第12話
セレスティアの空は、穏やかに晴れ渡っていた。
雲海が静かに揺れ、かつての歪みの影はもうどこにもない。
時計塔の戦いから月日が流れ、レイヴンは記憶を失ったままだった。
彼は黙層の小さな家で、静かに暮らしている。
毎朝、壊れた機械を修理し、子供たちに笑顔を届ける。
「なぁ、おっちゃん、また空の話聞かせてよ!」
子供が笑いながら彼に絡んでくる。
レイヴンは少し困った顔で、でも優しく笑った。
「空か……そうだな。昔の空は、優しい歌で包まれていたんだ」
彼の声は穏やかで、記憶の空白を感じさせない。
灰色の翼はもう疼かず、ただ静かに背中に広がっている。
セレスティアと黙層は平和を取り戻した。
黙層の民は自由を手に入れ、空を見上げる日々を送る。
「やっと……俺たちも生きてるって感じがするな」
ある男が、空を見ながら呟いた。
そして、歌姫——彼女も、『時の歪み』の支配から解放された。
塔の最深部で、レイヴンの記憶と引き換えに自由を手に入れたのだ。
今、彼女は雲海の上で静かに歌っている。
その歌は、かつての天鳴とは違い、優しく温かい旋律だ。
「レイヴン……あの日、あなたがくれたもの、忘れないわ」
歌姫の声が風に乗り、セレスティアに届く。
誰も犠牲にならない未来が、ここにあった。
ある日、レイヴンは家の外で空を見上げていた。
雲がゆっくり流れ、風が頬を撫でる。
どこか遠くから、微かな歌声が聞こえてきた。
「……この歌、懐かしい感じがするな」
彼は首をかしげ、目を細めた。
記憶はないのに、心の奥がざわつく。
歌姫の歌が風に乗って響き、静かな余韻を残す。
レイヴンは、彼女以外知られざる、本物の英雄になった。
彼の記憶の犠牲が、すべてを変えたのだ。
---
それから、さらに月日が流れた。
セレスティアから遠く離れた、とある小さな街。
石畳の道に、穏やかな陽光が差し込んでいる。
そこを歩く一人の少年と一人の少女が、偶然すれ違った。
少年は灰色のジャケットを羽織り、どこか疲れた目をしている。
少女は銀色の髪を風に揺らし、優しい笑みを浮かべていた。
二人は通り過ぎた瞬間、なぜか足を止めた。
「……ん?」
少年が振り返る。
「……え?」
少女も振り返り、彼を見た。
何か微かな感覚が、胸の奥で疼いた。
彼らは、違う時間軸で出会い、深い絆を結んできた。
お互いの死を悼み、回帰を繰り返してきた過去がある。
でも、その記憶はもう、彼らにはない。
それでも、何かが二人を引き寄せた。
少年が少し緊張した顔で、少女を見つめる。
少女も同じタイミングで口を開いた。
「あの……」
二人の声が重なり、思わず笑いが漏れる。
「……はは、なんだこれ」
少年が照れくさそうに頭をかいた。
少女は少し沈黙した後、勇気を出して言った。
「えっと……あそこに、小さなカフェがあるんだけど」
彼女は道の先を指さし、ちょっとドキドキしながら続けた。
「よかったら、一緒に行かない?」
少年が目を丸くして、彼女を見た。
「よく分からないけど、あなたに話したいことが、たくさんある気がするの」
少女の声は小さく、でも真剣だった。
少年は一瞬考え込んで、ゆっくり頷いた。
「……いいよ。俺も、そんな気がするんだ」
彼の声には、どこか懐かしさが混じっていた。
二人は顔を見合わせ、軽く笑った。
「じゃあ、行こっか」
少年が先に歩き出し、少女がその隣に並ぶ。
石畳を踏む音が、静かに響き合う。
カフェに向かう道すがら、少女がぽつりと言った。
「あの……私たちって、どこかで会ったこと、あったかな?」
少年が首をかしげ、少し考えた。
「そうだなぁ……会った気がするような、変な感じだよ」
二人はカフェの扉を開け、小さなテーブルに座った。
木の香りがする店内で、コーヒーの香りが漂う。
「俺、昔のことあんまり覚えてないんだよな……」
少年がカップを手に持って、呟いた。
少女が目を細めて、彼を見つめた。
「私も、何か大事なことを……忘れてる気がするの」
二人の間に、穏やかな沈黙が流れる。
窓の外では、街の人々が笑いながら通り過ぎていく。
「でも——不思議となんだか、一緒にいると、落ち着くね」
少女が笑って、コーヒーを一口飲んだ。
「うん、なんでかなぁ……?」
少年も笑い返し、カップに手を伸ばした。
彼らが何者だったのか、かつてどんな戦いを経てきたのか。
それはもう、誰も知らない。
それでも、二人の間に流れる空気は、確かに温かかった。
「なぁ、俺たち、また会えるかな?」
少年がふと聞いて、少女が目を上げた。
「……会えるよ。きっと、遠くない未来に」
彼女の声に、確信が込められていた。
二人は笑い合い、時間を忘れて話し続けた。
彼らが今後、どんな岐路を辿るかは誰にも分からない。
だけど、彼らが歩いてきた道は、きっと意味があった。
レイヴンとリコが残した絆が、遠い未来で再び芽吹いたのだ。
夕陽が街をオレンジに染め、二人はカフェを出た。
「またね……で、いいのかな?」
少女が少し照れながら言った。
「ああ、絶対また会おうな」
少年が力強く頷き、手を振った。
二人は別々の道を歩き始める。
石畳の道端に、小さな光が落ちていた。
それは、かつてリコが握っていた、星屑の杖の結晶の欠片だった。
風が吹き、欠片が微かに輝き、二人の足跡に寄り添うように転がる。
歌姫の声が雲海を超えて響き、セレスティアの空に届いた。
「レイヴン、リコ……あなたたちの絆は、ここで終わりじゃない」
その歌は、二人を見守るように優しく響き続ける。
どこかで、歯車の音が微かに鳴り始めた。
それは、時の流れが再び動き出す合図だった。
彼らの物語は、まだまだ続く。
レイヴンとリコの意志が、未来で新たな形となって芽吹く——
その確かな予感が、風と共に広がった。
灰色の翼と虚構の塔 (仮) @_mn
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