理。


「送った書類に書いてなかったあ?」


 のんびりとしたハーヴェイ氏の声にイラッとする。落ち込んでてそれどころじゃなかったのもあるが、あの書類、金額以外は字が下手過ぎて読めない部分がかなりあった。


「あんな“脳喰いクービム”みたいな字分かりません。誰が書いたんですか?」


 脳喰いクービムとは沼地に潜む胴体がヌルヌルニョロニョロの長い魔物である。うっかり水に落ちて巻きつかれたら脳の一部を吸われて廃人になってしまう。記憶を司る部分だけを吸うグルメな奴だ。つまりそのニョロニョロくらい酷い字だった。


「私だよ」


 後ろから聞こえてきた声に、目の前のハーヴェイ氏が急に直立不動になる。


「6歳の子供だってあんな酷い字書きませんよ」

「こ、こら、ベッカー君」


 私は顔色を悪くするハーヴェイ氏の視線を辿り、背後を振り返った。開けられた扉の枠に凭れかかって立つ男は、波打つ金髪に少し垂れた青い瞳、憎らしいほど甘やかな笑みを浮かべたあのヨルグ・フォン・コフラーだった。

 そして開口一番、彼は言った。


「ところで君、運命は信じる?」


 いいえ、信じません。

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