第42話

 ヴォルグレームスと、明日葉が出会ったのは、8年前。

 明日葉が、11歳の時だった。


「明日葉~? あ、ここにいたのね」


 乱雑に開かれた絵本を、つまらなさそうに見下ろす明日葉は、現れたゆかりに視線を上げる。


「黒卵もらったのよ。食べましょう?」

「たまご、きらい」

「大丈夫よ。今回は、ゆで卵だから」


 自慢気に、黒い卵を見せるゆかりに、明日葉も、本を閉じる。


 いまだに、明日葉の力は、制御ができていない。そのため、腕や足に特殊なインクで、直接、術式を刻印をすることで封印している。

 だが、それも絶対ではない。

 実際、封印している状態でも、イザナミの加護による力は絶大で、生卵すら、軽々と握り潰した。


 片付けた場所に、いらない紙を広げるゆかりに、明日葉は少しだけ眉を下げた。


「こうしておくと、殻を後で拾わなくて済むからね。さ、もう大分冷めたと思うけど、気をつけてね」


 手に乗せられた、まだ温かさの残る卵。

 同じように、ゆかりも卵をひとつ手に取り、軽く叩くとひびを入れる。


「ほら、今回は中が固まってるの。だから、心配いらないわ。明日葉もやってみて」


 殻を剥いて出てきた白い卵を見た明日葉は、恐る恐るゆかりが見せたように、卵にひびを入れる。

 既に、ほとんどふたつに割れてしまっているが、以前のように、中身が全て流れ出すような、悲惨な状態にはなっていない。


「ね? あとは周りの殻を取れば、食べられるわよ」


 半分に割れた卵の殻を、指先で剥く様子を、ゆかりも待っていれば、近づく足音。


「なにしてるの」

「あら、春茂。おかえりなさい。黒卵、食べる?」


 ゆかりが、自分で剥いた卵を見せれば、備前は、ひどく眉を歪める。


 一年ほど前に、偶然見つけた寵愛子の明日葉は、人間の形をしていなかった。

 イザナミの加護による、細胞の過活性で、体の全ての細胞が、凄まじい速度で成熟しては、腐っていた。

 それはもう、ただの蠢く肉塊であり、ゆかりが止めなければ、備前はその場で、その肉塊を切っていた。


 その後、加護を封印することで、人間の形を保つことはできている。

 だが、その力が抑えられているわけでもなく、精神面は見た目よりもずっと幼い、赤ん坊にも近い状態だ。


「私は、明日葉が剥いてくれたのを、食べようかしら」

「え……食べる部分少ないよ?」

「いいわよ。それに、まだいくつかあるもの」


 いつ爆発するかもわからない寵愛子を、ゆかりは、普通の子供と同じように接している。

 危険だと、何度説得しても、ゆかりは納得しなかった。


 備前は、立ったまま、渡された卵を頬張った。


「そんなに警戒しなくてもいいんじゃない?」

「君が警戒してなさ過ぎるんだよ。アレが、手加減を誤れば、骨どころじゃない、肉が引きちぎれるんだ。わかってるだろ」

「でも、あの子、自分から他人に触れようとはしないわよ」


 人間とは思えない形をした明日葉を、受け入れたのはゆかりだけだ。

 それ以外の人間は、明日葉に恐怖し、人の姿になって以降も、近づこうとはしない。


 明日葉に近づくのは、ゆかりと備前、それから加護の研究をしている変人の研究者くらいだ。


「力が制御できなくても、やってはいけないことは、ちゃんとわかってるのよ」

「でも、間違いはあるだろ」

「子供だもの。大人よりも、間違いは多いわよ」

「わかってるよ。でも、その力が強大なら、大人よりもずっと間違えちゃいけない」

「それは酷よ」

「酷だとしても、だよ」


 子供が間違えないなんて、現実的じゃない。

 そんなことは、備前だってわかっている。


 だとしても、もし、明日葉が力加減を間違えたなら、最初に被害を被るのは、最も明日葉を大切にして、傍にいるゆかりだ。


「本当に、アレを殺す気はない?」

「ない。あったとしても、それは、私と春茂が死んでからよ」

「……なんで、僕も入ってるのさ」


 どちらかといえば、備前は、危険をはらんでいる明日葉は、できるだけ早めに処理してしまいたい。

 しかし、ゆかりは、呆れたように備前へ視線を送った後、ため息をついた。


「私の一生のお願いって言ったら、春茂は、守ってくれるでしょ」

「……君の一生のお願いは、もう二度は叶えた気がするよ」

「二度あることは、三度ある、って言うじゃない」

「仏の顔も三度まで、とも言うよ」

「春茂が”仏”だなんて、それじゃあ、地獄が必要なくなっちゃうわよ」

「君ねぇ……頼み事しておいて、それはないんじゃない?」


 からからと笑うゆかりに、備前はまたため息をつく。


 自分が、明日葉を切らないと、本気で信じているゆかりに、備前はその背を折り曲げ、耳元へ口をやる。


「言っておくけど、僕は、君に危険が及ぶなら、容赦なくアレを切るよ。君が泣こうが、喚こうが、関係ない」


 僕は弱いから。

 助けられる存在なんて、両手に収まるだけしかない。


 昔から変わらない備前の言葉に、ゆかりは自嘲気味に笑うと、肩に乗せられた備前の手に触れる。


「うん。でも、貴方はきっと切らないわ」

「……頑固だな」

「似た者同士ね」


 至近距離で見つめ合うと、お互い、どちらともなく、諦めたように目を伏せた。


「あぁ、そうだ。近くに活動性を調査してるダンジョンがあるでしょ?」

「火山系のところ?」

「そう。そこ。あそこが、不活化してるようだったら、負傷者の療養所にする計画があるのよ」


 この町から程近い場所に、火山系のダンジョンがある。

 活動性が低くなっているのか、浅い階層は比較的安全で、一部、温泉も湧いている。

 ダンジョンのため、治療を終えた兵士が、戦闘訓練を行うためのモンスターも確保しやすく、療養所にする案が出ていた。


「濱家さんも、ダンジョンなら強度もあるし、明日葉の訓練をするのも、そっちの方がいいんじゃないかって言っててね」

「…………」

「これから、調査に行ってくるから、その間、明日葉の事、見ててくれる?」

「ちょっと待った」


 勝手に話を進めているゆかりに、備前が制止をかける。


 不活化のダンジョンを、療養所にすることは、よくある話だ。

 ダンジョンの管理も含めて、都合がいいことも多い。


 だが、その調査に、ゆかりが行くというのは、話が変わる。


「なんで、医療部隊のゆかりちゃんが行くのさ」


 ダンジョンの調査ならば、戦闘員で構成された隊が派遣されるはずだ。

 それを何故、医療部隊のゆかりが行く必要があるのか。しかも、話し方からして、単独でだ。

 絶対にありえないことだ。


「医療部隊が管理する区画を作るんだから、私が行った方が、色々確認できるでしょ。明日葉を一人にするのは、かわいそうだし」


 なんて事の内容に答えるゆかりだが、おそらく上が嫌がらせ目的に、命令してきたのだろう。

 寵愛子として、不安定な明日葉を擁護するゆかりに。


「……わかった。じゃあ、夜に行こう。アレが寝た後ならいいでしょ」


 自分の甘さに呆れたように、備前は、強く頭をかいた。



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